2023年10月26日「十戒の学び48 第八戒4」

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十戒の学び48 第八戒4

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章15節

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2:15 盗んではならない。出エジプト記 20章15節

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 第八戒を今日も学びます。

 改めて言うまでもなく、第一戒から第四戒は対神的戒めであり、第五戒以降は対人的戒めです。しかし、対人的と言っても、神と無関係なものは元よりありません。人間の内には神の形があります。従って、私たちは、対人的なことを通しても、間接的ではありますが、全ての点で神に相対しているのです。ですから、第八戒「盗んではならない」も、人のものを盗み、奪い、かすめ取る罪だけでなく、人に様々な所有を許しておられる神のものを、いわば盗み、ごまかす罪をも、根本において問われているのです。

 その一例が、旧約聖書のヨシュア記7章が伝えるアカンの罪です。古代イスラエル民族は、主なる神に導かれてエジプトを脱出し、40年後、約束の地カナンに入り、まずエリコの町を占領しました。うまく行きました。次にイスラエルはアイの町を攻撃しました。ところが撃退され、皆に動揺が広がりました。何故負けたのでしょうか。ユダ族のアカンが主の命令に背き、滅ぼし尽くすべき物の中から一部を自分のために盗み取り、いわば神のものを盗んだからでした。

 主の言葉に背いて自分のために何かを取っておく罪は、Ⅰサムエル記15章にも伝えられています。アマレクとの戦いで、神から「全てのものを聖絶せよ」と命じられていたのにも関らず、イスラエルの兵は値打ちのないものだけを滅ぼし、上等なものは自分たちのために残し、こうして神の物を盗んだのです。そこで、そういうことを兵士たちに許してしまったサウルを王に任じたことを、神はⅠサムエル15:10で「悔やむ」とまで言われたのでした。

 初代教会でも同様の罪が起りました。聖霊による素晴らしい御業(みわざ)がなされていたにも関らず、使徒の働き5章はアナニアとサッピラ夫妻が共謀し、売った土地の代金をごまかし、使徒たちの足許に置いたことを伝えます。真実を隠し、自分たちの信仰深さを周囲に印象付けようとする偽善の罪と共に、ここには神に献げようとしたものの一部をごまかす、つまり、神のものを盗むという罪が見られます。

 以上のことは、私たちに与えられている「持ち物」とは何だったのかという根本的なことを、今一度考えさせます。第八戒の1回目の学びで確認しましたように、ありとあらゆる私たちの持ち物は、御子イエス・キリストを通しての神の恵みによる頂きもの、預りものに他なりません。そして、その中の一部を私たちは取り分け、神への感謝と献身の徴として献げ、その献げ物を教会は、神の栄光を顕す活動と人の救いのための働きに用いさせて頂くのです。

 改めて言うまでもなく、神は、ご自分が私たちに与えて下さったものを、私たちが自分の生活の必要や様々な楽しみのために自由に使うことを、大いに許して下さっています。しかし、自分たちのためにはお金もふんだんに使い、取り分けておくのに、いざ神への献げ物や神が望んでおられる、例えば助けの必要な方々への献金となると、急に渋くなるのは、神のものを盗むことではないのかと、そういう点を第八戒から私たちは探られると思います。

 確かに私たちは、他人のものに手をかけたことも、ごまかし取ったこともないかも知れません。それは感謝なことです。しかし、積極的に神と人のために献げることについてはどうでしょうか。急に出し惜しみし、ケチになるということはないか。そこを問われると思います。「罪の赦しも永遠の命も天国も欲しい。だが、神と人のために献げるのはイヤだ」という人も、悲しいことに少なくないと思います。

 しかし、ここでよく考えたいと思います。神の独り子イエスは、神としての栄光をかなぐり捨てて人となられ、そのままでは永遠の死に至るどうしようもない自己中心な私たち罪人のためにあの惨い十字架に架かられ、命を献げて下さいました。しかもローマ5:8が言いますように、私たちがまだ神のことも自分のことも全然分っていない罪人であった時に、主イエスは私ために死んで下さいました。それは、ただただ愛による以外の何ものでもありませんでした。

 それなのに、主への献げ物は惜しみ、でも自分のためには惜し気もなく使うという人がいるなら、その信仰は何なのでしょうか。第八戒は言います。「盗んではならない。」

 パウロはコロサイ教会の信徒に言いました。コロサイ1:24「今、私は、あなた方のために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストの体、すなわち、教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けた所を満たしているのです。」

 神の栄光が顕され、より多くの人が平安で安全に暮すことができ、特に魂の救いの恵みに与れるために、自分の物を献げさせて頂くという、人間として最も素晴らしい清い喜び!幸い!第八戒は、こういう何ものにも代えがたい神と人への愛と奉仕という幸いに、私たちを押し出し、是非与らせようとする戒めでもあるのです。

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