2023年12月07日「ヨセフへの神の愛」

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。
1:23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは訳すと、「神が私たちとともにおられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると主の使いに命じられたとおりにし、その妻を迎え入れたが、
1:25 子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。マタイによる福音書 1章18節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 十戒を続けて学んで来ましたが、アドベントに入りましたので、今日はクリスマス関連の御言葉を見ます。クリスマス関連の聖書箇所は限られていますが、同じ所でも、見る角度によって教えられることは違います。今日はヨセフへの神の愛を学びます。

 では、どんな点でそれが見られるでしょうか。一つは、彼が全世界の救い主イエス・キリストの育ての親となる光栄に与ったことです。

 私たちが罪と滅びからの救いに与れる(あずかれる)こと自体、神の愛による選び以外の何ものでもありません。エペソ1:4は言います。「神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」

 しかし、ヨセフは更に主イエスの育ての親となる光栄ある者に選ばれました。彼は生涯、そういう役割に彼を選ばれた神の愛を覚え、それに応えて一生懸命生きたと思います。

 このことは、今の私たちクリスチャンにも無関係ではありません。確かに、私たちはヨセフのようなすごい役割を頂いているわけではありません。しかし、教会では勿論、自分の家族や周囲の色々な方々とイエス・キリストの救いの恵みと祝福を分ち合うという、本当は素晴らしく光栄ある役割を頂いているのです。それは、神が私たちを愛しておられるから以外の何ものでもありません。ヨセフに尊い役割を与えられた神の愛という点から考えますと、改めて私たちにも向けられている神の愛を覚えないではおられません。

 二つ目は、ヨセフが苦しみ、もがいていた時、神が介入し、助けて下さったことです。そこにも神の愛がありました。

 彼の全く与り知らない所で婚約者マリアが妊娠したのですから、正しい人だった彼はすごく狼狽したでしょう。昔のユダヤでは、婚約は法律上では結婚と同じでした。従って、公に訴えれば、姦通罪でマリアは確実に死刑になります。しかし、それは彼の望むことではありません。

 彼は随分悩んだでしょう。残る道は、密かに縁を切ることです。そうすれば、彼女は遠い場所で、何とか生きていけるかも知れません。

 そう決心した時、夢で主の使いが、ことの次第を教え、ヨセフは迷わず彼女を迎え入れました。信仰深いだけに、苦しみもがくヨセフ!こんな彼を、神が愛しておられないはずがありません。ですから、神は介入され、助けて下さったのでした。

 神が、ご自分の愛しておられるヨセフに介入されたことは、先程は読みませんでした2:13~15;19~23にも記されています。2:13以降では、ヘロデ王の手から逃れさせるために主の使いが再び夢で現れ、ヨセフに、幼子イエスとマリアを連れてエジプトへ逃げるように告げます。2:19で、御使いはまた夢に現れ、ヘロデが死にましたので、エジプトから帰るようにヨセフに告げ、3人は帰ります。しかし、ヘロデの息子アルケラオが後を継いだと聞き、ヨセフは恐れます。けれども、22節、再び夢で警告があり、ヨセフは北のガリラヤに退き、ナザレに住み、3人は危険から守られました。

 ヨセフへの神の介入は、御子イエスの命を守るという目的が当然ありましが、ヨセフを神が愛されたのでなくて、何でしょう。

 このことは、私たちにも無関係ではないと思います。ヨセフに神が夢の中で御使いを用いて介入されたようには、今日、私たちに介入されることは、まずないでしょう。私もあと3か月で、受洗後、56年となります。その間には、とても苦しく、不安なことや悩んだことがありましたが、夢で神が直接介入されたことは一度もありません。

 しかし、こういうことは言えると思います。大きな問題に遭遇し、解決の方法は分らず、もうこれで自分は駄目になるかも知れないと絶望的な思いになり、しかし、ローマ8:28「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、全てのことが共に働いて益となることを、私たちは知っています」という御言葉を思い出し、「そうだ!問われているのは、実は神への私の愛なのだ。神を信じるだけでなく、私が神を本当に愛しているなら、今はまだ先のことは何も分らなくても、神はいつか必ず万事を益として下さるのだ」と思い至り、私は改めて自分を省み、神を愛しました。

 こうして御言葉の真理を改めて心に示されることも、神の介入の一つだと思います。そして実際そのように自分を省み、神への自分の愛を問い直して生きた時、神は不思議なことにいつの間にか問題を乗り越えさせて下さったことが、私には何度かあります。神は今、こういう形ででも私たち信仰者に介入して下さるのだと思います。そして更に言うなら、神は私たちを愛していて下さるが故に、他の人からのアドバイスや注意を通しても、私たちに介入し、助けて下さるのだと思います。

 ヨセフへの神の愛とそれ故の介入を思い、私たちも改めて神を見上げ、愛し、様々な形での神の、そして主イエス・キリストの介入という愛を、是非、体験させられたいと思います。

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