2023年05月28日「聖霊のお働き(ペンテコステ礼拝説教)」

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聖霊のお働き(ペンテコステ礼拝説教)

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
使徒言行録 2章1節~8節

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると、皆が聖霊に満たされ、御霊が話させるままに、他国の色々なことばで話し始めた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちは皆、ガリラヤの人ではないか。
2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国の国語で話を聞くとは、いったいどうしたことか。使徒言行録 2章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 キリスト教の最も有名な行事はクリスマスですが、イースターも最近はよく知られています。しかし、もう一つ大事なものがあります。それがペンテコステです。今日は、今年のその日ですので、この礼拝をペンテコステ礼拝として献げています。

 しかし、ペンテコステをご存じない方もあると思いますので、最初に少しお話致します。

 約二千年前、神の御子イエスは、全世界の罪の贖いのために十字架で命を献げ、しかし、三日後の日曜日に復活されました。それを祝うのがイースターですが、そこから更に7回あとの日曜日に、聖霊が驚くべき形で弟子たちに臨まれました。使徒の働き2:1以降がその様子を伝えています。

 1節に「五旬節」とあります。これをギリシア語でペンテコステと言います。その日曜日、弟子たちが皆で集っていますと、2~4節「天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起り、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分れて現れ、一人一人の上に留まった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国の色々な言葉で話し始めた。」

 その日、エルサレムには世界中からユダヤ人たちが来ていましたが、6節「この物音がしたため、大勢の人々が集って来た。彼らは、それぞれ自分の国の言葉で弟子たちが話すのを聞いて、呆気(あっけ)に取られて」しまいました。あとの14節以降でペテロが説明しますが、聖霊なる神が特別な形で弟子たちに臨まれたのでした。こういうすごい奇跡はこの一回限りですが、弟子たちはこの時から福音を世界中に伝えるようになりました。聖霊が弟子たちに働かれた結果です。

 以上、ごく簡単にペンテコステの説明をしました。二千年前の驚くべき言葉の奇跡はこの時だけですが、聖書は他にも聖霊のお働きを沢山伝えています。今朝は、その中から四つばかり確認したいと思います。

 第一に、聖霊は私たちに神の御言葉、聖書の真理を理解できる力を下さいます。

 人間の内に生れながらにあります罪の性質は、色々なことに影響を与え、私たちの心を暗くし、創り主なる真(まこと)の神と救い主イエス・キリストの福音をよく理解できなくさせています。

 しかし、イエスは弟子たちに言われました。ヨハネ福音書14:26「助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなた方に全てのことを教え、私があなた方に話した全ての事を思い起こさせて下さいます。」

 要するに、聖霊は私たちの心を照らし、大切な聖書の御言葉と救いの真理を分らせて下さるということです。

 従って、聖書を読み、説教を聞く時も、まず心を静め、「聖霊なる神様、私の心を照らし、よく理解できる力を与えて下さい」と祈り、聖霊の導きに自分を明け渡すことが、とても大切です。自分の霊的理解力の欠けを自覚し、それ故、へりくだって真剣に祈り求める人に、聖霊は必ず働かれ、心を照らし、霊的理解力と確信をお与え下さいます。また聖書の説き明かしをする牧師が、聖霊の導きを頂き、正しく十分に聖書を理解でき、説教ができるように祈ることも、何と大切でしょうか。これらのことを、改めて心にしっかり刻みたいと思います。

 第二に、聖霊は信仰者の体の内に宿っていて下さいます。何と素晴らしいことでしょう。

 紀元1世紀の古代社会全体の風潮に染まり、不道徳な点もありましたコリント教会の信徒たちに、Ⅰコリント6:19は「あなた方の体は、あなた方の内におられる、神から受けた聖霊の宮」だと言い、そこで、自分の体を清く保ちなさいと教えます。注目したいのは、イエス・キリストを信じている人の体は、聖霊なる神が宿られる宮、あるいは神殿だという点です。何と光栄なことでしょう。

 私たちは、主イエスを自分の永遠の救い主だと信じていても、自分の体には案外無頓着なところがないでしょうか。例えば、暴飲暴食をし、だらしなく体を放置し、あるいは逆にひどく無茶をして自分の体を粗末にするなど、体を大事にしないことはないでしょうか。けれども、聖書は勿体なくも、私たちの体は聖霊の宮、聖霊なる神の神殿だとハッキリ教えます。

 これをよく考えてみたいと思います。聖霊なる神は、本当に私たちの頭のてっぺんから体の中の骨や内臓にもそうですし、私たちの手の先、足の爪先に至るまで宿っておられるのです。

 では、何故そこまでなさるのでしょうか。聖霊は、私たちの体も心も魂も全て、本当に妬むばかりに愛しておられるからです(ヤコブ書4:6の別訳参照)。そしてそれは、愛と清さに満ちた神と全く無関係なものに、私たちが決して支配されることなく、むしろ、神に愛される神の子供として完成されるためです。ローマ書12:1の表現を借りますならば、私たちが、体ごと神に喜ばれる、神への聖なる生きた献げ物となるためです。

 聖霊なる神が、私たち夫々の体全体に宿っていて下さる!この光栄、感謝、喜び、幸せを、思いっ切り思い巡らしたいと思います。

 第三に、聖霊は弱い私たちのために、どんな時でも、慰めに満ちた理解者、取り成し手でいて下さいます。これも何と感謝なことでしょうか。

 クリスチャン向けの『祈れない時のために』というような題名の本がいくつか以前から出ています。これは結構多くのクリスチャンが、何かのことで気持が動転し、混乱し、また自分の理解を超えることなどに直面して、どう考えて良いのか分らず、祈ろうと思っても祈れないことがよくあるからでしょう。実際、私たちにもそういうことがあるのではないでしょうか。

 では、祈れないなら、私たちはもう駄目なのか。いいえ、違います!御霊とも呼ばれます聖霊が、私たちのために、天の父なる神に取り成して下さっているからです。ローマ8:26は言います。「御霊も、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分らないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きをもって、取り成して下さるのです。」

 私は昔、ある病気のために40℃以上の高熱が続き、辛くて、寝て横になったまま神に祈ろうと思ったのですが、熱のために頭が混乱し、祈れなくて焦ったことがありました。しかしその時、先程のローマ書の言葉を思い出し、「そう、そう、僕が祈れなくても聖霊が取り成していて下さるんだ」と思ってすごく安心し、平安になったことがあります。実際、聖霊は弱い私たちのために、どんな時にも、慰めに満ちた理解者、取り成し手、仲保者でいて下さるのです。何と感謝なことでしょう。

 最後ですが、第四に、聖霊は私たち人間にとって最も必要で、かつ大切な麗しい清い性質を私たちの内に作り出して下さいます。

 ガラテヤ5:22、23は「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」と言います。御霊の実とは、御霊、つまり、聖霊なる神が、イエス・キリストとつながっている信仰者の内に与えて下さる清い性質のことです。

 9つの実が挙げられています。最初の「愛、喜び、平安」の三つは神との関係におけるものであり、次の「寛容、親切、善意」の三つは対人関係におけるもの、そして最後の「誠実、柔和、自制」の三つは対自関係におけるもの、と言われます。

 これらの詳しいお話は、2020年9月17日から12月3日までの祈祷会でしていますので、宜しければ、当教会のホームページを見て頂くと良いと思います。

 その時にも話しましたが、例えば、「寛容」と訳されている元のギリシア語は、「怒りから遠い」という意味であり、「忍耐」とも訳されます。これを4世紀の半ばから5世紀の初めに生きた聖職者の一人、クリュソストモスは、仇を返せるのに返さない人とか怒るのに遅い人の美点であると言いました。

 また「親切」と訳されていますが、その元のギリシア語は、「善意」、「慈愛」、「柔和」とも訳されます。これと殆ど同じギリシア語は、マタイ11:28の主イエスの御言葉、「全て疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい」に続く、30節「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです」の「負いやすく」がそうです。つまり、「親切」と訳されているギリシア語は、重荷を一緒に持ってあげるような優しさ、親切という美しい概念と言えるでしょう。

 この二つだけでも、ここが語ります御霊の実がどんなに素晴らしいかが、よく分ると思います。

 実は、これらは全て、主イエス・キリストの内にある美しい性質です。つまり、聖霊は、信仰者を主イエス・キリストに結び付け、イエス・キリストの美しいご性質を私たちにもたらして下さるお方なのです。何と素晴らしいお働きをして下さっていることでしょう。

 今日、ペンテコステ礼拝に出ることを許されました私たちは、改めて様々な恵みに満ちた聖霊のお働きをよく覚え、心からへりくだって、聖霊を熱心に求め、また自分を聖霊なる神に明け渡したいと思います。

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