2024年02月08日「敬虔―神を畏れることの大切さ」

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敬虔―神を畏れることの大切さ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
コヘレトの言葉 12章13節~14節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:13 結局の所、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てである。
12:14 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、全ての業(わざ)を裁かれるからである。コヘレトの言葉 12章13節~14節

原稿のアイコンメッセージ

 敬虔という言葉を私たちはしばしば耳にし、自分でも使うと思います。しかし、それはどんな意味で使われているでしょうか。「彼は敬虔なクリスチャンだ。彼女は実に敬虔な人だ」などと言われますね。

 こういう場合、大抵それは、誠実、真面目、慎み深い、謙遜、品行方正、礼儀正しいというような意味だと思います。それはそれで良いと思いますが、聖書における敬虔の意味は少し違います。新約聖書の元の言葉、ギリシア語ではエウセベイアと言い、良く恐れるという意味です。ビクビクしてではなく、畏れ敬うということです。

 では、何を畏れ敬うのでしょうか。天地万物を無から創られ、今も全てのものを保持し、統治し、導いておられる生ける真(まこと)の神、全く正しく聖い絶対者なる神を畏れ、敬い、かしこむことです。今お読みしました伝道者の書12:13が「結局の所、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てだ」と言うように、真の神を畏れ敬うことこそが、聖書でいう本当の敬虔なのです。

 従って、どんなに外面的に礼儀正しく、慎み深く、謙遜で慇懃(いんぎん)であっても、内面では創り主にして絶対者なる真の神への畏れがなく、高慢で自我が強ければ、本当の敬虔ではありません。人の前でどうであるかという前に、私たちを造られ、私たちの隠れたことまで全てをご存じの永遠者、絶対者なる真の神の前で、或いは、神との関係において、本当はどうなのかが、何よりも深く鋭く問われるのです。

 ところで、こうした敬虔さは、神に創られた人間として本来は当然あるべきことなのですが、同時に、素晴らしい祝福でもあることを聖書は教えています。そこで今日は、その点を心に留めたいと思います。

 第一に、これは私たちを真に謙遜な者、謙った(へりくだった)者にしますから幸いです。

 先程お読みしました伝道者12:14が「神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、全ての業(わざ)を裁かれる」と言いますように、私たちの隠れた行いは勿論、心の中まで全て見通される真の神を知る時、人は初めて本当の意味で謙虚な者になり得ます。そして真に謙虚な人は、色々なことや色々な人からも多くの尊い大切なことを学び、吸収でき、豊かな人格に成長できます。すると、自ずと周りの人とも色々素晴らしい尊いものを分かち合い、他者を本当の意味で助け、支え、励まして上げることもできます。また信頼もされます。何と尊く、幸いでしょうか。

 第二に、神を畏れることは、私たちに真の自由を与えます。

 神を畏れることを不自由と思う人は、多いと思います。実は私も教会に行ってクリスチャンになる前は、そう思っていました。事実は逆でした!絶対的なものを本当に知る時、それまで私たちを縛っていた無意味な因襲や奇妙なしきたり、迷信、間違った価値観や権威、物の見方などが全て相対化されるからです。絶えず人の目を気にして、自分のメンツを守ることに一生懸命で人前で繕ってばかりいる情けない偽善からも解放されます。イエスがヨハネ福音書8:32で弟子たちに言われた通りです。「真理はあなた方を自由にします。」

 第三に、神を畏れることは、私たちを真に勇気と希望のある者にします。

 何故でしょうか。神を心底畏れる時、神以外のものに対する恐怖が自ずと相対化され、絶対的な恐怖でないことを知るからです。

 人を恐れてビクビクすることもありました弟子たちに、イエスはある時こう言われました。マタイ福音書10:28「体を殺しても、魂を殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、魂も体もゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」

 実は、神を真に畏れ敬うとは、全知全能の絶対者、永遠者なる神が、私たちの無限、永遠、不変の救い主また味方となって下さることと同じなのです。ですから、パウロはローマ書8:31~39でこう語ることができました。「神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。…私はこう確信しています。死も、命も、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高い所にあるものも、低い所にあるものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 死の力さえも、神を真に畏れ、御子イエス・キリストに心底依り頼む者を、断じて神の愛から引き裂いて永遠の滅び、永遠の死に至らすことはできないのです。 

 

 真の神を良く畏れる、すなわち、敬虔ということが如何に幸いで尊いかが、良く分ると思います。どうか神が、私たちを本当の敬虔へと導き、高めて下さいますように!

 最後にもう一度、伝道者の書12:13をお読みします。「結局の所、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとって全てである。」

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