2024年03月31日「イースターの喜び」

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聖句のアイコン聖書の言葉

15:50 兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉の体は神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
15:52 終りのラッパと共に、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。
15:54 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを来る時、このように記された御言葉が実現します。
   「死は勝利に飲み込まれた。」
15:55 「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
    死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主の業(わざ)に励みなさい。あなた方は、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。コリントの信徒への手紙一 15章50節~58節

原稿のアイコンメッセージ

 今年も、神の御子イエス・キリストの甦り(よみがえり)・復活を全世界の教会と共に祝うことができ、心から感謝致します。今朝は「イースターの喜び」と題して、私たちの救い主であられる神の御子イエス・キリストの復活の恵みを、ご一緒に心に留めたいと思います。

 紀元30年頃のある春のことです。神の独り子イエスは、全世界の罪を償うために十字架でご自分の命を献げ、しかし、旧約聖書の預言とご自分のお約束通り、三日目の日曜日の朝、復活されました。

 このことで、イエスを神の御子また私たち罪人の救い主キリストとして、心から信じ、受け入れ、依り頼む者に、どのような喜びがあるでしょうか。時間の関係で、今朝は二つだけお話したいと思います。

 一つは、今のこの世が終り、神が新しい天と地を創られる時、クリスチャンは全くきよい新しい完全な体を神から与えられて復活し、神を永遠に喜ぶことができる者にされる、ということです。

 人類が神に背いて罪がこの世に入って来て以来、人間は、心だけでなく、体も罪の支配の下にあります。ですから、あの使徒パウロですら、ローマ7:24で「私は本当に惨めな人間です。誰がこの死の体から、私を救い出してくれるのでしょうか」と呻くほどでした。

 また、この体のために、私たちは病気やケガ、それらによる様々な障害や不具合を初め、どんなに多くの痛み、苦しみ、不自由に呻き、叫び、涙を流していることでしょうか。Ⅱコリント12:7が伝えますように、偉大な信仰者パウロも、肉体の棘、つまり、非常に辛い何かの病気のために大変苦しめられたのでした。

 無論、信仰を持っていない人にも臨む、神の豊かな恵みと憐れみである「一般恩恵」のお蔭で、私たちは体がありますから、心踊るような楽しいことや嬉しいこと、感動も沢山味わい、体験できます。

 とはいえ、体の弱さと限界は、病やケガによるだけでなく、歳を取るにつれてますます顕著になり、私たちは衰え、やがて全員死を迎えます。

 しかし、ここにイースターの喜びがあります。何でしょうか。私たちの体はいつか土に戻りますが、それで終りではないということです。世の終りに、今の世界は、Ⅱペテロ3:12、13が言いますように、燃え尽き、そして「義の宿る新しい天と新しい地」を神は出現させ、最後まで信仰を守った者を甦らせられます。すなわち、痛みや苦しみや不具合、また罪も汚れも全くなく、復活されたイエスのお体のようにきよい、しかも夫々にピッタリの新しい最高の体を、神は信仰者に下さるのです。イザヤ35:5、6もこう預言していました。「その時、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。その時、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口の利けない者の舌は喜び歌う。」

 パウロは、Ⅰコリント15:51、52で「私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちは、眠るわけではありませんが、皆、変えられます。終りのラッパと共に、たちまち、一瞬の内に変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちない者に甦り、私たちは変えられるのです」と教えた後、53節「この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ること」になる、と教えました。

 自分にピッタリよく似合う新しい服を初めて着る時、私たちは嬉しくて、皆ワクワクすると思います。同じように、イエス・キリストに一切の希望を置いて生きてきた人は、世の終りに、最も麗しい最高の新しい体を与えられるのです。その時、信仰者は、聖霊により完全にきよめられた魂と共に、自分に与えられた新しい完全な体に驚き、同じ喜びに踊る無数の兄弟姉妹たちと手を取り合い、思いっ切り神を賛美しているでしょう。これがイースターの喜びの一つなのです。

 もう一つは、神と人のために、この世で励む信仰者のあらゆる業(わざ)、すなわち、働きや労苦や奉仕に、復活の時、神が必ず報いて下さることです。58節「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなた方は、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」

 今のこの世は、人類全体の罪のため、何と不公平で理不尽なことが多いでしょうか。真面目で一生懸命責任を果たす誠実な人が報われず、上辺だけいい所を見せ、パフォーマンスばかりで、ずるい人が高く評価され、うまい汁を吸っていることが、何と多いでしょう。

 そういう社会を、私たちは改革しなければなりません。クリスチャンには、神の義と公平とをこの世で実現する「預言者」としての務めがあります。

 しかし、事は簡単ではありません。教会の中でさえ、奉仕する人は一生懸命行ない、しない人はしないという悲しい現実もあります。クリスチャンにも、この世ではまだまだ罪の残り滓があるからです。まして、この世には、どれほど多くの不公平や不条理なことがあるでしょうか。

 しかし私たちは、世の終りに迎える永遠の神の国を忘れてはなりません。今の世は、永遠ではありません。私たちがこの世で過ごす時間も限られています。

 しかし、世の終りに神が出現させられる新しい世界は永遠です。そして、この世で最後まで忍耐し、主の業に誠実に励んだ信仰者の労苦は、決して無駄になりません。ローマ8:28が言いますように、神を愛する者たちには、今この世でも万事が益とされますが、それに加え、復活の時には、本当に全てが報われるのです。先程の58節をもう一度読みます。「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなた方は、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」

 イエス・キリストご自身もこう約束されました。マタイ25:31~40「人の子(イエス・キリストのことです)は、その栄光を帯びて全ての御使いたちを伴って来る時、その栄光の座に着きます。そして、全ての国の人々が御前(みまえ)に集められます。

 人の子は、羊飼いが羊を山羊からより分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、私の父に祝福された人たち。世界の基が据えられた時から、あなた方のために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなた方は、私が空腹であった時に食べ物を与え、渇いて時に飲ませ、旅人であった時に宿を貸し、私が裸の時に服を着せ、病気をした時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからです。』

 すると、その正しい人たちは答えます。『主よ、いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなた方に言います。あなた方が、これらの私の兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、私にしたのです。』」

 

 神と人に仕えた誠実な信仰者は、自分のした良い行いことを、一々覚えてなどいません。マタイ6:3でイエスが言われますように、真(まこと)の信仰者は、自分の右手のすることを左手に知らせることすら、しません。愛の奉仕など、どんどん忘れます。

 けれども神は、私たちのどんなに小さな業(わざ)であっても漏れなく記憶しておられます。主は、誠実な信仰者に100%報いることを、ご自分の最大の喜びとしておられるのです。報いから漏れることが一つでも私たちにあることを、主イエスはご自分にお許しになりません。そこまで私たちを愛しておられるのです!何という主の愛でしょうか。

 ですから、主の業に励んだ信仰者は、復活の時、「えっ?主よ、どうしてあなたはこんなにも私に良くして下さるのですか?」と驚き、主の業に励んだ他の誠実な兄弟姉妹たちと共に驚き、抱き合って喜んでいる自分自身を発見することでしょう。イースターは、このことを私たちに示しているのです。

 以上の二つが、今朝、心に留めたいイースターの喜びです。ただ、主イエス・キリストの恵みにより、自分が完全にきよい者にされたことを知り、また、この世でさせて頂いた主の業の一切が報われる喜び!これです。

 クリスチャンのこの喜びは、今はまだ部分的で朧げ(おぼろげ)ですが、信仰によって先取りするのです。ヘブル人への手紙11:1は言います。「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確認させるものです。」

 様々な困難のある私たちの人生です。しかし、やがて必ず迎える復活の喜びの時に期待して、信仰に固く立ち、天の御国を仰ぎつつ、誠実に神と人に仕え、皆で手を携え合って主の業に励みたいと思います。

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