2023年11月02日「十戒の学び49 第八戒5」

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十戒の学び49 第八戒5

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章15節

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20:15 盗んではならない。出エジプト記 20章15節

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 今日で第八戒の学びを、一応終るつもりです。

 今日、心に留めたいことは、第八戒の持つ積極的な面、すなわち、労働についてです。

 前にも申しましたが、紀元1世紀の初代教会には、奴隷の身分でクリスチャンになった者も多く、長年の習慣から主人の物を盗む癖を持ち続ける者もいました。そこでパウロはエペソ4:28で「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい」と教えました。背後に第八戒「盗んではならない」があるのですが、パウロは「困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい」と、労働とその目的の一つも教えます。つまり、第八戒でパウロはキリスト教労働観の一端を教えるのです。今日は極簡単にそれを見たいと思います。

 まず、労働の第一の意義は対自的、すなわち、自分や自分の家族が生きるためです。盗みをしないためには、働く必要があります。病気や障害、高齢や他の理由で働けない人は別ですが、働ける者は働いて生きるのです。

 神が創造された自然界の生物も皆、働いて生きています。怠惰ではありません。鳥はあちこち飛び回って餌を捜し、野の草花は根を地中に伸ばして水分や栄養を吸い上げ、葉では光合成をし、懸命に働いて生きています。まして神に象って(かたどって)造られた者、あるいは「創造の冠」として造られた人間は、当然、怠惰ではなく、可能な限り働いて食べ、そうして神の御手の中に生きるのです。

 パウロは言います。Ⅱテサロニケ3:10~13「あなた方の所にいた時、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。ところが、あなた方の中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにお節介ばかり焼いている人たちがいると聞いています。そのような者たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」

 更に言いますと、実は第八戒に促されて労働に励む時、私たちが罪から守られるという恵みもあります。堕落により人間の中に入ってきた罪は、大変厄介なものになりました。その一つは、何もしない暇(ひま)な時、人は心が緩み、不信仰になり、罪を犯しやすいことです。Ⅱサムエル11章が伝えますように、ダビデは、一段落して暇だった時、ウリヤの妻バテ・シェバと姦淫の罪を犯しました。心の隙(すき)と緩み(ゆるみ)を突いてサタンは私たちの罪の性質を刺激し、罪を犯させるのです。逆に、第八戒の積極的な面である労働に一生懸命な時、私たちは罪から守られやすい。感謝なことですね。

 労働の第二の意義に進みます。それは対人的なものです。先程のエペソ4:28が言いますように、「困っている人に分け与える」という隣人愛の積極的な意義があります。

 申命15:11でモーセは、古代イスラエル民族が神の約束の地カナンへ入った後も、「貧しい人が国の内から絶えることはない」と、罪の世の厳しい現実を預言しました。実際、助けの必要な貧しい人が絶えることは決してありません。だからこそ、働ける者は働き、税を納め、公的福祉の形や個人的な形ででも、貧しい人たちの命と生活を皆で支え、神の恵みを分ち合う「共生」の社会を維持するのです。

 盗みをせず、自分や自分の家族を養うためだけでなく、労働の第二の意義、すなわち、困っている方々と共に生き、神の恵みを分ち合う隣人愛の実践という積極的意義のあることを是非、覚えたいと思います。

 三つ目は対神的意義です。すなわち、人を罪と永遠の滅びから唯一救うことのできるイエス・キリストの福音の宣教、伝道のためであり、また教会を愛と聖さ(きよさ)に満ちたキリストの体として建て上げ、信徒がイエス・キリストに似る者へと成長する教会形成のためです。

 このために、歴史を通じてクリスチャンは皆、世界中で色々な形で自発的に献金をしてきました。私たちの労働の実の一部を献げる献金は、主イエスによる永遠の命と日毎の神の恵みに対する感謝の徴ですが、同時に、神の器として自分を献げる献身の徴でもあります。私たちクリスチャンの労働には、この世で福音が進展して多くの人が救われ、教会が成長し、神の栄光が顕され、一人でも多くの人が救われて最高の幸せに与るためにという、明確な対神的目的と意義があるのです。

 以上、「盗むな」という第八戒の積極的意義、特に労働、それも聖書の労働観の一端を見ました。私たちを生かし守り、隣人愛を行わせ、神の栄光を顕すことを可能とさせる第八戒と労働の意義を改めて覚えます。

 私たちの主イエスも、若い時にはナザレで大工として汗を流して家族をお支えになり、また全世界の救いのために天の父の御心に従い、十字架の死に至るまで忠実に働かれたことを思いますと、私たちの胸は熱くなります!主は誉むべきかな!

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