聖書の言葉 20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。出エジプト記 20章12節 メッセージ 第五戒が、第四戒までの対神的戒めの直後にあり、第五戒以降の対人的戒めの筆頭に置かれていることによく表れていますが、私たちは今まで、第五戒の重要性を見て来ました。特にこの戒めは、単に親を敬うことに留まらず、創り主なる神との関係に、また神に造られた色々な人との関係に生きる私たち人間の、根本的な人格形成に大きく関っていることを学びました。 そのことと関連して、今日も大切な点を二つ程、見たいと思います。 一つは、子育て中の親が覚えたいことです。聖書の教える子育ては、ただ食べさせ、元気でしっかりした者に子供を育てることではありません。人格教育です。愛と聖さと真実に満ちた唯一・真(まこと)の神の前に謙り、感謝し、神に仕え、また人に対しても謙虚で、人を敬い、感謝し、人のために生きることを喜びとする人格に育てる、という目的があります。 無論、人間には生れながらに罪の性質・原罪が子供にも親にもあり、子育てには常に大きな労苦が伴います。子育てで涙を流さない親はいないでしょう。けれども尚私たちは、人格教育、すなわち、繰り返しますが、愛と聖さと真実に満ちた神の前に謙り、神に感謝し、神に仕え、また人に対しても謙虚で、人を敬い、人に感謝し、人のために生きることを喜びとする者へと子供を育てることを、忘れたくないと思います。 以前、私が務めていました淀川キリスト教病院の名誉院長、白方誠彌という先生がおられます。脳神経外科の専門家で、今92歳です。京都にある日本バプテスト病院の院長もされました。この白方先生が書かれた『誰かのために生きてこそ 人生が好転する「利他の精神」』という本が昨年の夏、出されました。その中で、現代人に多い隣人愛の精神の欠如に関して、興味深いことを書いておられます。そこを紹介します。 「隣人愛の精神が欠如している一つの要因は、脳科学より考えると、人間の心を支配する脳へのケアの不足ではないかと思う。特に生後、急速に発達する脳に対するケアが必要だと考えている。生後3歳までは情緒的な面でのケア(愛情)が、6歳までには育て方(しつけ)が、そして小・中学時代には倫理教育が重要になる。こうした認識の不足が、人生を左右する大脳、特に前頭葉の機能(思考、人格、理性、遂行能力など)を十分ケアできていないのではないかと思う。 そうした人生の早い時期のケアが、その後の健全な人生観を築いていく土台となるのだと思う。私の場合、一生を通して生きる原点となったのはキリスト教信仰であった。『汝の若き日に汝の造り主を覚えよ。』(伝道の書12:1、文語訳)」 今、子育て中の者もそうですが、そうでない者もこれを一つの参考として、若い父親、母親を励まし、子供の教会学校でも参考にしたいと思います。また皆で「キリストは、わが家の主、食卓の見えざる賓客、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者」ということを覚えたいと思います。 もう一点は、私たちが生涯、自分の父と母を敬うことの大切さです。「あなたの父と母を敬え」と神は命じられます。ここには、私たちが子供の時だけという限定はありません。これは、私たちへの生涯にわたっての戒めなのです。 不幸にも酷い親のため、到底、親を敬えないという人もあるかも知れません。でも、もし誰か私たちを心にかけてくれる人がいるなら、その人に感謝し、敬愛することが、私たちの人格を生涯育むのです。 親が既に死んでいる場合は、どうでしょう。私の経験を少しお話させて頂きます。私の両親は23年前の4月と5月に続けて死にました。クリスチャンにはなりませんでしたが、キリスト教に反対ではなく、クリスチャンになり牧師になった私を信頼してくれていました。 私は時々、彼らの大変真面目で、しかし私を可愛がってくれた優しさを思い出すことがあります。例えば、私が大阪府立高専を卒業し、初めて実家を離れ、ある企業の横浜市港北区にある寮に入る時、何と父は私と一緒に新大阪駅から新幹線に乗り、その寮までついて来て手伝い、私が部屋に落ち着いたのを見届けて、夕方、一人で大阪へ帰ったのでした。その夏、母は着心地のいい着物を私に送ってくれました。幼い時、母は病気で片方の視力を失い、残った方の目も悪かったのですが、そんな目で私のために一生懸命、着物を縫ってくれたのでした。 そういう父と母を思い出しますと、つい泣けてきて、改めて彼らと神に感謝したくなります。そして自分がどんなに恵まれ幸せであるかに更に気付き、一層嬉しくなります。すると不思議なことに、神と人に対して、いわば自分の内面が清くされ、高められるのを感じるのです。 これは親との間だけのことではありません。私に親しく接し、色々助けてくれたクリスチャンの先輩や牧師たち、また今まで出会ったクリスチャン以外の敬うべき沢山の方との間でも同じです。人に深く感謝し、人を敬うことは、今も私自身の内面を育てる神の素晴らしい恵みであることを思います。 ルカ2:51が伝えますように、主イエスも人間の「両親に仕えられ」ました。主も守られた「あなたの父と母を敬え」という第五戒に込められている神の愛の広さ、長さ、高さ、深さに、改めて驚かされます!主の御名は、ほむべきかな! 関連する説教を探す 2023年の祈祷会 『出エジプト記』
第五戒が、第四戒までの対神的戒めの直後にあり、第五戒以降の対人的戒めの筆頭に置かれていることによく表れていますが、私たちは今まで、第五戒の重要性を見て来ました。特にこの戒めは、単に親を敬うことに留まらず、創り主なる神との関係に、また神に造られた色々な人との関係に生きる私たち人間の、根本的な人格形成に大きく関っていることを学びました。
そのことと関連して、今日も大切な点を二つ程、見たいと思います。
一つは、子育て中の親が覚えたいことです。聖書の教える子育ては、ただ食べさせ、元気でしっかりした者に子供を育てることではありません。人格教育です。愛と聖さと真実に満ちた唯一・真(まこと)の神の前に謙り、感謝し、神に仕え、また人に対しても謙虚で、人を敬い、感謝し、人のために生きることを喜びとする人格に育てる、という目的があります。
無論、人間には生れながらに罪の性質・原罪が子供にも親にもあり、子育てには常に大きな労苦が伴います。子育てで涙を流さない親はいないでしょう。けれども尚私たちは、人格教育、すなわち、繰り返しますが、愛と聖さと真実に満ちた神の前に謙り、神に感謝し、神に仕え、また人に対しても謙虚で、人を敬い、人に感謝し、人のために生きることを喜びとする者へと子供を育てることを、忘れたくないと思います。
以前、私が務めていました淀川キリスト教病院の名誉院長、白方誠彌という先生がおられます。脳神経外科の専門家で、今92歳です。京都にある日本バプテスト病院の院長もされました。この白方先生が書かれた『誰かのために生きてこそ 人生が好転する「利他の精神」』という本が昨年の夏、出されました。その中で、現代人に多い隣人愛の精神の欠如に関して、興味深いことを書いておられます。そこを紹介します。
「隣人愛の精神が欠如している一つの要因は、脳科学より考えると、人間の心を支配する脳へのケアの不足ではないかと思う。特に生後、急速に発達する脳に対するケアが必要だと考えている。生後3歳までは情緒的な面でのケア(愛情)が、6歳までには育て方(しつけ)が、そして小・中学時代には倫理教育が重要になる。こうした認識の不足が、人生を左右する大脳、特に前頭葉の機能(思考、人格、理性、遂行能力など)を十分ケアできていないのではないかと思う。
そうした人生の早い時期のケアが、その後の健全な人生観を築いていく土台となるのだと思う。私の場合、一生を通して生きる原点となったのはキリスト教信仰であった。『汝の若き日に汝の造り主を覚えよ。』(伝道の書12:1、文語訳)」
今、子育て中の者もそうですが、そうでない者もこれを一つの参考として、若い父親、母親を励まし、子供の教会学校でも参考にしたいと思います。また皆で「キリストは、わが家の主、食卓の見えざる賓客、あらゆる会話の沈黙せる傾聴者」ということを覚えたいと思います。
もう一点は、私たちが生涯、自分の父と母を敬うことの大切さです。「あなたの父と母を敬え」と神は命じられます。ここには、私たちが子供の時だけという限定はありません。これは、私たちへの生涯にわたっての戒めなのです。
不幸にも酷い親のため、到底、親を敬えないという人もあるかも知れません。でも、もし誰か私たちを心にかけてくれる人がいるなら、その人に感謝し、敬愛することが、私たちの人格を生涯育むのです。
親が既に死んでいる場合は、どうでしょう。私の経験を少しお話させて頂きます。私の両親は23年前の4月と5月に続けて死にました。クリスチャンにはなりませんでしたが、キリスト教に反対ではなく、クリスチャンになり牧師になった私を信頼してくれていました。
私は時々、彼らの大変真面目で、しかし私を可愛がってくれた優しさを思い出すことがあります。例えば、私が大阪府立高専を卒業し、初めて実家を離れ、ある企業の横浜市港北区にある寮に入る時、何と父は私と一緒に新大阪駅から新幹線に乗り、その寮までついて来て手伝い、私が部屋に落ち着いたのを見届けて、夕方、一人で大阪へ帰ったのでした。その夏、母は着心地のいい着物を私に送ってくれました。幼い時、母は病気で片方の視力を失い、残った方の目も悪かったのですが、そんな目で私のために一生懸命、着物を縫ってくれたのでした。
そういう父と母を思い出しますと、つい泣けてきて、改めて彼らと神に感謝したくなります。そして自分がどんなに恵まれ幸せであるかに更に気付き、一層嬉しくなります。すると不思議なことに、神と人に対して、いわば自分の内面が清くされ、高められるのを感じるのです。
これは親との間だけのことではありません。私に親しく接し、色々助けてくれたクリスチャンの先輩や牧師たち、また今まで出会ったクリスチャン以外の敬うべき沢山の方との間でも同じです。人に深く感謝し、人を敬うことは、今も私自身の内面を育てる神の素晴らしい恵みであることを思います。
ルカ2:51が伝えますように、主イエスも人間の「両親に仕えられ」ました。主も守られた「あなたの父と母を敬え」という第五戒に込められている神の愛の広さ、長さ、高さ、深さに、改めて驚かされます!主の御名は、ほむべきかな!