2023年12月28日「自分から出向く」

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自分から出向く

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネの手紙一 1章1節~4節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分のメールで見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 この命が現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見たので証しして、あなた方に伝えます。
1:3 私たちがみたこと、聞いたことを、あなた方にも伝えます。あなた方も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためです。ヨハネの手紙一 1章1節~4節

原稿のアイコンメッセージ

 今年のクリスマスはもう終りました。しかし、毎年、クリスマス時期に繰返し覚えさせられることと言えば、何と言っても、この世界と私たち一人一人を造られた真(まこと)の神が、どんなに私たちを愛して下さっているか、ということでしょう。今日もその点を改めて覚えたいと思います。先程お読みしましたⅠヨハネ1:1~4は、一読した所、難しそうですが、結局はそれを語っています。

 1節「命の言」、2節「命」、そして「永遠の命」と言われているものは、どれも神の御子なるイエスご自身か、そのイエスが私たちに信仰を通して与えて下さる素晴らしい救いの祝福を指しています。ヨハネは、その祝福に手紙の読者たちをしっかり与らせるために、父なる神の許(もと)から来られた御子イエスを自分たちは証しし伝えるのであり、最終的には皆で3節「御父また御子イエス・キリストとの交わり」に与り、4節「私たちの喜びが満ち溢れるため」だと言います。

 2千年前、神の独り子(ひとりご)・主イエスは何のために、世に来られたのでしょうか。それは様々な問題や重荷に苦しみ、もがき、潰れそうになる私たち罪人を救い、最終的には永遠の命に与らせるため以外の何ものでもありませんでした。

 永遠の命とは、時間的にただ永遠なのではなく、私たちを、ただ愛をもって造られた父なる神、また御子イエス・キリストとの、御霊による親しい交わりに他なりません。最終的には、三位一体の神とのこの最高の交わりに私たちを招くために、神は特に御子イエスを凡そ2千年前、この罪とその結果である様々な悲惨の絶えないこの世に遣わされたのでした。

 もう12、3年前になりますが、ある年の11月のある週の『キリスト新聞』に、琵琶湖の東にある東近江市で、重い知的障害を持つ子供たちのための施設・止揚学園を1962年に設立され、ずっと一職員として働いてこられた福井達雨先生の興味深い文が出ていました。福井先生は昨年の9月に天に召されました。私たちの伝道所もこの止揚学園に献金を今年献げましたが、とにかく、福井達雨先生の文を少しご紹介致します。

 「止揚学園では、学校で停学処分を受けた中・高校生をよく預ります。先日、預っていた高校生のA君が、私に語りました。『僕は学校で野球部にいます。この前、何度注意しても練習に遅刻する友達がいて、耐えられずに殴りました。そうしたら、友達の方が間違っているのに、僕だけが停学になりました。学校のやり方はひどいです。』A君の顔に怒りが満ちていました。 

 その時、突然、そばにいた入園している仲間の三田さんが言いました。『僕やったら、遅れる友達の家に迎えに行って一緒に練習するわ。そしたら友達遅れへんのに。』

A君は黙り込んでしまいました。

 1か月ほどしてA君が学校に帰る日、『三田さんが「友達を迎えに行く」と言った時、三田さんのように友達を思いやる優しい心がなかったと気が付きました』と明るく語りました。」

 これを読み、私なら三田さんのように優しく友達を迎えに行くようなことを考えるだろうかと思わされ、すぐ人を非難するのでなく、どうすれば大切なことや喜びを共に分ち合えるのかという発想の転換の大切さを教えられました。

 と同時に、神が、永遠の命の祝福、すなわち、ご自分との喜びに満ちた最高の交わりに私たちを招き入れるために、いわば御子イエスにおいて、ご自分からこの世に出向き、私たちを迎えに来て下さったことに気付かされました。神は、私たちを愛するが故に、ご自分との親しい交わりに私たちを与らせたく、今も御霊と御言葉を通して私たちの所に出向き、迎えに来ておられるのです。

 またイエスは魂の羊飼いとして、今まで何度、ご自分から出向いて私たちを連れ戻して下さったことでしょうか。

 ここに私たちへの神の根本的な姿勢のあることに改めて気付かされます。何という神の愛でしょうか。そして、イザヤ書46:4に「あなた方が年を取っても、私は同じようにする。あなた方が白髪になっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。私は運ぶ。背負って救い出す」とある通り、私たちの所まで来て下さった主イエス・キリストは、ご自分を信じ、受け入れ、依り頼む者を、必ず最後まで持ち運び、私たちが弱った時には背負って永遠の命の祝福に入れて下さるのです。

 この神の愛を覚え、私たちも主に愛され生かされている祝福を分かち合うために、教会の兄弟姉妹たちへは勿論ですが、求道中の方々や、まだ求道という所まで行っておられない方々の所へも、私たちの方から少しでも出向き、交わりを深められれば、と願います。

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