2023年06月15日「信仰の結ぶ実と香り」

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聖句のアイコン聖書の言葉

5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切。善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。

コリント人への手紙二 2章14、14節
2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、歌るところで放って下さいます。
2:15 私たちは、救われた人々な中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられたキリストの芳しい香りなのです。ガラテヤの信徒への手紙 5章22節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 十戒の学びを今日も中断し、「信仰の結ぶ実と香り」と題してお話致します。

 ガラテヤ5:22、23は、パウロが書いた手紙の一部です。教会にいつの間にか入り込み、誤った教えで教会を掻き乱していた人たちを念頭に置き、パウロは、真(まこと)のキリスト信仰の生み出すきよい性質や人格を「御霊(みたま)の実」と呼び、9つ挙げます。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。皆、何と大切なものでしょう。

 私たちを罪から解放するために十字架で命を捧げ、復活された神の御子イエスを、自分の救い主として心から信じ、受け入れ、依り頼む真の信仰は、こういうきよい御霊の実を結ぶことを許されます。形だけの信仰では無理ですが、真のキリスト信仰は、必ず言葉や行い、態度、品性、つまり、人格となって現れます。それは年月を重ね、色々なことで信仰が練られるに従い、顕著になります。

 人格に現れるこういう特質が、ここでは御霊の結ぶ「実」と言われていますが、Ⅱコリント2:15では「神に捧げられた芳しい(かぐわしい)キリストの香り」と言われています。「神に捧げられた芳しいキリストの香り。」これも何と興味深い表現でしょうか。

 細かい話は省きます。辛いことや嫌なことが絶えない私たちの人生ですが、葡萄の枝が幹に繋がるように、信仰によりイエス・キリストにどんな時にも繋がり、神の前に歩もうとする信仰者は、芳しいキリストの香りを放つ者に変えられることを許されるのです。

 無論、自分を吟味することもなく、口先だけや表面的な信仰では、これはあり得ません。しかし、常に神の前に徹底して謙り、「主よ、罪人の私をあなたの十字架の故にお赦し下さい。私をきよめて下さい」と、天におられる主イエスをひたすら仰ぐ真の信仰には、必ず御霊の実とキリストの香りが伴う。何と感謝なことでしょうか。

 真の信仰者の、特に歳を重ねた人生の終り近くの言動には、その人の信仰の結ぶ実と香りがどうしても現れます。今は詳しく説明できませんが、申命記33章には死を前にした120歳の信仰者モーセの言葉が、ヨシュア記24章には信仰者ヨシュアの言葉が、Ⅰ列王記2章には死を前にしたダビデの言葉が記されています。Ⅱテモテ4章には、使徒パウロの最晩年の言葉が見られます。これらは皆、聖霊に導かれた言葉ですが、辛く苦しいこともいっぱいあった彼らの長い信仰生活の間に結んだ実また香りという点で、読むことも出来ると思います。

 私事ですが、今申し上げたようなことを少し覚えることがありましたので、お話させて頂きます。

 私の妻の父、青山輝徳牧師は、2014年8月4日、天に召されました。89歳になる直前でした。その数年前から具合が悪く、亡くなる約2年前から急に悪くなり、私は急いで静岡にある彼の入院先の病院へ行ったことがありました。

 1945年、20歳の時、彼は横浜で不発焼夷弾の爆発で両目と左手の指も2本失い、体中に大ケガをし、文字通り九死に一生を得、後にクリスチャン、そして盲人牧師となり、生涯、神と人に仕えた信仰者であり、私の恩師でもありました。

 夢うつつの時には、話していることの辻褄も合いませんでしたが、目覚めている時は、耳も声も弱って聞き取りにくかったものの、会話ができました。それで驚き、教えられたことがありました。そんな状態でも、父はどこまでもクリスチャンで牧師であり、目が見えないという自分の障害や死について、ネガティヴな発言は一切ありませんでした。また私に対して、「神様の前に一生懸命牧師の働きをし、後は神様に信頼し、委ねれば、神様が必ず導いて下さるよ」と言い、「わがままな娘だけど、田村君、ありがとう」と言うのでした。無論、完全な父ではありません。しかし、本当に教えられ、胸が詰まりました。

 のちに妻から聞きましたが、同室の患者さんにお見舞の方が来られたのが分りますと、自分が大変な状態なのに「青山でございます。大変お世話になっております。ご迷惑をおかけしておりますが、お赦し下さい」と挨拶をしたといいます。妻は笑うと共に泣けてきたと言いました。

 「人は生きてきたように死んでいく」というスイスの心理学者ユングの言葉を改めて思います。欠けや弱さは当然ありますが、神の前に真剣に生きる信仰者は、人格的な実を結び、またキリストの香りを放つことを本当に許されるのです。

 私は自分自身を深く反省すると共に、改めてキリスト信仰の素晴らしさと幸いを思います。慈しみ深いイエス・キリストへのとことん謙った、かつ忠実な信仰により、永遠の命に与ると共に、きよい人格的な実を少しでも結び、イエス・キリストの芳しい香りを放つ者に、是非させられたいと思います。

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