聖書の言葉 12:20 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。ローマの信徒への手紙 12章10節 メッセージ ローマ12章以降は、教会生活をも含めたクリスチャンの実生活への教えに満ちています。今日は特にローマ12:10から「互いに尊敬し合う」という点を学びたいと思います もう20年以上前になりますが、『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』という本が出版されました。長野県立子供病院にある長期入院の子供のための病院学級で、子供たちの書いた詩が出ています。精一杯病気と戦って生きている子供たちの心の中が描き出され、大変教えられます。 そこから、詩を四つ紹介致します。 まず、本の題名になりました宮越由貴奈ちゃん(小学4年生)の「命」という詩です。 「命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。でも電池はいつか切れる。命もいつかはなくなる。電池はすぐに取り換えられるけど、命はそう簡単には取りかえられない。何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだ。命がないと人間は生きられない。でも『命なんかいらない』と言って、命を無駄にする人もいる。まだたくさん命が使えるのに。そんな人を見ると悲しくなる。命は休むことなく働いているのに。だから、私は命が疲れたと言うまで、精一杯生きよう。」 お母さんによると、由貴奈ちゃんは5歳の時、神経芽細胞腫と診断され、抗癌剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、自家骨髄移植や他にも色々辛い治療を受け、入退院を繰り返し、この詩を書いた4カ月後、11歳で亡くなりました。これを書いた頃、テレビのニュースでは、いじめや自殺が多く、同じ頃、病院では一緒に入院していた友だちが何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友だちがいるのに自殺なんて、ということで彼女は小さな心を痛めていたのです。そして丁度、院内学級で電池の勉強をしたばかりでした。 次は、その由貴奈ちゃんのことを歌った田村由香ちゃん(小学5年生)の「ゆきなちゃん」という詩です。 「ゆきなちゃんは、合計2年間も病院にいる。治療で苦しい時もある。それなのに、人が泣いている時は、自分のことなんか忘れて、すぐ慰めてくれる。でも、たまあに、夜、静かに泣いていた時もあった。いつも慰めていたゆきなちゃんが泣くと、こっちがどうしていいか、分らなくなる。ゆきなちゃんの泣いている姿を、ただじっと見ているだけだ。ごめんね、慰められなくて、ゆきなちゃん、ごめんね。」 次は、佐藤由紀ちゃんの詩です。お母さんによると、由紀ちゃんは2歳3カ月で神経芽細胞腫と診断され、5歳で亡くなりました。粒や粉、液体と、色々な薬を飲み、飲んだ直後に吐いたことも何回かありましたが、子供ながらにも飲まなくては治らないと思って、頑張りました。しかし、血圧を下げる薬は本当にイヤだったようです。その由紀ちゃんのこんな詩があります。 「ゆきの一番苦手な薬、それはルゴールです。飲んだあと、とても辛いんです。でも飲んだあとは、チョコ、あめなど、甘い物を食べます。おいしい薬はどこかにないかな?そうすれば毎日楽しく飲めるのに。ママ曰く(いわく)。ママも風邪を引いた時はおいしい薬がいいな!誰か開発して下さい。よし、お薬、これからも頑張るぞ」 2歳年下の妹さんがいて、由紀ちゃんは家に帰る度に、一緒に遊んでよく面倒を見てあげる、とても優しい子供でした。彼女が亡くなる少し前、4歳の時に作った「外泊」という詩をご紹介します。 「今日から楽しい外泊だ!おうちに帰ったら何を食べよう、何して遊ぼうか。よし、まずは、おいしいものを食べよう、納豆に、カレーうどんに、ラーメンに…。…とまあ、お金のかからないようなものばかりです。あっ、たまにはスナック菓子も食べようっと!そして、わが妹ゆみちゃんとも遊んであげなくては!ゆみちゃんは、ゆきねえちゃんのこと大~好きだからナ!よ~し!ゆみちゃん、あっそぼ~。」 子供病院の血液・腫瘍科の石井医師は後書で、「医者は患者に育てられる。この文集には子供達の視点で書かれた素直な気持ちが載せられており、僕にとって掛け替えのない貴重な教科書となっている」と書いておられます。本当にそうだと思います。 聖書が言う通り、私たち人間には皆、罪の性質があり、救い主イエス・キリストを必要としています。しかしまた、御子イエスを私たちの救い主として十字架につけられた程に、私たちを愛しておられる神の一般恩恵により、良いものも一人一人に与えられています。子供たちにさえ優しく真実なものが見られ、私たちは大切なことを本当に教えられます。 ローマ12:10が「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手を優れた者として尊敬し合いなさい」を心に留め、互いにへりくだり、子供たちをも含め、皆が互いに尊敬し合う岡山西教会とされていきたいと思います。 関連する説教を探す 2024年の祈祷会 『ローマの信徒への手紙』
ローマ12章以降は、教会生活をも含めたクリスチャンの実生活への教えに満ちています。今日は特にローマ12:10から「互いに尊敬し合う」という点を学びたいと思います
もう20年以上前になりますが、『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』という本が出版されました。長野県立子供病院にある長期入院の子供のための病院学級で、子供たちの書いた詩が出ています。精一杯病気と戦って生きている子供たちの心の中が描き出され、大変教えられます。
そこから、詩を四つ紹介致します。
まず、本の題名になりました宮越由貴奈ちゃん(小学4年生)の「命」という詩です。
「命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。でも電池はいつか切れる。命もいつかはなくなる。電池はすぐに取り換えられるけど、命はそう簡単には取りかえられない。何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだ。命がないと人間は生きられない。でも『命なんかいらない』と言って、命を無駄にする人もいる。まだたくさん命が使えるのに。そんな人を見ると悲しくなる。命は休むことなく働いているのに。だから、私は命が疲れたと言うまで、精一杯生きよう。」
お母さんによると、由貴奈ちゃんは5歳の時、神経芽細胞腫と診断され、抗癌剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、自家骨髄移植や他にも色々辛い治療を受け、入退院を繰り返し、この詩を書いた4カ月後、11歳で亡くなりました。これを書いた頃、テレビのニュースでは、いじめや自殺が多く、同じ頃、病院では一緒に入院していた友だちが何人か亡くなりました。生きたくても生きられない友だちがいるのに自殺なんて、ということで彼女は小さな心を痛めていたのです。そして丁度、院内学級で電池の勉強をしたばかりでした。
次は、その由貴奈ちゃんのことを歌った田村由香ちゃん(小学5年生)の「ゆきなちゃん」という詩です。
「ゆきなちゃんは、合計2年間も病院にいる。治療で苦しい時もある。それなのに、人が泣いている時は、自分のことなんか忘れて、すぐ慰めてくれる。でも、たまあに、夜、静かに泣いていた時もあった。いつも慰めていたゆきなちゃんが泣くと、こっちがどうしていいか、分らなくなる。ゆきなちゃんの泣いている姿を、ただじっと見ているだけだ。ごめんね、慰められなくて、ゆきなちゃん、ごめんね。」
次は、佐藤由紀ちゃんの詩です。お母さんによると、由紀ちゃんは2歳3カ月で神経芽細胞腫と診断され、5歳で亡くなりました。粒や粉、液体と、色々な薬を飲み、飲んだ直後に吐いたことも何回かありましたが、子供ながらにも飲まなくては治らないと思って、頑張りました。しかし、血圧を下げる薬は本当にイヤだったようです。その由紀ちゃんのこんな詩があります。
「ゆきの一番苦手な薬、それはルゴールです。飲んだあと、とても辛いんです。でも飲んだあとは、チョコ、あめなど、甘い物を食べます。おいしい薬はどこかにないかな?そうすれば毎日楽しく飲めるのに。ママ曰く(いわく)。ママも風邪を引いた時はおいしい薬がいいな!誰か開発して下さい。よし、お薬、これからも頑張るぞ」
2歳年下の妹さんがいて、由紀ちゃんは家に帰る度に、一緒に遊んでよく面倒を見てあげる、とても優しい子供でした。彼女が亡くなる少し前、4歳の時に作った「外泊」という詩をご紹介します。
「今日から楽しい外泊だ!おうちに帰ったら何を食べよう、何して遊ぼうか。よし、まずは、おいしいものを食べよう、納豆に、カレーうどんに、ラーメンに…。…とまあ、お金のかからないようなものばかりです。あっ、たまにはスナック菓子も食べようっと!そして、わが妹ゆみちゃんとも遊んであげなくては!ゆみちゃんは、ゆきねえちゃんのこと大~好きだからナ!よ~し!ゆみちゃん、あっそぼ~。」
子供病院の血液・腫瘍科の石井医師は後書で、「医者は患者に育てられる。この文集には子供達の視点で書かれた素直な気持ちが載せられており、僕にとって掛け替えのない貴重な教科書となっている」と書いておられます。本当にそうだと思います。
聖書が言う通り、私たち人間には皆、罪の性質があり、救い主イエス・キリストを必要としています。しかしまた、御子イエスを私たちの救い主として十字架につけられた程に、私たちを愛しておられる神の一般恩恵により、良いものも一人一人に与えられています。子供たちにさえ優しく真実なものが見られ、私たちは大切なことを本当に教えられます。
ローマ12:10が「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手を優れた者として尊敬し合いなさい」を心に留め、互いにへりくだり、子供たちをも含め、皆が互いに尊敬し合う岡山西教会とされていきたいと思います。