2023年06月08日「自分を吟味する」

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自分を吟味する

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
箴言 3章1節~12節

聖句のアイコン聖書の言葉

3: 1 わが子よ、私の教えを忘れるな。
   心に私の命令を保つようにせよ。
3: 2 長い日々と、命と平安の年月が、
   あなたに増し加えられるからだ。
3: 3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。
   それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。
3: 4 神と人の前に、
   好意を得、聡明であれ。
3: 5 心を尽くして主に拠り頼め。
   自分の悟りに頼るな。
3: 6 あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。
   主があなたの進む道をまっすぐにされる。
3: 7 自分を知恵のある者と考えるな。
   主を恐れ、悪から遠ざかれ。
3: 8 それは、あなたの体に癒しとなり、
   あなたの骨に潤いとなる。
3: 9 あなたの財産で主を崇めよ。
   あなたの全ての収穫の初物で。
3:10 そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされ、
   あなたの石がめは新しいぶどう酒であふれる。
3:11 わが子よ、主の懲らしめを拒むな。
   その叱責を嫌うな。
3:12 父がいとしい子を叱るように、
   主は愛する者を叱る。箴言 3章1節~12節

原稿のアイコンメッセージ

 今日も十戒の学びを中断し、「自分を吟味する」という大切なことを学びたいと思います。

 礼拝でパンと葡萄酒に与る(あずかる)聖餐式について教えますⅠコリント11:28は、「誰でも、自分自身を吟味して、その上でパンを食べ、杯を飲みなさい」と命じます。「吟味する」と訳されているギリシア語ドキマゾーは、テストする、調査する、審査する、診察するなどの意味を持ちます。いずれにせよ、クリスチャンにとって非常に重要な概念です。しかし、具体的には、どういう自己吟味を私たちはするのでしょうか。

 ここで教えられるのが、今お読みしました箴言3:1~12です。新改訳聖書の第3版も2017年度版も、4節が違う訳し方になっていますが、他の殆どの聖書では、1節と2節、3節と4節というように、2節ずつをペアとして訳し、ほぼ奇数節は命令を与え、続く偶数節はその命令を守るとこんな恵みがあるという目的に訳しています。確かにこう捉えると理解しやすいと思います。新共同訳聖書は、2、4、6、8、10節の中に「そうすれば」という言葉を加えて分りやすくしています。

 まず1、2節は総論です。教師が生徒に語るように、神の知恵は、擬人法を使って、神の民に1節「わが子よ」と呼びかけ、神の教えと命令に生きよ、と命じます。

 それは何のためにでしょうか。2節が答えます。2節が言うのは、単に量的な意味での長寿ではありません。これはヘブル的表現であり、要するに、神による命の素晴らしい祝福を述べているのです。「辛いことも沢山あったけれど、生きてきて良かった」と最後には心から神に感謝し、平安の内に天の御国(みくに)へ行くことのできる生涯を送れるということです。

 しかし、箴言は総論だけで終りません。こういう神からの祝福に与れるために、続いて各論として、五つの面から自己吟味することを3節以降で教えます。見事な論述の進め方だと思います。五つとは、対人的、対神的、対自的、対物的、そして対試練という面です。

 第一に3節は、人に対して自分はどうなのか、という対人的自己吟味を命じ、3節「恵みとまこと」、要するに、愛と真実とをもって常に人に接せよ、と教えます。すると4節「神と人の前に好意」と「聡明」さを得ると、神からの祝福を約束します。私たちは、愛と真実とをもって常に人に接しているでしょうか。自分をよく吟味したいと思います。

 第二は対神的自己吟味です。5、6節「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道全てにおいて、主を知れ。」

 すると6節2行目「主があなたの進む道を真直ぐにされる」と約束します。

 よく勉強したり、キャリア、経験を積むことなどは、とても大切です。しかし、私たちには罪人の常として、つい神を忘れ、傲慢になり、自分の力や分別や経験に頼りがちなことを考えますと、これは何と大切な教えでしょうか。

 もう30数前のことです。当時、男山教会で働いておられましたアメリカ合衆国長老教会のV.スタブス宣教師が、神学校の卒業式の後の懇親会で、もうすぐ牧師になろうとしている卒業生たちにこの5、6節の御言葉を贈られたことを、私は忘れることが出来ません。実際、これは何と大切な御言葉でしょうか。

 第三は、対自的自己吟味です。7、8節「自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。それはあなたの体に癒しとなり、あなたの骨に潤いとなる。」

 以上の三つでも十分と思えるのですが、箴言は鋭いです。更に私たちに吟味させます。第四に9、10節で、対物的、つまり、自分の持ち物についての私たちの心を省みることを教えます。「あなたの財産で主を崇めよ。あなたの全ての収穫の初穂で。そうすれば、あなたの倉は豊かさで満たされる。あなたの石がめ新しい葡萄酒で溢れる。」

 自分の持ち物、特に収入やお金をどう考え、何にどう使い、どう献げるかで、神の前に私たちの信仰は明らかになります。何と鋭い指摘でしょうか。

 そして第五に、11、12節はもう一つ、私たちにとって非常に辛い試練に対して、自分の信仰を問い、整えることを教え、一連の教えを閉じます。何と大切なことでしょうか。

 以上、私たちは、神に真に喜ばれ、祝福される生涯を送る上で、自分をどう吟味するかというとても大切なことを学びました。無論、私たちの永遠の救いは、神の御子、主イエス・キリストを心から信じ、受け入れ、依り頼む信仰だけで十分です。ただ、父なる神は、主イエスによる罪の赦しと永遠の命の恵みを中心としつつ、その回りにも更に豊かな祝福、恵みをも与えたいと願っておられます。私たちをご自分の子供として真に愛しておられるからです。

 聖餐式の前だけでなく、日毎に、主イエスの十字架と復活の計り知れない恵みを覚え、また対人、対神、対自、対物、対試練という点から自分を吟味し、神の更なる祝福に与り、そうして神の子としての私たちにより、神のご栄光が現され、神が一層賛美されますように!

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