Youtube動画 Youtubeで直接視聴する 聖書の言葉 4:6 私は既に注ぎの献げ物となっています。私が世を去る時が来ました。4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しい裁き主である主が、それを私に授けて下さいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、誰にでも授けて下さるのです。テモテへの手紙二 4章6節~8節 メッセージ 日本では今、10人に1人が80歳以上だそうです。元気な方もおられますが、大抵何か問題が起り、最後は死ですね。そういう中、私たちはどう生きると良いのでしょうか。 そこでまず、老年期の問題を見ておきます。第一は身体的問題です。 旧約聖書の伝道者の書12:3~5がこれを結構詳しく比喩的に描いていますので、見たいと思います。 3節「その日、家を守る者たちは震え、力のある男たちは身を屈め…」とあります。つまり、老人は手足が震え、背骨が曲がる。「粉をひく女たちは少なくなって仕事をやめ、窓から眺めている女たちの目は暗くなる。」つまり、歯が抜け、目も弱る。 4節「通りの扉は閉ざされ、臼をひく音もかすかになり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちは皆、うな垂れる。」つまり、耳は遠くなって聞き辛くなり、朝は鳥の声で目覚めますが、自分の声は張りを失う。 5節「人々はまた高い所を恐れ、道で怯える。」その通り、高い所が怖くなり、道で立往生する。「アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人はその永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。」要するに、髪は白くなり、足は重く、全てが萎え、死に向い、葬式で人が泣く。 聖書は老いの厳しさを伝え、真(まこと)の神に立ち帰らなければ、8節「空の空。伝道者は言う。全ては空。」本当にそうではないでしょうか。 次に精神機能の衰え、特に認知症も起ります。認知症には、アルツハイマー型、脳血管障害型、レビー小体型の三つがあると言われます。 アルツハイマー型は、脳に溜ったアミロイドβという特殊な蛋白質が神経細胞を壊して、脳が萎縮します。脳血管障害型は、脳卒中で脳細胞が破壊されて起ります。原因は脳動脈硬化症で、高血圧、糖尿病、高脂血症などが危険因子です。レビー小体型は、レビー小体と呼ばれる異常物質が脳組織に沈着します。症状に波があり、鬱(うつ)やパーキンソン症状、幻視、幻聴、記憶障害が起ります。 2025年には、日本の全人口の20%の人が認知症を有すると言われています。本当に驚きます。薬品の開発に期待すると共に、私たち自身もこれらを防ぐ努力が大切ですね。 第三に、配偶者との死別や介護できる家族の不足による孤独の問題も起ります。 私が淀川キリスト教病院に勤めていた時、93歳の男性患者は、寂しいのでしょう、「しんどい。お~い、お母さん」と、前年に死別した妻を大声でよく呼ばれ、子供はあまり来られませんでした。孤独の問題はどうしても増えます。 では、こういう中で多少とも意義深い老年期を生き、やがて確実に天国に入れられるためには、どうすれば良いでしょうか。聖書は、天地を創られた生ける真(まこと)の神に心を開き、特に私たち罪人の救いのために十字架で命を献げられた神の御子イエス・キリストを心から信じ、依り頼み、神と人に愛をもって仕えて生きることだと教えます。 実は、そのように生きたのが使徒パウロでした。テモテへの手紙の第二は、彼の最晩年の手紙であり、殉教も覚悟していました。しかし彼は言います。4:6~8「私は既に注ぎの献げ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しい裁き主である主が、それを私に授けて下さいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、誰にでも授けて下さるのです。」 ここには、深い落ち着きと自分の人生についての感謝、神の御子イエス・キリストによる天国の確信、神の前に誠実に生きた人たちへの愛も見られます。静かな信仰と喜び、人への愛が滲み出ています。私たちもこういう晩年を送れるなら、何と幸いでしょうか。実は、天におられる救い主イエス・キリストへの信仰が、私たちにこれを可能とさせるのです。 では、人生のたそがれを、具体的にはどう生きると良いでしょうか。 第一は、何と言っても体を大切にすることです。 神は私たちの体を創られ、愛しておられます。ですから、私たちも自分の体を愛し、つまり大切にし、最後まで極力健康に保ち、自分の体を神と人と自分のために善く用いたいと思います。寿命は神の決定事項です。しかし、努力で防げる病気もあります。歳(とし)相応の衰えは仕方ないですが、不摂生で病気になることは神の御心ではありません。パウロはある教会のためにこう祈っています。Ⅰテサロニケ5:23「平和の神御自身が、あなた方を完全に聖なる者として下さいますように。あなた方の霊、魂、体の全てが、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、責められる所のないものとして保たれていますように。」 第二は、大切な信仰も含めた心を健康に保つことです。 そのためには、第一に柔軟な考え方を持つことでしょう。排泄も含め、私たちはいずれ人の世話になります。その時、「お世話になってありがとうございます」と穏やかに人に委ねられる者でありたいですね。 『92歳の父と二人暮らし』という文が新聞にありました。 「介護は16年になります。先日帰宅すると、『大変なことになりましたぁ』と父の声がして、畳のあちこちに汚物が落ちていました。内股についた便が乾き、体も冷たく、お尻を出したままふらつく足でずっと立っていたのでしょう。ゆっくり買い物していたことが申し訳なく、涙がこぼれました。介護を始めてから、どんな状況においても感情的にならず対処できるかと、内なる自分から問われているような気がします。 耳が聞こえない。片方の目しか見えない。歯がない。少ししか歩けない。ましていくつもの病気を抱えた父は生き辛いだろうに、いたってお茶目。愚痴も言わない。肺癌と告げられた時も『さよか』とそれだけ。そんな父のお蔭で毎日が楽しい。 私が健康でいること、柔らかく美味しい食事を作ること、言葉も振舞いも温かみを欠かないこと。この三つに精進しよう。 介護職をしてもう何年も稼ぎはゼロだけど、世話をすることで心に貯金ができてきた。この蓄えこそがやがて『お独りさま』になる私を支えてくれる、父からの贈り物だと思うのです。」 私は、彼女自身も見事に柔軟な考え方の持ち主だと思います。 第二は、ユーモアです。 元上智大学教授のA.デーケン氏は「諸外国のホスピスに共通しているのは、末期患者さんのケアに当る人たちが、いつも実に明るくユーモアたっぷりなことです」と述べ、人生を神の前に完成する上で、ユーモアは欠かせないと言います。ジョークは頭を使うテクニックですが、自分をも笑い飛ばす愛のあるユーモアは、私たちが年老いても心を健康に保ちます。ユーモアは心の体操と言われますね。 第三は、趣味や勉強など新しいことを始めることです。 脳科学者の中野信子氏の『脳科学から見た「祈り」』という本があります。大人になりますと脳神経細胞は減る一方だとされてきましたが、1998年、大人の脳神経細胞も日々新しく生れていることが発見され、人は何歳でも脳を育てていけることが分ったそうです。ですから、歳を取っても、何か新しいことを始められると良いと思いますね。 第四は、人への奉仕です。 先程の本は言います。「『人間は一人では幸せになれない』と言っても、決して過言ではありません。…すなわち、人間は本能的に『他者を利する行動』を志向するように作られているのです。愛情や慈しみの感情を抱いた時に脳から分泌される『オキシトシン』と呼ばれる神経物質があります。…このオキシトシンについての研究が進むにつれ、他者に愛情を向け思いやりを持つことが、私たちの幸福感にとって如何に大きな意味を持つかが分ってきたのです。」 ですから、歳を取り、特別なことは出来なくても、誰かの幸せのために心から祈るなどで、私たち自身神に祝福され、幸福感があるのです。特に、若い世代を支えるために役立ちたいと思います。 第五は感謝することです。 Ⅰテサロニケ5:18は「全てのことにおいて感謝しなさい」と教えます。皆に愛されている元気な老人には、共通して感謝が多いですね。 この点で、私は高齢者の幸せを思います。無論、辛いことはあります。しかし、ご自分の御子イエスを救い主としてお与えになった程に私たちを愛して下さっている神ですから、必ず高齢者ならではの恵みを下さっています。 私自身のことを言いますと、幼少期から今まで危険なこともいっぱいありましたが、尚生かされ、また多くの人に私は赦され、支えられてきました。何より、主イエス・キリストへの信仰のお蔭で、必ず天国へ入れられることを思いますと、ただただ感謝です。幼子の一生懸命で健気(けなげ)な姿を見、夕焼けを見るだけで感動し、神を賛美したくなります。若い時のように、もう気負うこともありません。これは神が下さった高齢者ならではの素晴らしい恵みであり特権だと思います。 私は間もなく76歳となり、更に老いますが、主イエスに手を握られながら歩み、やがて永遠の天国の祝福に、是非、皆様とご一緒に与りたいと願っております。 最後に、神が信仰者に約束された御言葉を読んで終ります。神は言われます。イザヤ46:4「あなた方が年を取っても、私は同じようにする。あなた方が白髪になっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。私は運ぶ。背負って救い出す。」 関連する説教を探す 2023年の日曜朝の礼拝 『テモテへの手紙二』
日本では今、10人に1人が80歳以上だそうです。元気な方もおられますが、大抵何か問題が起り、最後は死ですね。そういう中、私たちはどう生きると良いのでしょうか。
そこでまず、老年期の問題を見ておきます。第一は身体的問題です。
旧約聖書の伝道者の書12:3~5がこれを結構詳しく比喩的に描いていますので、見たいと思います。
3節「その日、家を守る者たちは震え、力のある男たちは身を屈め…」とあります。つまり、老人は手足が震え、背骨が曲がる。「粉をひく女たちは少なくなって仕事をやめ、窓から眺めている女たちの目は暗くなる。」つまり、歯が抜け、目も弱る。
4節「通りの扉は閉ざされ、臼をひく音もかすかになり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちは皆、うな垂れる。」つまり、耳は遠くなって聞き辛くなり、朝は鳥の声で目覚めますが、自分の声は張りを失う。
5節「人々はまた高い所を恐れ、道で怯える。」その通り、高い所が怖くなり、道で立往生する。「アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人はその永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。」要するに、髪は白くなり、足は重く、全てが萎え、死に向い、葬式で人が泣く。
聖書は老いの厳しさを伝え、真(まこと)の神に立ち帰らなければ、8節「空の空。伝道者は言う。全ては空。」本当にそうではないでしょうか。
次に精神機能の衰え、特に認知症も起ります。認知症には、アルツハイマー型、脳血管障害型、レビー小体型の三つがあると言われます。
アルツハイマー型は、脳に溜ったアミロイドβという特殊な蛋白質が神経細胞を壊して、脳が萎縮します。脳血管障害型は、脳卒中で脳細胞が破壊されて起ります。原因は脳動脈硬化症で、高血圧、糖尿病、高脂血症などが危険因子です。レビー小体型は、レビー小体と呼ばれる異常物質が脳組織に沈着します。症状に波があり、鬱(うつ)やパーキンソン症状、幻視、幻聴、記憶障害が起ります。
2025年には、日本の全人口の20%の人が認知症を有すると言われています。本当に驚きます。薬品の開発に期待すると共に、私たち自身もこれらを防ぐ努力が大切ですね。
第三に、配偶者との死別や介護できる家族の不足による孤独の問題も起ります。
私が淀川キリスト教病院に勤めていた時、93歳の男性患者は、寂しいのでしょう、「しんどい。お~い、お母さん」と、前年に死別した妻を大声でよく呼ばれ、子供はあまり来られませんでした。孤独の問題はどうしても増えます。
では、こういう中で多少とも意義深い老年期を生き、やがて確実に天国に入れられるためには、どうすれば良いでしょうか。聖書は、天地を創られた生ける真(まこと)の神に心を開き、特に私たち罪人の救いのために十字架で命を献げられた神の御子イエス・キリストを心から信じ、依り頼み、神と人に愛をもって仕えて生きることだと教えます。
実は、そのように生きたのが使徒パウロでした。テモテへの手紙の第二は、彼の最晩年の手紙であり、殉教も覚悟していました。しかし彼は言います。4:6~8「私は既に注ぎの献げ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しい裁き主である主が、それを私に授けて下さいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、誰にでも授けて下さるのです。」
ここには、深い落ち着きと自分の人生についての感謝、神の御子イエス・キリストによる天国の確信、神の前に誠実に生きた人たちへの愛も見られます。静かな信仰と喜び、人への愛が滲み出ています。私たちもこういう晩年を送れるなら、何と幸いでしょうか。実は、天におられる救い主イエス・キリストへの信仰が、私たちにこれを可能とさせるのです。
では、人生のたそがれを、具体的にはどう生きると良いでしょうか。
第一は、何と言っても体を大切にすることです。
神は私たちの体を創られ、愛しておられます。ですから、私たちも自分の体を愛し、つまり大切にし、最後まで極力健康に保ち、自分の体を神と人と自分のために善く用いたいと思います。寿命は神の決定事項です。しかし、努力で防げる病気もあります。歳(とし)相応の衰えは仕方ないですが、不摂生で病気になることは神の御心ではありません。パウロはある教会のためにこう祈っています。Ⅰテサロニケ5:23「平和の神御自身が、あなた方を完全に聖なる者として下さいますように。あなた方の霊、魂、体の全てが、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、責められる所のないものとして保たれていますように。」
第二は、大切な信仰も含めた心を健康に保つことです。
そのためには、第一に柔軟な考え方を持つことでしょう。排泄も含め、私たちはいずれ人の世話になります。その時、「お世話になってありがとうございます」と穏やかに人に委ねられる者でありたいですね。
『92歳の父と二人暮らし』という文が新聞にありました。
「介護は16年になります。先日帰宅すると、『大変なことになりましたぁ』と父の声がして、畳のあちこちに汚物が落ちていました。内股についた便が乾き、体も冷たく、お尻を出したままふらつく足でずっと立っていたのでしょう。ゆっくり買い物していたことが申し訳なく、涙がこぼれました。介護を始めてから、どんな状況においても感情的にならず対処できるかと、内なる自分から問われているような気がします。
耳が聞こえない。片方の目しか見えない。歯がない。少ししか歩けない。ましていくつもの病気を抱えた父は生き辛いだろうに、いたってお茶目。愚痴も言わない。肺癌と告げられた時も『さよか』とそれだけ。そんな父のお蔭で毎日が楽しい。
私が健康でいること、柔らかく美味しい食事を作ること、言葉も振舞いも温かみを欠かないこと。この三つに精進しよう。
介護職をしてもう何年も稼ぎはゼロだけど、世話をすることで心に貯金ができてきた。この蓄えこそがやがて『お独りさま』になる私を支えてくれる、父からの贈り物だと思うのです。」
私は、彼女自身も見事に柔軟な考え方の持ち主だと思います。
第二は、ユーモアです。
元上智大学教授のA.デーケン氏は「諸外国のホスピスに共通しているのは、末期患者さんのケアに当る人たちが、いつも実に明るくユーモアたっぷりなことです」と述べ、人生を神の前に完成する上で、ユーモアは欠かせないと言います。ジョークは頭を使うテクニックですが、自分をも笑い飛ばす愛のあるユーモアは、私たちが年老いても心を健康に保ちます。ユーモアは心の体操と言われますね。
第三は、趣味や勉強など新しいことを始めることです。
脳科学者の中野信子氏の『脳科学から見た「祈り」』という本があります。大人になりますと脳神経細胞は減る一方だとされてきましたが、1998年、大人の脳神経細胞も日々新しく生れていることが発見され、人は何歳でも脳を育てていけることが分ったそうです。ですから、歳を取っても、何か新しいことを始められると良いと思いますね。
第四は、人への奉仕です。
先程の本は言います。「『人間は一人では幸せになれない』と言っても、決して過言ではありません。…すなわち、人間は本能的に『他者を利する行動』を志向するように作られているのです。愛情や慈しみの感情を抱いた時に脳から分泌される『オキシトシン』と呼ばれる神経物質があります。…このオキシトシンについての研究が進むにつれ、他者に愛情を向け思いやりを持つことが、私たちの幸福感にとって如何に大きな意味を持つかが分ってきたのです。」
ですから、歳を取り、特別なことは出来なくても、誰かの幸せのために心から祈るなどで、私たち自身神に祝福され、幸福感があるのです。特に、若い世代を支えるために役立ちたいと思います。
第五は感謝することです。
Ⅰテサロニケ5:18は「全てのことにおいて感謝しなさい」と教えます。皆に愛されている元気な老人には、共通して感謝が多いですね。
この点で、私は高齢者の幸せを思います。無論、辛いことはあります。しかし、ご自分の御子イエスを救い主としてお与えになった程に私たちを愛して下さっている神ですから、必ず高齢者ならではの恵みを下さっています。
私自身のことを言いますと、幼少期から今まで危険なこともいっぱいありましたが、尚生かされ、また多くの人に私は赦され、支えられてきました。何より、主イエス・キリストへの信仰のお蔭で、必ず天国へ入れられることを思いますと、ただただ感謝です。幼子の一生懸命で健気(けなげ)な姿を見、夕焼けを見るだけで感動し、神を賛美したくなります。若い時のように、もう気負うこともありません。これは神が下さった高齢者ならではの素晴らしい恵みであり特権だと思います。
私は間もなく76歳となり、更に老いますが、主イエスに手を握られながら歩み、やがて永遠の天国の祝福に、是非、皆様とご一緒に与りたいと願っております。
最後に、神が信仰者に約束された御言葉を読んで終ります。神は言われます。イザヤ46:4「あなた方が年を取っても、私は同じようにする。あなた方が白髪になっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。私は運ぶ。背負って救い出す。」