十戒の学び22 第四戒5
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 出エジプト記 20章8節~11節
20: 8 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
20: 9 六日間働いて、あなたの全ての仕事をせよ。
20:10 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
2:11 それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中の全てのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。出エジプト記 20章8節~11節
第四戒には学ぶべきことが多いと思います。今日は、この日の聖別の仕方を、宗教改革時代の1563年にドイツで作られたハイデルベルク信仰問答に学びたいと思います。
「問103 第四戒で、神は何を望んでおられますか。
答 神が望んでおられることは、第一に、説教の務めと教育活動が維持されて、私が、とりわけ安息の日には神の教会に熱心に集い、神の言葉を学び、聖礼典に与り、公に主に呼びかけ、キリスト教的な施しをする、ということ。第二に、生涯の全ての日において、私が自分の邪悪な行いを休み、私の内で御霊を通して主に働いて頂き、こうして永遠の安息をこの生涯において始めるようになる、ということです。」
1647年にイングランドで作られましたウェストミンスター小教理問答も見ておきたいと思います。
「問60 安息日はどのように聖別しなければならないか。
答 安息日には、他の日ならば正当であるこの世の業務や娯楽さえも、これをやめて、この日を丸一日、清く休み、やむを得ない働き、または慈善の働きに用いられる他は、全ての時間を、公的なまた私的な神礼拝の行為に用いて、聖別しなければならない。
問61 第四戒は何を禁じているか。
答 第四戒は、求められている義務を行なわなかったり、不注意に行なったりすること、また怠惰により、あるいは本来罪であることをすることにより、あるいはこの世の業務や娯楽についての無用な思い、言葉、行ないによって、この日を汚すことを禁じている。」
日曜日を主の日と考えるか、新約時代の安息日と考えるかで、微妙な違いがありますが、今はそれには触れません。とにかく、この日には、教会で熱心に礼拝を捧げ、不信仰を退け、愛の奉仕に励み、御霊に自分を明け渡し、心を永遠の安息に向ける!宗教改革時代の信仰の先輩たちが、どういう意識で第四戒を自らに適用したかがよく分りますし、大変教えられますね。
実際には、私たちは、病気や色々な事情のため、また信仰の弱さのために、主の日を聖別できない時もあります。しかし、今改めて、力を尽くして主の日の聖別に努めたいと思わされます。必ず祝福されるでしょう。
次に、これと関連して、土曜日の過し方を考えます。
私たちは6日間、社会で働き、あるいは学び、同時に主の日・安息日に向けて、土曜日には自分の心身を整えます。主の日の聖別のためにです。この点では、かつてユダヤ人たちも同じように考えました。マタイ27:62やルカ23:54が伝えますように、彼らは、安息日の前日を特に「備え日」と呼び、翌日を聖別するために、意識的にその日を過しました。今では土曜日がそれに当たります。
そこで、その土曜日のことですが、この日に、例えば、やむを得ない事情で目いっぱい遅くまで働き、疲れ、もっと悪いことに暴飲暴食とか、いたずらに夜更しをするなら、翌日の礼拝時間に眠り、一日中、体も辛いのは、当然でしょう。
その反対に、土曜日を極力、備えの日として、心身を整え、予告されている説教箇所の御言葉を読み、瞑想し、睡眠もよく取ると、どうでしょう。翌日、体も快調で、礼拝もその他の時間も恵まれ、神が用意しておられる主の日の祝福にフルに与れます。長年にわたるその積み重ねは、必ず私たちの信仰と人格を高めます。ですから、極力、日曜日と土曜日をワン・セットで考え、自分の体と時間を知恵深く用い、安息日の主、イエス・キリスト(ルカ6:5参照)の恵みと祝福に豊かに与りたいものです。
主の日の聖別に関して、もう一つ、他者、あるいは隣人への愛の配慮という点があります。出エジプト記20:10は言います。「七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜も、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。」
これは、家畜も含めて身内のもの全員に、また辛い生活も多かった寄留者たちにも安息日の祝福に与らせるように命じ、要するに隣人への愛の配慮を求めていると言えます。マタイ22:34~40で主イエスは、律法を、神を愛すること、また隣人を愛することだと要約されました。第一戒から第四戒は対神的戒め、第五戒から第十戒は対人的戒めですが、興味深いことに、対神的戒めに属する第四戒で、既に人への愛の配慮がこんなにも教えられていて、第四戒の豊かな内容に今更ながら驚きます。神を愛することと人を愛することを、ワン・セットで考えるべきことが、既にここに教えられていると言えるでしょう。
私たちも、家族や親しい人たちの礼拝出席を妨げるようなことは当然避けます。しかしそれだけでなく、主の日全体を、神礼拝は勿論、特に教会の兄弟姉妹たちへの温かい愛の奉仕や気遣いのある交わりにより、神の愛と安息を分かち合う日としてハッキリ位置づけ、そういう意味で、この日を積極的に聖別するならば、どんなに幸いかと思います。どうか、主が私たちを励まして下さいますように!