2023年05月11日「十戒の学び41 第七戒3」

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十戒の学び41 第七戒3

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
出エジプト記 20章14節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:14 姦淫してはならない。出エジプト記 20章14節

原稿のアイコンメッセージ

 第七戒「姦淫してはならない」を続けて学んでいます。

 これまで、結婚は神がご自身の栄光と人間の幸せのために作られた制度であり、姦淫が如何に罪深いかということ、また夫と妻が夫々、キリストと教会の関係に倣って、相手に従い、自分を献げる、という愛を神が望んでおられることなどを見てきました。今日は、性について見ます。

 昔も今も性に絡む罪や問題が何と多いでしょう。それは聖書を見ても分ります。創世記34:2は、ヒビ人ハモルの息子シェケムがヤコブの娘ディナを辱めたこと、35:22はヤコブの長男ルベンが父の側女ビルハと寝たこと、38:15以降は四男ユダの性的な弱さを伝えています。39章は、エジプト王ファラオの宮廷役人ポティファルの妻がヤコブの息子ヨセフに言い寄った事こと伝えます。

 旧約律法には、性的罪に関する戒めが大変多く見られます。出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、しかりです。優れた信仰者のダビデでさえ、国が少し安定して気が緩んだのでしょうか、自分の部下ウリヤの妻バテ・シェバと姦淫したことを、Ⅱサムエル11章は伝えています。

 旧約聖書と新約聖書の間の中間時代に書かれた『ダニエル書補遺 スザンナ』という旧約外典の一つがあります。捕囚後のバビロンでのことですが、主を畏れる美しい人妻スザンナに、ユダヤ人の長老二人が欲望を抱き、彼女が水浴びをしようとした時、言い寄りました。しかし、彼女が大声を立てたため、彼らは自分たちの身が危なくなると見て、「彼女が若い男と寝たのを見た」と結託して嘘を言い、その結果、彼女は処刑されそうになりました。しかし、ダニエルの機転と知恵で長老たちの嘘がばれ、彼女は助かったという話です。

 こういうことが書かれましたのは、社会的地位のある者も含め、人間が如何に罪深く、性的に弱いかを教え、戒める目的もあったと思われます。

 残念なことですが、キリスト教会においても、古今東西、聖職者の性的罪、不品行が多く見られます。私たちはここに、始祖アダムの堕落により人類に入り込んだ凄まじいまでの罪の力、特に性的な罪の力の強さを思わずにはおれません。

 この現実を直視し、どんなクリスチャンも自分の信仰と自制力を過信してはならず、もし自分も同じ状況にいたならば罪を犯していたかも知れないことを思い、神の憐れみにただただ感謝し、また、よりすがるべきでしょう。そして性的な罪も含め、全ての肉の業(わざ)が、如何に危険かをよく認識し、警戒したいと思います。ガラテヤ5:19~21は言います。「肉の業は明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、妬み、泥酔、遊興、そういった類(たぐい)のものです。以前にも言ったように、今もあなた方に予め言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。」

 では、どうすれば性的罪を避けることができるのでしょうか。

 一般論として消極的方法から言いますと、罪の誘惑がある物や場所や人に近づかず、それらからきっぱり離れることです。性的なことに限らず、肉的なことや霊的に全く無意味な世俗的なことに私たちが捕われず、溺れてしまわない一番の方法は、そこに近づかないことです。私たちの信仰を麻痺させ堕落させるものからは、離れること、逃げることが一番良いのです。Ⅱコリント6:17、18で神は言われます。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。――主は言われる――汚れたものに触れてはならない。そうすれば私は、あなた方を受け入れ、私はあなた方の父となり、あなた方は私の息子、娘となる。――全能の主は言われる。」

 次に積極的方法ですが、それは、自分がいつ突然死んで神の前に立っても良いように、霊的成長を明確に目指して生きることです。目的のあるなしで、罪との戦いもウンと変ります。「イエスを信じてさえいれば、罪を赦され、天国に入れられる」というのはその通りですが、それは最低限の信仰であり、それだけで罪の誘惑と十分に戦うことは出来ません。霊的成長が重要です。

 Ⅱペテロ3:18は、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」と教えます。つまり、聖書と教理の学びを通してイエス・キリストを知的にも更によく知り、また奉仕や交わりなどにより主の恵みに一層豊かに与り、私は本当に成長するのだという明確な目標を持って生きることが、罪に打ち勝つ最善の方法でもあるのです。

 Ⅰペテロ2:2は、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」と教えます。生れたばかりの赤ちゃんの成長が、ペテロの頭の中にはあったでしょう。私たちも、いつも頑張るのではなく、一挙に成長する必要もありません。赤ちゃんは手足をバタバタさせてよく動くことが、成長に不可欠ですが、動くだけではなく、よく眠ることも、健全な成長には大切です。そうして、ゆっくり確実に成長するのです。

 私たちの霊的成長も同じです。私たちもよく学び、よく動き、よく奉仕し、積極的に交わりもする。しかし、申命33:27に「いにしえよりの神は、住まう家。下には永遠の腕がある」とありますように、時には神の永遠の御腕の中でゆっくりし、休息を取ることも大切です。そうして、私たちも健全な霊的成長が出来るのです。

 自分の霊的成長を、赤ちゃんのようにゆっくりであっていいですから、ハッキリ求め、そうして性的なものだけでなく、あらゆる罪や試みに打ち勝つことを、共に許されたいと思います。

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