2023年05月25日「人の痛みを知る」
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人の痛みを知る
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- 田村英典 牧師
- 聖書
ヨブ記 30章21節~23節
聖書の言葉
30:20 私があなたに向かって叫んでも、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めて下さいません。
30:21 あなたは、私にとって残酷な方に変わり、御手の力で、私を攻め立てられます。
30:22 あなたは私を吹き上げて風に乗せ、すぐれた知性で翻弄されます。
30:23 私は知っています。あなたが私を死に帰らせることを。全ての生き物が集まる家に。ヨブ記 30章21節~23節
メッセージ
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今日は、十戒の学びを離れ、人の痛みを知ることが、教会と私たちクリスチャンにとって如何に大切かということを、改めて覚えたいと思います。
ローマ12:15は「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい」と教え、このことを私たちは教会で繰返し学び、自分でもそうありたいと願っていると思います。しかし実際には、人の痛みがよく分ることは何と難しいでしょう。
ヨブ記は旧約聖書の知恵文学に属し、ヨブが実在の人物なのかどうか、よく分りません。けれども、彼の苦悩を巡って胸をえぐられるような息詰る遣り取りが展開され、聖霊の導きの下にこれを書いた人たちのその信仰に驚き、そして色々考えさせられます。
ヨブは優れた信仰者でした。しかし、神の許可の下にサタンの激しい試みを受け、息子、娘10人を一挙に失うなど、過酷な試練に遭い、辛い胸の内を友人たちに語りました。彼らは同情しました。しかし、ヨブの激しい言葉に段々黙っておられなくなり、彼を厳しくいさめ始めます。すると、ヨブはこれに強く反発し、彼なりの神信仰に立って激しく応戦し、またお読みしましたように自分の気持を神に吐き出します。彼は信仰を失ったのではありませんが、辛さの余り、神を訴える言葉まで口にします。
優れた信仰者ヨブでさえ、こんなに苦しむのですから、普通の信仰者に過ぎない私たちは、厳しい苦難に遭いますと、どんなに辛く、心が悲鳴を上げることでしょうか。
死生学で有名な元上智大学教授のA.デーケン氏は、著書『死とどう向き合うか』の中で色々な人の痛みを紹介しておられます。参考のために、少しだけご紹介致します。
「ある奥さんは5年間、毎日夫の看病のために病院へ通いました。それが、夫が亡くなると5分もたたない内に、見ず知らずの若い医師が入ってきて、遺体に死後の処置をするから、家族はすぐ病室から出てくれと言われたそうです。それからもう10年も経ちましたが、その人は『ゆっくり主人の顔を見る暇もなく、病室から追い出された悔しさは、一生忘れません』と私に告げながら涙を流しました。」
「西宮市に住む主婦A子さんは、1995年1月17日未明の阪神淡路大震災で、中学2年生の長女を一瞬の内に喪いました。全壊した家屋の下敷きになった娘を必死に掘り出した時は、全く茫然自失の状態で涙も出ませんでした。しかし、一週間後に娘の棺が火葬場の炉に入れられて扉が閉められた時、凍りついていた感情が一時に爆発し、初めて窒息しそうなほど号泣しました。」
「SIDS(乳幼児突然死症候群)による突然死の危機をやっと乗り越えたB子さんは、当時を振り返って、救急隊員や警察官、病院の医師や看護婦たちの何気ない一言でも大変傷つけられたこと、亡くなった赤ちゃんを単なる死体として取り扱われて、どんなにショックだったか、せめて○○チャンと名前で呼んでほしかった、親にとってはかけがえのない子供なのに、病院では抱きしめてゆっくり頬ずりする時間すらなかったことなどが、今も心残りだと、しみじみ語りました。」
デーケン氏は「家族の不慮の死に遭遇した遺族に対する時、周囲の人は見舞いの言葉一つにも細やかな配慮が必要です」と言い、コミュニケーションの妨げとなる好ましくない言葉の例を五つ上げ、短くコメントしておられます。
「① 頑張ろう(言葉だけの安易な励ましは、却って反発を招きます)
② 早く元気になって(言われても、どうにもならないのです)
③ 私にはあなたの苦しみがよく分る(私の気持が分るはずがないのに)
④ あなただけじゃない、誰々さんよりはあなたの方がまだまし(他人との比較は特に禁物です)
⑤ もう立ち直れた?(答えようがなくて、なお悲しくなります)
…誰もが一番ありがたかったのは、黙って自分の話を聴いてくれることだったと言います。」
これらは、家族の死などの時だけでなく、心の痛みに苦しむどんな人に接する時にも言えることでしょう。これらの点を、是非、深く心に留めたいと思います。
メシア(キリスト、救い主)を預言しますイザヤ53:4は「まことに、彼は私たちの病を担い、私たちの痛みを負った」と言います。その通り、私たちの体と心の痛みを極みまで味わわれ、よくお分り下さる主イエスを改めて見上げ、その主の御霊を真剣に祈り求め、私たち一人一人が人の痛みをよく理解し共感でき、そうして共に支え合う慰めの共同体に、是非、当教会が絶えず成長させられますように!