聖書の言葉 20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。出エジプト記 20章12節 メッセージ 今日は十戒の第五戒の学びに進みます。 ご承知のように、第一戒から第四戒が対神的戒め、第五戒から第十戒が対人的戒めですが、第五戒は対人的戒めの最初のものであり、対神的戒めにすぐ続く所に位置します。従って、対人的戒めの中でも、対神的なことと特に密接に関っていると言えるでしょう。「敬う」と訳されているヘブル語は、人に対してだけでなく、箴言14:31に「造り主を敬う」とありますように、神にも使われます。元は「重い」とか「重んじる」という意味で、第五戒では強意形の動詞が使われています。「尊ぶ。名誉を重んじる。尊敬する」という意味です。 話を戻します。対神的戒めと対人的戒めの接点のような第五戒の位置と性格を考えますと、次のように言えるでしょう。 第一に私たちは、人間の父母を敬い重んじることを通して、創り主にして救い主なる真(まこと)の神への信仰の最も基本的な姿勢、つまり、神を畏れ、神を愛し、神に従順に従うという姿勢を身に着けるということです。 第二に私たちは、父母を敬い重んじることを通して、神への自分の信仰が真実であることを、具体的に表わす、と言えます。 実際、父母への態度は、単にそれに留まらず、人間関係と人間社会の秩序の中で最も基本的で基礎となる親子関係を私たちに与えておられます神への信仰と姿勢を計るバロメーターなのです。ですから、マタイ15:4~6で主イエスが、親を軽んじるパリサイ人たちや律法学者たちの偽善に対して、「神は、『父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言われました。それなのに、あなた方は言っています。『誰でも父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、神への献げ物になります、と言う人は、その物をもって父を敬ってはならない』と。こうして、あなた方は、自分たちの言い伝えのために神の言葉を無にしてしまいました」と厳しく語られたことも、よく理解できます。 私たちは、父母を私たちに与えることで、ご自分への信仰の基本的あり方を問い、かつ育てようとしておられる神の愛と知恵と熱心を、よく覚えたいと思います。 さて、今申し上げたことを別の角度から言いますが、第五戒から尚も学ぶことがあります。 すなわち第三に、神への従順さや愛、またそこから人を尊ぶことや人間関係における秩序を重んじる責任といった基本的なことを、神は、親を通して子供に教育し、身に着けさせようとしておられる、ということです。これも忘れないでいたいと思います。 従って、第五戒は、親に非常に大事なことを教えています。すなわち、子供が親を敬い重んじることを通して、人との関係を尊ぶ者へと成長できるように、幼い頃からマナーなど躾を初めとする家庭での人格教育を求めている、ということです。 家庭は、人間社会の最も基本的な単位であり核です。ですから、家庭でこそ、人間としての基本を、子供が幼い時によく身に着けさせなくてはなりません。そうでないと、それを知らないまま大きくなった子供は、人との健全な関係が作れず、不幸なことになりかねません。 逆にそれが身に着いていますと、人との健全な関係を子供は築きやすくなります。これは、神が親に与えられた責任であり光栄でもあります。挨拶、言葉遣い、行儀、またウェストミンスター小教理問答の問64が言いますように、目上・目下・対等の者への誠実な態度や礼節、また自分をよく制御できる者に子供を育てるのです。今日、クリスチャンの親でも、このことを十分自覚している者は案外少ないかも知れません。 しかし、家庭での子供への教育は、これで終りではありません。更に重要なことがあります。 すなわち、第四にそれは、愛をもって私たちを造られた真(まこと)の父であられる天の神を、真に愛し、喜び、従順であるという信仰の基本を身に着けさせることを、親は子供に自分との関係を通して教育するのです。 クリスチャンにとって、子供への教育は、単に頭の良い子にとか社会で巧くやっていける子に育てることが、一番の目的ではありません。神と人を愛し、神と人に仕え、そうやって神の栄光を表し、神を喜ぶことを、最大の喜びとする人間になってくれることです。それを親は、自分との関係を通して子供たちに丁寧に教育し、子供はそれを学ぶのです。 ルカ2:51が少年時代の主イエスについて、短いですが印象深くひと言、「両親に仕えられた」と伝えていることは、大変興味深いと思います。 最後にもう一度、第五戒を読みます。「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」 関連する説教を探す 2022年の祈祷会 『出エジプト記』
今日は十戒の第五戒の学びに進みます。
ご承知のように、第一戒から第四戒が対神的戒め、第五戒から第十戒が対人的戒めですが、第五戒は対人的戒めの最初のものであり、対神的戒めにすぐ続く所に位置します。従って、対人的戒めの中でも、対神的なことと特に密接に関っていると言えるでしょう。「敬う」と訳されているヘブル語は、人に対してだけでなく、箴言14:31に「造り主を敬う」とありますように、神にも使われます。元は「重い」とか「重んじる」という意味で、第五戒では強意形の動詞が使われています。「尊ぶ。名誉を重んじる。尊敬する」という意味です。
話を戻します。対神的戒めと対人的戒めの接点のような第五戒の位置と性格を考えますと、次のように言えるでしょう。
第一に私たちは、人間の父母を敬い重んじることを通して、創り主にして救い主なる真(まこと)の神への信仰の最も基本的な姿勢、つまり、神を畏れ、神を愛し、神に従順に従うという姿勢を身に着けるということです。
第二に私たちは、父母を敬い重んじることを通して、神への自分の信仰が真実であることを、具体的に表わす、と言えます。
実際、父母への態度は、単にそれに留まらず、人間関係と人間社会の秩序の中で最も基本的で基礎となる親子関係を私たちに与えておられます神への信仰と姿勢を計るバロメーターなのです。ですから、マタイ15:4~6で主イエスが、親を軽んじるパリサイ人たちや律法学者たちの偽善に対して、「神は、『父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない』と言われました。それなのに、あなた方は言っています。『誰でも父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、神への献げ物になります、と言う人は、その物をもって父を敬ってはならない』と。こうして、あなた方は、自分たちの言い伝えのために神の言葉を無にしてしまいました」と厳しく語られたことも、よく理解できます。
私たちは、父母を私たちに与えることで、ご自分への信仰の基本的あり方を問い、かつ育てようとしておられる神の愛と知恵と熱心を、よく覚えたいと思います。
さて、今申し上げたことを別の角度から言いますが、第五戒から尚も学ぶことがあります。
すなわち第三に、神への従順さや愛、またそこから人を尊ぶことや人間関係における秩序を重んじる責任といった基本的なことを、神は、親を通して子供に教育し、身に着けさせようとしておられる、ということです。これも忘れないでいたいと思います。
従って、第五戒は、親に非常に大事なことを教えています。すなわち、子供が親を敬い重んじることを通して、人との関係を尊ぶ者へと成長できるように、幼い頃からマナーなど躾を初めとする家庭での人格教育を求めている、ということです。
家庭は、人間社会の最も基本的な単位であり核です。ですから、家庭でこそ、人間としての基本を、子供が幼い時によく身に着けさせなくてはなりません。そうでないと、それを知らないまま大きくなった子供は、人との健全な関係が作れず、不幸なことになりかねません。
逆にそれが身に着いていますと、人との健全な関係を子供は築きやすくなります。これは、神が親に与えられた責任であり光栄でもあります。挨拶、言葉遣い、行儀、またウェストミンスター小教理問答の問64が言いますように、目上・目下・対等の者への誠実な態度や礼節、また自分をよく制御できる者に子供を育てるのです。今日、クリスチャンの親でも、このことを十分自覚している者は案外少ないかも知れません。
しかし、家庭での子供への教育は、これで終りではありません。更に重要なことがあります。
すなわち、第四にそれは、愛をもって私たちを造られた真(まこと)の父であられる天の神を、真に愛し、喜び、従順であるという信仰の基本を身に着けさせることを、親は子供に自分との関係を通して教育するのです。
クリスチャンにとって、子供への教育は、単に頭の良い子にとか社会で巧くやっていける子に育てることが、一番の目的ではありません。神と人を愛し、神と人に仕え、そうやって神の栄光を表し、神を喜ぶことを、最大の喜びとする人間になってくれることです。それを親は、自分との関係を通して子供たちに丁寧に教育し、子供はそれを学ぶのです。
ルカ2:51が少年時代の主イエスについて、短いですが印象深くひと言、「両親に仕えられた」と伝えていることは、大変興味深いと思います。
最後にもう一度、第五戒を読みます。「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」