2024年01月07日「主を喜び歌え」

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主を喜び歌え

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 33章1節~22節

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33: 1 正しい者たち。主を喜び歌え。賛美は 直ぐな人たちにふさわしい。
33: 2 竪琴に合わせて 主に感謝せよ。十弦の琴に合せて ほめ歌を歌え。
33: 3 新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。
33: 4 まことに 主のことばは真っ直ぐで、そのみわざはことごとく真実である。
33: 5 主は正義と公正を愛される。主の恵みで地は満ちている。
33: 6 主のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口の息吹によって。
33: 7 主は海の水をせき止めて集め、湧き出る水を倉に納められる。
33: 8 全地よ 主を恐れよ。すべて世界に住む者よ。主の前におののけ。
33: 9 主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは立つ。
33:10 主は、国々のはかりごとを破り、もろもろの民の計画をくじかれる。
33:11 主のはかられることは、とこしえに立ち、御心の計画は、代々に続く。
33:12 幸いなことよ。主を自らの神とする国は。神がご自分のゆずりとして選ばれた民は。
33:13 主は、天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる。
33:14 御座が据えられた所から、地に住むすべての者に目を留められる。
33:15 主は、一人ひとりの心を形造り、わざのすべてを読み取る方。
33:16 王は、軍勢の多きさでは救われない。勇者は力の強きさでは救い出されない。
33:17 軍馬も勝利の頼みにはならず、軍勢の大きさも救いにはならない。
33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。
33:19 彼らのたましいを死から救い出し、飢饉のときにも、彼らを生かし続けるために。
33:20 私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け、私たちの盾。
33:21 まことに 私たちの心は主を喜び、私たちの聖なる御名に拠り頼む。
33:22 主よ、あなたの恵みが、私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望むときに。
詩編 33章1節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 当教会の今年の標語は「福音の力を信じ、喜びと希望をもって歩もう」という、とても前向きなものです。そこで今朝は、信仰を力強く教える詩篇33に学びたいと思います。

 最初に全体的なことを言います。

 1節は「正しい者たち、主を喜び歌え。賛美は、直ぐな人たちに相応しい(ふさわしい)」と言い、神賛美を強く促します。「相応しい」とある元のヘブル語には、美しいという意味もあります。神の民にとって相応しくないことは沢山ありますが、神を賛美することは相応しく、何より神ご自身が喜ばれる美しいことなのです。是非、覚えておきたいと思います。

 「相応しい」というこの点ですが、実は、主を喜び歌うことで、信仰は大変励まされ強められるのです。私たちには、この世で絶えず苦しみがあり、信仰の戦いがあります。この世は根本的に神に背く罪の世だからです。ですから、詩篇119:136は「私の目から涙がとめどなく流れ落ちます。彼らがあなたの御教えを守らないからです」と言い、イエスも弟子たちに言われました。ヨハネ16:33「世にあっては苦難が」あると。

 この厳しい現実の中で生きる主の民を最も励ましてきたことの一つは、実は主を喜び歌う賛美でした。旧約時代、詩篇はエルサレム神殿礼拝で歌われ、苦難の時にも繰返し神の民をどんなに支えて来たことでしょうか。新約時代も同じです。ですから、ルターやカルヴァンを初め宗教改革者たちも、あの困難な時代に、詩篇を皆と共に礼拝でよく歌いました(ルターの詩篇46篇に基づく讃美歌267「神はわがやぐら」、カルヴァンによる「ジュネーヴ詩篇歌」など)。

 詩篇33に戻ります。まず導入部の1~3節は、神賛美を強く促します。

 1節の「正しい者たち」も「直ぐな人たち」も、完全な人たちという意味ではありません。神を恐れ、神との契約に生きようとする普通の信仰者を指します。1節の「喜び歌え」は「喜び叫べ」という位の意味であり、2、3節からも分りますように、詩篇33篇は私たちにまず賛美をとても強く促します。

 信仰がありましても、常に神を賛美し、3節「新しい歌を」、つまり、新たな感謝や喜びをもって賛美することは決して容易ではありません。しかし1節は、「主を」喜び歌え、喜び叫びなさい、と促します。ここに大切なことを教えられます。

 私たちが自分やこの世だけを見るなら、賛美が困難な時が多々あります。しかし聖書は、私たちが「主」に心を向けることを教えます。詩篇121も「私は山に向って目を上げる。…私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」と言い、神を見上げます。

 では、神を見上げると、何故喜びと希望が生れるのでしょうか。その理由を4、5節が総括的に語ります。「まことに、主の言葉は真っ直ぐで、その御業はことごとく真実」であり、5節「主は正義と公正を愛され…、主の恵みで地は満ちている」と言い、主の御言葉と御業(みわざ)に注目させます。

 そして続く6~19節で、この二つの素晴らしさを、4つの面から語ります。

 第一は6~9節で、神の言葉には創造的な力があることです。6節で、創世1章が伝える通り、神は天と地をただ力ある言葉によって創られたこと、7節で、万物を最初の混沌状態から神がただ御言葉により秩序づけられたことを振り返ります。それに基づき、8節は全ての人に主を恐れることを命じ、その理由を9節で語ります。

 とにかく6~9節は、御言葉には創造的な力があることをしっかり確認します。神の言葉は天と地を無から創り、無秩序を秩序に変える力が本当にある!だから、生れながらに霊的に死んでいたどうしようもない私たち罪人をも、御言葉は救い、命を与え、霊的に成長させ、御国を継がせる力がある。使徒20:32が「御言葉は、あなた方を成長させ、聖なる者とされた全ての人々と共に、あなた方に御国を継がせることができる」と言う通りです。弱い私たちですが、御言葉を聴き続けるなら、御言葉と共に働かれる御霊が私たちを助け。支え、救って下さいます。従って、この神の御言葉の故に、信仰者には希望と喜びがある!これが第一の点です。

 第二は10、11節、世界の歴史、特に国々を全て、神が摂理をもって支配しておられることです。10節「主は、国々の計りごとを破り、諸々の民の計画をくじかれる。主の計られることはとこしえに立ち、御心の計画は代々に続く。」

 旧約時代、主を信じる小さな国イスラエルは、常に大国に苦しめられました。しかし、そのイスラエルを脅かし、諸国を支配した国々はどうなったでしょうか。自分の力を誇り、豪語したエジプト、アッシリア、バビロン、メディア・ペルシアなどは、皆滅びました。所が、イスラエルは残りました。ですから、12節「幸いなことよ。主を自らの神とする国は。主がご自分の譲りとして選ばれた民は」と言うのです。

 神の摂理の御業は、世界歴史や国々にまで及ぶ!ですから、神の憐れみにより神の民とされた信仰者は、本当に幸いなのです。

 神の御業の三つ目は、13~15節、つまり、神が一人一人の心と行いをも見ておられることです。神のご支配は、一人一人の心と行いにも及び、神は隠れたことも全てご存じです。ヘブル4:13は言います。「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目には全てが裸であり、曝さらけ出されているのです。」

 ですから、神を侮っていますと、とんでもないことになります。神は私たちの行いは勿論、私たちが心で密かに思うことも全部お見通しです。ガラテヤ6:7は言います。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」

 けれども、神を恐れる神の民にとって、全てを神に知られていることは、何と幸いでしょうか。たとえ私たちの苦しみ、悲しみ、涙に誰一人気付かなくても、神がご存じでないなど、あり得ません。ですから、詩篇139は冒頭でその喜びをこう歌います。「主よ、あなたは私を探り、知っておられます。あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。…言葉が私の舌にのぼる前に、何と主よ、あなたはその全てを知っておられます。」

 詩篇33篇に戻ります。

 神の御業の四つ目は、神を恐れ、神を待ち望む者には、摂理をもって神が必ず救いを完成して下さることです。16~19節は歌います。「王は、軍勢の大きさでは救われない。勇者は、力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず、軍勢の大きさも救いにはならない。見よ、主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。彼らの魂を死から救い出」すと。

 主を恐れ、御言葉を一つ一つ愛し、従おうとする人は、マタイ7章の終りで、イエスが言われました「岩の上に家を建てた賢い人」のように、どんな試練にも死にも耐え、それどころか、最後で最大の試練である死後の神の審判にも耐えられます。そして主から「よくやった。良い忠実なしもべだ」とお誉めの言葉を頂き、主と共に、永遠の御国を受け継ぐ光栄に与るのです。

 そこで、最後の20節以降で詩篇33 篇は、神に一切の望みを託せることのできる幸いを歌い、神への祈りへと信仰者を誘って終ります。「私たちの魂は主を待ち望む。主は私たちの助け、私たちの盾。まことに私たちの心は主を喜び、私たちは聖なる御名に拠り頼む。主よ、あなたの恵みが、私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望む時に。」

 困難に次々襲われながらも、旧約時代も新約時代も、いいえ、あらゆる時代の信仰者が、実は神賛美をもって魂を鼓舞され、主の民として生き抜いてきたことを、改めて教えられます。

 今年が、私たち一人一人と当教会にとって、どんな年になるかは分りません。しかし私たちは、神が与えて下さった信仰により、神を仰ぎ、創造と摂理の御業に鮮やかに表されている神の御言葉と御力を改めて覚えて、主を喜び歌い、また神が御自分を恐れ頼る者たちにご用意下さっている助けと幸いに、是非皆でしっかり与りたいと思います。

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