鳩のように素直でありなさい
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- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 マタイによる福音書 10章16節~23節
10:16 いいですか。私は狼の中に羊を送り出すようにして、あなた方を遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。
10:17 人々には用心しなさい。彼らはあなた方を地方法院に引き渡し、会堂でむち打ちます。
10:18 また、あなた方は、私のために総督たちや王たちの前に連れて行かれ、彼らと異邦人に証しをすることになります。
10:19 人々があなた方を引き渡した時、何をどう話そうかと心配しなくても良いのです。話すことは、その時、与えられるからです。
10:20 話すのはあなた方ではなく、あなた方のうちにあって話される、あなた方の父の御霊です。
10:21 兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
10:22 また、私の名のために、あなた方は全ての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
10:23 一つの町で人々があなた方を迫害するなら、別の町へ逃げなさい。まことに、あなた方に言います。人の子が来る時までに、あなた方がイスラエルの町々を巡り終えることは、決してありません。マタイによる福音書 10章16節~23節
神の御子イエスは、かつて12使徒たちを伝道に遣わす際、迫害などの困難に対する基本的心構えとして、16節「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」と言われました。今朝は後半の「鳩のように素直でありなさい」を学びたいと思います。
鳩は、旧約聖書のホセア7:11では愚かな動物とされ、イザヤ38:14では、鳴き声がやや低く暗いためでしょうか、人が嘆き呻く時に鳩のようにと形容されています。
しかしマタイ10章では、「素直でありなさい」とありますように、素直さが意味されています。確かに鳩は周りに対して素直ですね。怖いと、急いでパーッと逃げますし、怖くないと、私たち人間に近づいて餌をねだったりします。しかし、素直は素直でも、ここでは特に迫害などの困難を前にしても、神の約束の御言葉(みことば)を「本当に心から素直に信頼する」という点が大切でしょうね。
御子イエスを自分の救い主として、心から信じ、受け入れ、依り頼むならば、私たち罪人が犯すあらゆる罪を、父なる神は全て赦し、ご自身の子供とされ、永遠の命の祝福を下さいます。まさに私たちを極みまで愛して下さっています。ですから、その神の、また御子イエス・キリストの御言葉や約束を、素直に心の底から信じるのです。これは、キリスト教信仰において何と大切な点でしょうか。新約聖書のヤコブ1:5~7も言います。「あなた方の内に、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、誰にでも惜しみなく、とがめることなく与えて下さる神に求めなさい。そうすれば与えられます。但し、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かを頂けると思ってはなりません。」
マタイ10章に戻ります。イエスは19節「人々があなた方を引き渡した時、何をどう話そうかと心配しなくて良いのです。話すことは、その時、与えられるからです」と約束されました。
今日でもそうですが、ましてや二千年前の古代社会では、国家的・政治的権力者や宗教的権威者の前に引き出されることは、どんなに恐ろしかったでしょう。心臓はドキドキし、喉は渇き、頭の中は真白!イエス・キリストについて、また自分の信仰について、何を質問され、どう答えれば良いのかと、考えるだけでもパニックに陥りそうで、弱い自分に情けなくなると思います。しかし、イエスは言われます。19節「何をどう話そうかと心配しなくても良いのです。話すことそのとき与えられるからです。」
でも、それはどのようにして与えられるのでしょうか。イエスは言われます。20節、直訳しますと「何故なら、話すのはあなた方ではなく、あなた方の内にあって話される、あなた方の父の御霊(みたま)だからです」と、ハッキリ言われます。更にイエスは敢えて「あなた方の父」であられる神の御霊・聖霊だと述べ、弟子たちが既に神の子とされ、どんなに大きな恵みに与っているかを確認されます。
この点で、新約聖書の「使徒の働き」は、イエスの約束の確かさについての記録の宝庫と言えるでしょう。後にペテロとヨハネはユダヤ教の権威者達に捕えられて留置され、ユダヤ議会で取り調べを受けますが、ペテロが聖霊に満たされ、イエスが約束の救い主であられることを語った時のことを、使徒4:12、13はこう伝えます。12節「この方以外には、誰によっても救いはありません。天の下でこの御名の他に、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
権威者たちはこれを聞き、13節「ペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚」きました。ペテロは、語るべき大切なことを見事に語ることが出来たのです。
ユダヤ教権威者たちは、尚もペテロとヨハネを脅します。すると、二人はこう答えました。4:19、20「神に聞き従うよりも、あなた方に聞き従う方が、神の御前(みまえ)に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さない訳にはいきません。」何と見事な信仰の告白でしょう!
そこで仕方なく、ユダヤ教権威者たちは二人を更に脅した上で釈放しました。しかし、その後も使徒たちは素晴らしい働きをし、使徒5:13によりますと、彼らはユダヤの民に尊敬される程でした。
すると、権威者たちは5:17「妬みに燃え」、再び使徒たちに手をかけて捕え、留置場に入れました。しかし、天使の導きで、使徒たちは夜、脱出し、夜明け頃からエルサレム神殿の庭で福音を語ります。それを知った権威者たちは、もう一度使徒たちを捕まえ、ユダヤ最高法院の中に立たせて尋問します。その時、ペテロと使徒たちは堂々とこう答えました。5:29~32「人に従うより、神に従うべきです。私たちの父祖の神は、あなた方が木にかけて殺したイエスを、甦らせました。神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」
何と見事な信仰の弁明であり証しでしょうか。救い主イエス・キリストは、いざという時、普段から神を真(しん)に畏れ、従順な信仰者たちに、本当に聖霊を賜り、必要なことを語らせて下さるのを、初代教会の歴史の中で示しておられたのです。
これは、今日の私たち信仰者にとっても、主イエスの慰めと励ましに満ちた素晴らしい約束だと思います。
皆様も同じだと思いますが、私も何度か、特に私の場合は牧師として、聖書に堅く立つ歴史的改革派信仰に基づき、キリスト教信仰とそのあり方をハッキリ表明しなければならない場に立たされることが予想される時がありました。そういう時、果たして私はしっかり語り、キチンと意見を申し述べ、あるいは反論したり出来るだろうかと、正直な所、不安を覚えたものです。しかしその時、今朝、私たちが学んでいます主の御言葉、つまり、マタイ10:19、20「人々があなた方を引き渡した時、何をどう話そうかと心配しなくても良いのです。話すことは、そのとき与えられるからです。話すのはあなた方ではなく、あなた方の内にあって話される、あなた方の父の御霊です」を思い出しました。そして改めて御霊・聖霊のお働きと導きを固く信じ直し、勇気を与えられ、その場に臨むことが出来ました。
クリスチャンは皆、今後も、天地の造り主なる真(まこと)の神と救い主イエス・キリスト、そして福音を正しく証しし、説明や弁明をしなければならない場に立たされることがあると思います。しかし、その時こそ、いたずらに心を騒がせず、イエスが言われましたように、「鳩のように素直」に全知全能の神を心から信じ、イエスのお約束にとことん信頼し、私たちの心に働いて証言させて下さる聖霊を信じ委ねて、臨みたいと思います。
なお、ここで一言付け加えて言いますが、これは私たちが、キリスト教信仰と教理の全体について、勉強しなくても良いということではありません。そういう無責任な解釈は論外です。
聖書の御言葉の説き明かしである礼拝説教や祈祷会の聖書のメッセージは、よく食事に喩えられます。普段からキチンと食事をしていても、力を十分に発揮できない時がありますのに、ましてや普段から食事を十分に摂っていないなら、力は出ません。ですから、普段から聖書とキリスト教信仰についてよく考え、自覚的に学び、質問をされるとかキリスト教信仰を弁明する時に、よく答えることができるように、是非、備えていたいと思います。
そういうことのためにも、当伝道所では、毎月、第三日曜日の礼拝後には家長婦人会や青年会があって学びをし、第一日曜日の礼拝後には教会学校成人科を持っています。それらを是非、利用したいと思います。
他のことはともかく、神ご自身と聖書の全ての御言葉に対して、常日頃から本当に「鳩のように素直」な者でいたいですね。
これで思い起こすのは、1986年4月29日に出された日本キリスト改革派教会・創立40周年記念宣言の「信仰の宣言」の中の「聖書について」です。その第五項の中にはこういう言葉があります。「(御言葉の)命令には従い、威嚇にはおののき、今と後の世の命についての約束はこれを信じる。」本当にこのように「鳩のように素直」な者でいたいと思います。そして特に、神のお約束を全く素直に信じる者でありたいと願います。
すると、イザという時、聖霊が私たちに働かれ、蓄えて来たことをキチンと表明させて下さるでしょう。そのように、神の素晴らしい愛と福音を、分かりやすく丁寧に証しできれば、何と素晴らしいでしょうか。主イエスが、どうか私たち一人一人に聖霊を賜って御言葉の訓練をして下さり、私たちを知的にも霊的にも成長させ、多くの人の救いと神の栄光のために、豊かにお用い下さいますように!