2023年12月31日「数えてみよ、主の恵み」

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数えてみよ、主の恵み

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 103章1節~5節

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標題  ダビデによる。

103:1 わがたましいよ、主をほめたたえよ。
    私のうちにあるすべてのものよ
    聖なる御名をほめたたえよ。
13: 2 わがたましいよ 主をほめたたえよ 主をほめたたえよ。
    主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
13: 3 主はあなたのすべての咎を赦し
    あなたのすべての病を癒やし
13: 4 あなたのいのちを穴から贖われる。
    主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
13:5 あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。
    あなたの若さは 鷲のように新しくなる。
 詩編 103章1節~5節

原稿のアイコンメッセージ

 今年最後の日の今朝、このように皆様と神を礼拝出来ることに心から感謝致します。

 今、詩篇103:1~5を読みました。標題に「ダビデによる」とありますが、元のヘブル語から見て「ダビデを覚えて」というような意味でしょう。全体から見て、この詩篇103篇は、紀元前538にありましたバビロン捕囚からの解放後の歌と思われます。

 まず第一部の1、2節で、詩人は自分自身に神賛美を強く促します。第二部が3~19節です。そして第三部の20節以降で、詩人は自分をも含めた全被造物に「主を誉め讃えよ(ほめたたえよ)」と再度促して、終ります。

 少し見ておきます。1節「わが魂よ、主を誉め讃えよ」と詩人は自らに神賛美を命じ、しかも2行目で「私の内にある全てのものよ」と、手も足も内臓もひっくるめて自分の全存在に向って、3行目「聖なる御名を誉め讃えよ」と、神賛美を強く促します。

 続く2節で「わが魂よ、主を誉め讃えよ」と再び促し、2節2行目「主が良くして下さったことを何一つ忘れるな」と念を押します。

 ここに、私たちは神賛美の基本姿勢を教えられます。それは、私たちが何かのついでのようにチョコっと神を讃えるのではなく、「自分の全存在をあげて神を讃えるのだ」という位の意識で神を讃えることです。それでこそ、神が最高に喜ばれる賛美になるのです。

 では、詩人は何故そこまで神を賛美するのでしょうか。その理由が、第二部の3~19節で述べられます。今朝は時間の関係で殆ど触れられませんが、詩人は色々な点で主の恵みを思い起し、列挙し、主の恵みを数え上げています。

 このことで、新聖歌の172番の歌詞を思い起します。1節を読んでみます。「望みも消え行くまでに、世の嵐に悩む時、数えてみよ主の恵み、汝が心は安きを得ん。数えよ 主の恵み、数えよ 主の恵み、数えよ 一つずつ、数えてみよ主の恵み。」

 この通り、苦しみや困難に直面し、溜息(ためいき)しか出そうにないような時にこそ、私たちは、聖書で学び、実生活でも体験した神の様々な恵みを一つずつ数える、つまり、具体的に思い起したいと思うのです。そして、実はこれが聖書の教える困難の克服方法の一つであり、困難は続いていても、私たちが自分を失わず、なお前進でき、また他の人の助けともなり得る方法なのです。

 2024年が、当教会と私たち一人一人にとってどんな年になるかは、誰にも分りません。でも、困難があることだけは間違いありません。この世が罪の世だからです。そうであるなら、自分の神信仰が強くて豊かであることが極めて大切です。が、そのためには、聖書の教え通り、主の恵みを忘れることなく、むしろ数え上げる、すなわち、一つずつ生き生きと思い出し、主の驚くべき愛と憐れみ、御力と真実を覚え、主を心から賛美することが大切です。それが私たちの信仰を守り、ますます強くします。

 3~19節を見ますと、例えば、8節「主は憐れみ深く 情け深い。怒るのに遅く 恵み豊かである」とか、11~13節「天が地上遥かに高いように、御恵み(みめぐみ)は 主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように、主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。父がその子を憐れむように 主はご自分を恐れる者を憐れまれる」とありますように、詩人は神の恵みの中で特に罪をお赦し下さる神のその驚くべき大きな赦しの愛と憐れみを語ります。

 これは実はとても大切なことです。困難の中、神の助けや導きなどを信じにくくなりやすい弱い私たちの信仰を何より根本から強めるからです。実際、イエス・キリストへの信仰の故に自分がとてつもなく大きな罪を赦されたことを体全体で覚えますと、現実には困難がなお続いていても、私たちは神を信頼し、神に委ねることを励まされ、信仰を強められます。

 また、自分の罪の赦しという最も根本的かつ中心的な神の愛と恵みを鮮やかに心に覚えることから、他の色々な点についての神の恵みと愛と憐れみをも思い出し、数えることが出来、神への信頼を本当に強められます。

 そこで、2023年に神から当教会に与えられた色々な恵みを少し数えてみたいと思います。無論、私たちには大変悲しく辛く、或いは反省し、悔い改めるべき点が沢山あります。

 例えば、ずっと伝道礼拝に出席して来られた一人の愛する姉妹が7月に天に召されたことは、とても悲しく、淋しいことでした。

 ある他住会員たちが今年も礼拝から離れたままであったことは悲しく、私たちの祈りの不熱心さを覚えます。教会員やその家族が、病気で今苦しんでおられることは、私たちにも辛いです。

 しかし、今日は特に恵みの方を忘れずに、順不同でいくつか数えてみたいと思います。

 第一に、53回ありました通常の主日(日曜)礼拝に加え、4月2日に受難週礼拝、4月9日にイースター礼拝、4月23日に召天者記念礼拝、5月28日にペンテコステ礼拝、6月11日に特別伝道礼拝、9月3日に振起礼拝、10月29日に宗教改革記念礼拝、12月21日にキャンドル礼拝、12月24日にクリスマス礼拝など、全ての特別礼拝もちゃんと持つことが出来ました。これは、主の恵みでなくて何でしょうか。

 第二に、先週のクリスマス礼拝で、一人の若い兄弟が神と教会の前で公に信仰を告白し、現住陪餐会員になられたことも、主のどんなに大きな恵みであり、ご家族と全教会員への大きな励ましでしょうか。父・子・聖霊の三位一体の神が、豊かな恵みをもって実際に働いて下さいましたから、若い兄弟は心で信じ、口で告白すること(ローマ10:10参照)が出来たのでした。

 第三は、2月5日の定期会員総会で新しく一人の姉妹が伝道所委員に選出され、2月12日から伝道所委員としてご奉仕下さっていることです。これも、主の恵みであり私たちの教会への主の励ましでなくて何でしょうか。

 と同時に、これまで他の4人の伝道所委員が立てられ、微に入り細に入り、実に多くの奉仕をして下さって来たことが、どんなに大きな主の恵みかを改めて覚えたいと思います。

 

第四に、長い間猛威を振るってきました新型コロナウィルス感染症が、5月8日から5類感染症に変り、その結果、長く中断して来ました日曜礼拝後の愛餐会(あいさんかい)・昼食会を少しずつ再開出来、親しい交わりの時を再び与えられたことも、大変大きな恵みだったと思います。

 第五に、次期宣教教師(牧師)招聘委員会が発足し、活動を始められたことも、やはり主の恵みです。高齢の私が働けなくなってから、あわてて次の牧師を捜そうとしても、中々見つからない可能性が高いからです。

 それと、当伝道所にどんな牧師が必要かを普段から考えておくことは、結局、神に喜ばれるどんな教会を形成すべきかを、教会員一人一人が責任をもって考える機会となるからです。実際、8月11日の教会修養会では、『牧師を新しく迎えるにあたり』とのテーマで、参加者全員が自分のこととしてよく考え、発言し、よく話し合えました。これも、私たちをいつも心に留めていて下さる主イエス・キリストの大きな恵みではないでしょうか。主は事実、私たちに働かれ、導いておられるのです。

 第六に、今年は小豆島のクリスチャンとの繋がりが、より太くなったことが、主の恵みとしてあげられると思います。

 宿毛伝道所の他住会員で小豆島在住のあるクリスチャン夫妻と私との交流が、コロナ問題の起った2020年の中頃から始まりました。その繋がりが段々太くなり、今年は、そのご夫妻の家で月1回持たれる小豆島バイブル・スタディと呼ぶ集会に、私も毎回電話でとか、実際に向こうへ行って、祈りと御言葉の奉仕をさせて頂くようになりました。私が小豆島へ行けない時は、当伝道所の祈祷会のメッセージを聞いて、話し合っておられます。

 小豆島に教会はいくつかありますが、定住牧師は今、ゼロだと聞いています。神は当教会を小豆島にも関らせ、小豆島宣教に携わるように導いて来られたことを、覚えないではおられません。

 第七に、クリスマス・カードやメールやLINE(ライン)による挨拶をたくさん頂いたことに表れていますが、実に多くの方々が今も私たちと交流を持ち、私たちのために祈って下さっています。その中には外国からのものもあります。

 私たちがクリスマス・カードをお送りしたからという点もありますが、私たちは覚えられ、祈られているのです。私たちは独りぼっちではありません。これが主の恵みでなくて何でしょうか。

 他にもありますが、もう終ります。

 数えれば、驚くほど多くの主の恵みを、教会も私たち一人一人も、今年、頂いて来ました。ですから、まさしく詩篇103篇の2節2行目が言いますように、「主が良くして下さったことを何一つ忘れる」ことなく、主の恵みと励ましを覚え、信仰によって雄々しく新年に向いたいと思います。

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