2022年05月19日「十戒の学び 2 中心は愛」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

十戒の学び 2 中心は愛

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
マタイによる福音書 22章35節~39節

聖句のアイコン聖書の言葉

22:35 そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
22:36 「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
22:37 イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽し、命を尽し、知性を尽して、あなたの神、主を愛しなさい。』
22:38 これが、重要な第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。』」マタイによる福音書 22章35節~39節

原稿のアイコンメッセージ

 前回から、私たちは十戒の学びを始めました。

 

 十戒は、古代イスラエル民族が、天地の創り主、主(しゅ)なる神にエジプトから救われた後、シナイ山で神から授けられました。十戒は、神との恵みの契約の中でイスラエルが神の民として生きる上で守るべきものでしたが、本当は神が創造された人類共通の普遍的戒めです。

 なお、十戒の本文は二か所に記されています。出エジプト記20章、それとイスラエルが約束の地カナンに入る直前ですが、ヨルダン川の東のモアブの地で神との契約を再確認するためにモーセが語った申命記5章にあります。

 今日は、十戒の中心点、十戒の心が何かを確認します。

 何事についてもそうですが、しばしば私たちには「木を見て、森を見ず」という所があります。つまり、細かいことに気を取られるあまり、大事な全体や中心点を見失い、忘れることが起り得ます。神との契約に入れられた昔のユダヤ・イスラエルの中にも、そういう人たちがいました。

 最初からそうだったのではありません。神から十戒を与えられ、長い年月が経過し、異邦人と距離を取るようになり、神の御子イエスが約束の救い主として世に来られた頃には、心というか中心理念を見失う傾向が彼らに見られました。すなわち、戒めを完全に守るなら神は人を救い、守らないなら神は人を裁くというように、まるで法律のように捉える傾向が見られました。また十戒を外面的に守ることに熱心で、その上、一つ一つの戒めを更に細分化した規定をも勝手に作るようになっていました。

 しかし、感謝なことに、主イエスは十戒の最も重要で中心的な心をお教え下さいました。

 マタイ22:36~39を見ます。ある人がイエスに尋ねました。「『先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。』イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽し、命を尽し、知性を尽して、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。』」

 主イエスによりますと、十戒の心は、二つあります。一つは、「心を尽し、命を尽し、知性を尽して、あなたの神、主を愛」することです。これは申命記6:5の引用です。要するに、創り主なる真(まこと)の神を愛することです。これは第一戒から第四戒までの対神的戒めに関係しています。とにかく、単に戒めとして守り、これに従うというのではなく、創り主にして救い主ともなって下さった愛と憐れみに満ちた真の神を思う愛が、十戒の第一の心なのです。Ⅰヨハネ5:3も、言い方は違いますが、「神の命令を守ること、それが神を愛することです」と言います。

 ですから、例えば、偶像礼拝や異教的宗教行為、また安息日を軽んじ不敬虔に過ごすことなどを、単にそれらが十戒の禁じる罪だからというのではなく、私たち罪人を愛し、御子を賜り、ただ憐れみにより救いに入れて下さる神に心から感謝し、神を崇め、愛し、大切に思うから、偶像礼拝や異教的宗教行為を私は行わず、あるいは公同礼拝を中心として私は安息日を聖別するのだ、という思いが大切です。

 もう一つは、第五戒から第十戒までの対人的戒めに関係します。これをイエスはレビ記19:18「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」を引用して要約されました。

 イエスによりますと、対人的戒めも、根本は愛に外なりません。ですから、ローマ13:8~10も「…他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない』という戒め、また他のどんな戒めであっても、それらは『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という言葉に要約されるからです。愛は隣人に対して悪を行いません。それ故、愛は律法の要求を満たすものです」と言います。

 ですから、「守らないと神に裁かれるから、十戒を守って罪を犯さないようにする」という以上に、神がご自分に似せて全ての人を造られ、愛しておられるその掛け替えのない「神の形」(創世記1:26参照)、つまり人格の故に、私たちは隣人を愛し尊ぶのです。

 まず神への愛、また神への愛に基づく人への愛!これが神の聖い戒め・十戒の心であり中心なのだという認識と、十戒を単に規則のように思うのとでは、大違いです。

 十戒の一つ一つの戒めは、どれも大切です。しかし、根本的な神と人への愛という中心点を忘れず、また神と人への愛の故に一つ一つ心を傾けて守り、聖い義の道を歩みたいと思います。更に言いますと、十戒は私たちを祝福するために神が下さったものですから、十の戒めを一つ一つ喜び、感謝し、そしてますます神を愛し、神を喜ぶ生活を、天に召される時まで、ご一緒に皆で積み重ねて行きたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す