2022年09月29日「互いに信仰を励まし合う」
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互いに信仰を励まし合う
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テサロニケの信徒への手紙一 5章10節~18節
聖書の言葉
5:10 主が私たちのために死んで下さったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
5:11 ですからあなた方は、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。
5:12 兄弟たち、あなた方にお願いします。あなた方の間で労苦し、主にあってあなた方を指導し、訓戒している人たちを重んじ、
5:13 その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。
5:14 兄弟たち、あなた方に勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、全ての人に対して寛容でありなさい。
5:15 だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、また全ての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 全てのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。テサロニケの信徒への手紙一 5章10節~18節
メッセージ
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私たちの教会では、今年度の標語を、週報の1ページにありますように、「教会設立を目指してー『日々、互いに信仰を励まし合おう』」としました。
聖書個所は、「今日と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい」(へブル3:13)です。それをふまえて、今年は教会修養会のテーマも「互いに信仰を励まし合う岡山西教会」としました。修養会については、先月8月11日はコロナ感染者増によって、また今月9月19日は台風に見舞われ、2回も延期となりまして、次週10月2日の午後に短縮した形でようやく開催できるかなというところです。
この間(かん)、教育委員会ではこのテーマについて話し合い、いろいろ思いを合わせてきましたので、今日はそのことに関して少しだけお話しできたらと思います。
まず、私はいつも、今現在、この場所に岡山西伝道所としてこの群れが存在することを感謝しています。毎週、礼拝を捧げ、み言葉の説教で養われていること、また祈祷会が出来ること、励まし合える信仰の兄弟姉妹がいることなど、これらは当たり前ではないからです。中会の現状を見ても、牧師がおられなくなってしまう教会がありますし、会員数も減っています。高齢化も進み、住む地域によっては、礼拝の形をとることも難しい所があるようです。
私たちの教会も、無牧の時を二回経験しましたので、毎週の礼拝を一日たりとも欠かさず、これまで捧げられてきたことが当たり前でないことは、実感としてよく分ります。本当に感謝したいと思います。
かつて罪の中であがいていた私たちは、神様の一方的な憐れみにより、イエス・キリストを信じることで、罪を赦され、義とされ、神様の子とされました。そうして信仰を与えられた私たちは、キリストの体である教会に結び合わされ、共に歩む「信仰の家族」をも与えられました。数年前のこと、受洗したある姉妹に「神様の大きな家族へようこそ」とお祝いの言葉をかけた兄弟がおられましたが、地上の制約を超えたこのような交わりは、教会でしか味わえない大きな恵みだと思っています。
弱い私たちは、一人で信仰を全うすることは出来ません。イエス・キリストを救い主と信じ、告白し、キリストの体なる教会に加えられた私たちは、信仰の仲間とともにそこで養い育てられ、守られ、救いの完成へと導かれる途上にあります。イエス様を救い主と信じて私は30年弱になりますが、信仰が全く弱ってしまった時も度々ありました。しかし、見える形で見えない形で教会の信仰の先輩や友に祈られ支えられてきました。喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい、と言われているとおりです(ローマ12:15)。
特に異教社会である日本では、様々の軋轢や誘惑、攻撃があります。未信者の家族がいれば、そこでも衝突が起こりやすく、いわゆるボッチ・クリスチャン(家庭に独りぼっちのクリスチャン)は心が萎えることもあるでしょう。信仰を持った最初から「サタンは優しい家族をも利用してあなたを神様から引き離すように狙っているから気をつけなさい」と言われたものでした。
今日お読みしましたこの個所は、パウロがテサロニケの信者に向けて、キリストの体である教会をたて上げるために書いたお勧めです。解説を読みますと、テサロニケの教会は、決定的な回心と伝道の熱心、模範となる信仰などにより、マケドニアやアカヤの教会の模範となったとあります。大変、力強い教会だったようです。しかし、地上の教会である限り、実際の信仰生活における数々の弱さ、欠点があったため、ここに勧められるように、教会の中で、互いに戒め、励まし、助けるといったキリストにある愛の働きを必要としていました。
私たちの教会も同じく地上の教会である限り、欠けも弱さもあります。ですから私たちは「全ての兄弟に対して決して気短にならないで、寛容をもって互いに励まし合い、高め合い、平和を保ち、諭し、悪に対して悪を返さないようにし、互いの間で善を行うように努めて」、益々神様に喜ばれる教会をたて上げていきたいと思います。
具体的には、キリスト者の信仰生活の途上で日々起こる色々な事柄に圧倒され、悩まされ、責められ、試みられ、気落ちしている者、勇気を失っている者、自信を失っている者、心の沈みがちな者を励ましなさい、と解説にありました。ただ、この聖書個所を読むと、無意識に自分が励ます側の人間になっているのですが、実は、度々励ましてもらわなくてはならないのは、この弱い自分であることも自覚しておきたいと思います。「自分は大丈夫」と思わずに、常に謙遜でありたいと思います。
神様がこの教会に集めて下さった大切な兄弟姉妹。 一人もこの信仰共同体の恵みから離れることがありませんように、それぞれが教会に居場所がありますように。共に喜び、共に祈り、共に感謝することが出来るように願っています。