聖書の言葉 20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。出エジプト記 20章12節 メッセージ 今日も第五戒を学びます。 前回は、第五戒の位置、すなわち、第一戒から第四戒の対神的戒めにすぐ続くという点から、対神面と対人面の両方に関るという第五戒の特別な性質に焦点を当てて学びました。今日はまず、「あなたの父と母を」、つまり、父だけでなく、母をも敬えと命じる点に注目します。 今の私たちにはこれは当然ですが、一般的に男尊女卑の風潮が非常に強かった古代社会を考えますと、この戒めの顕著さと重みがよく分ると思います。そもそも創世記1:27は、神がご自分の形、ご自分の似姿として、あくまで男と女の両性を創造されたことをハッキリ教えています。これが聖書の宗教です。 そこで、父をも母をも全く同様に敬い、重んじることを教える旧約聖書の御言葉のいくつかを見ておきます。 レビ記20:9「誰でも自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。その人は自分の父或いは母をののしったのだから、その血の責任は彼にある。」 申命記27:16「自分の父や母を軽んずる者は呪われる。」 箴言6:20「わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。」 同23:22「あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの母が年老いても蔑んではならない。」 同30:17「自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。」 そこで、父母を敬うことに関して、少し具体的なことも見ておきます。旧約聖書の御言葉を今いくつか見ましたが、神は、私たちが父母を敬うことを、大変強く求めておられることがよく分りますね。 これは、私たちが子供であった時だけでなく、生涯を通じてそうあるべきでしょう。 私たちが壮年になり中年になりますと、当然、親はどんどん老人になり、様々な点で衰えが出てきます。目や耳、足腰が弱り、物を噛んで呑み込む力も弱る。色々なことをすぐ忘れ、同じ話を繰り返す。何をしてもペースがのろい。排泄の問題も起ります。これらは避けることができません。 だからといって、私たちは父母を軽んじてはならず、大切にすることを決して忘れてはなりません。父母の愛、労苦、涙を通して私たちを養い、一人前に育て、人として大切なことを身に着けさせて下さった神の眼差しは、彼らがどんなに高齢になり、弱り、衰えても、彼らに注がれています。神のこの大きな恵みと慈しみを覚え、彼らへの感謝と愛を、是非、意識的に覚え、表わしたいと思うのです。そして、それは彼らが生きている間だけでなく、亡くなった後も、私たちが生きている限り、是非覚え続けたいと思います。 第五戒に関して、具体的な点でもう一つ見ておきます。確かに私たちは第五戒に従って、父母を敬い、重んじ、彼らに従い、彼らを大切にします。しかし、彼らがもし神の御心に反することを私たちに要求する時には、彼らに従うことはできません。例えば、偶像礼拝とか主の御心に反することを彼らが求めるような時、私たちは、そのことに関してだけは、彼らに決して従うことができません。 旧約時代にユダの王アサは、Ⅰ列王記15:13が伝えますように、「母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退け」ました。 新約時代には、使徒5:29が伝えますように、ユダヤの宗教権威者たちの前で、ペテロと他の使徒たちはこう言いました。「人に従うより、神に従うべきです。」 また前回の祈祷会でもお話しましたが、主イエスはその少年時代、ルカ2:51が伝えますように、ナザレで「両親に仕えられ」ました。人間的な言い方ですが、大変優しい親孝行な子供だったと思います。しかし、イエスがキリスト・救い主としての公生涯に入って群衆に大事な福音を語っておられた時、母マリアとイエスの兄弟たちがやってきて、イエスに会いたいと伝えたことがありました。イエスはその時、マルコ3:33「私の母、私の兄弟とは誰でしょうか」と答え、更にこう言われました。3:35「誰でも神の御心を行う人、その人が私の兄弟、姉妹、母なのです。」イエスのことをまだ十分に理解できていなかった母マリアには、これは寂しくショックだったと思いますが、後にはこれをよく理解できたでしょう。 現実の生活では、私たちは第五戒を巡って悩むことも多いと思います。しかし、親に従順なだけが親孝行ではなく、神の御心を優先して親に従わないことが却って本当の意味で親を愛していることもあります。そのことも覚え、その都度、よく考え祈り、主の御心を選び取りたいものですね。10:37「私よりも父や母を愛する者は、私に相応しいものではありません」と言われた主イエスの御言葉をよく考えつつ、しかし、心より第五戒を尊びたいと思います。 関連する説教を探す 2022年の祈祷会 『出エジプト記』
今日も第五戒を学びます。
前回は、第五戒の位置、すなわち、第一戒から第四戒の対神的戒めにすぐ続くという点から、対神面と対人面の両方に関るという第五戒の特別な性質に焦点を当てて学びました。今日はまず、「あなたの父と母を」、つまり、父だけでなく、母をも敬えと命じる点に注目します。
今の私たちにはこれは当然ですが、一般的に男尊女卑の風潮が非常に強かった古代社会を考えますと、この戒めの顕著さと重みがよく分ると思います。そもそも創世記1:27は、神がご自分の形、ご自分の似姿として、あくまで男と女の両性を創造されたことをハッキリ教えています。これが聖書の宗教です。
そこで、父をも母をも全く同様に敬い、重んじることを教える旧約聖書の御言葉のいくつかを見ておきます。
レビ記20:9「誰でも自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない。その人は自分の父或いは母をののしったのだから、その血の責任は彼にある。」
申命記27:16「自分の父や母を軽んずる者は呪われる。」
箴言6:20「わが子よ、あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨ててはならない。」
同23:22「あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの母が年老いても蔑んではならない。」
同30:17「自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。」
そこで、父母を敬うことに関して、少し具体的なことも見ておきます。旧約聖書の御言葉を今いくつか見ましたが、神は、私たちが父母を敬うことを、大変強く求めておられることがよく分りますね。
これは、私たちが子供であった時だけでなく、生涯を通じてそうあるべきでしょう。
私たちが壮年になり中年になりますと、当然、親はどんどん老人になり、様々な点で衰えが出てきます。目や耳、足腰が弱り、物を噛んで呑み込む力も弱る。色々なことをすぐ忘れ、同じ話を繰り返す。何をしてもペースがのろい。排泄の問題も起ります。これらは避けることができません。
だからといって、私たちは父母を軽んじてはならず、大切にすることを決して忘れてはなりません。父母の愛、労苦、涙を通して私たちを養い、一人前に育て、人として大切なことを身に着けさせて下さった神の眼差しは、彼らがどんなに高齢になり、弱り、衰えても、彼らに注がれています。神のこの大きな恵みと慈しみを覚え、彼らへの感謝と愛を、是非、意識的に覚え、表わしたいと思うのです。そして、それは彼らが生きている間だけでなく、亡くなった後も、私たちが生きている限り、是非覚え続けたいと思います。
第五戒に関して、具体的な点でもう一つ見ておきます。確かに私たちは第五戒に従って、父母を敬い、重んじ、彼らに従い、彼らを大切にします。しかし、彼らがもし神の御心に反することを私たちに要求する時には、彼らに従うことはできません。例えば、偶像礼拝とか主の御心に反することを彼らが求めるような時、私たちは、そのことに関してだけは、彼らに決して従うことができません。
旧約時代にユダの王アサは、Ⅰ列王記15:13が伝えますように、「母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を皇太后の位から退け」ました。
新約時代には、使徒5:29が伝えますように、ユダヤの宗教権威者たちの前で、ペテロと他の使徒たちはこう言いました。「人に従うより、神に従うべきです。」
また前回の祈祷会でもお話しましたが、主イエスはその少年時代、ルカ2:51が伝えますように、ナザレで「両親に仕えられ」ました。人間的な言い方ですが、大変優しい親孝行な子供だったと思います。しかし、イエスがキリスト・救い主としての公生涯に入って群衆に大事な福音を語っておられた時、母マリアとイエスの兄弟たちがやってきて、イエスに会いたいと伝えたことがありました。イエスはその時、マルコ3:33「私の母、私の兄弟とは誰でしょうか」と答え、更にこう言われました。3:35「誰でも神の御心を行う人、その人が私の兄弟、姉妹、母なのです。」イエスのことをまだ十分に理解できていなかった母マリアには、これは寂しくショックだったと思いますが、後にはこれをよく理解できたでしょう。
現実の生活では、私たちは第五戒を巡って悩むことも多いと思います。しかし、親に従順なだけが親孝行ではなく、神の御心を優先して親に従わないことが却って本当の意味で親を愛していることもあります。そのことも覚え、その都度、よく考え祈り、主の御心を選び取りたいものですね。10:37「私よりも父や母を愛する者は、私に相応しいものではありません」と言われた主イエスの御言葉をよく考えつつ、しかし、心より第五戒を尊びたいと思います。