2022年04月21日「神の言葉を聞き続ける」
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神の言葉を聞き続ける
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- 田村英典 牧師
- 聖書
イザヤ書 55章6節~11節
聖書の言葉
55: 6 主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くおられる内に。
55: 7 悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主は憐れんで下さる。
私たちの神に帰れ。豊かに赦して下さるから。
55: 8 「私の思いは、あなた方の思いと異なり、
あなた方の道は、私の道と異なるからだ。
-主の言葉-
55: 9 天が地よりも高いように、
私の道は、あなた方の道より高く、
私の思いは、あなた方の思いよりも高い。
55:10 雨や雪は、天から降って、元に戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
55:11 そのように、私の口から出る私の言葉も、私の所に、空しく帰って来ることはない。それは、私が望むことを成し遂げ、私が言い送ったことを成功させる。」
イザヤ書 55章6節~11節
メッセージ
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今日は、神の言葉を聞き続けることの大切さを改めて学びたいと思います。
今お読みした所は、旧約時代の神の民・イスラエルの人々に預言者イザヤが語ったものです。彼らは神の愛と憐れみによって神の民とされ、神との恵みの契約に入れられました。力ある言葉により万物を無から創られた真の神・主に、ご自分の民として愛され、主もその契約に忠実でいて下さる幸せな民!これが古代イスラエル民族でした。
ところが、彼らは何回、いいえ何十回、主の目に悪であることを行い、特に諸民族に倣って偶像の神々を拝んだことでしょう。そこで主は、ある時代には士師、すなわち、裁き司(さばきつかさ)たちを送られ、後には預言者たちを遣わし、悔い改めとご自身への立ち返りを何度も強く迫られました。また主は敢えて、彼らに近隣諸国の支配を受けさせ、踏みにじられるままにされました。彼らは悲鳴を上げ、自分たちの罪を認め、主に助けを求めました。主は彼らを憐れみ、救って下さいました。
しかし、少し時が経ちますと、また同じことを繰り返しました。そんな彼らが味わった最大の悲惨がバビロン捕囚でした。既に北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアに滅ぼされていました。しかし、南のユダ王国も、ネブカドネツァルの率いるバビロン軍に、最終的には紀元前586年、エルサレム陥落をもって滅ぼされ、夥しい数の人が殺され、沢山の人がバビロンへ連れて行かれました。
やがてバビロンは滅び、紀元前538年、ペルシア王キュロスによりイスラエルは捕囚を解かれ、パレスチナへ多くの人が帰還し、エルサレム神殿再建と祖国復興に努めました。
こういう背景を持つイスラエルの民にここの御言葉は語られ、その内容は、今の私たちも耳をそばだてて聞かなければならない非常に大切なものです。
それで、教えられる一つのことは、罪と不信仰は直ちに悔い改め、神に立ち返るということです。6、7節は言います。「主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くおられる内に。悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。」
人間はしばしば、自分の罪や不信仰が分っていても、すぐに自分が裁かれるとは考えません。しかし、それは愚かです。主が私たちから去られたならば、もう遅いのです。このことをヘブル12:16、17も、旧約時代の信仰者エサウを例に上げて警告します。俗人で軽薄だったエサウは、のちになって祝福を願いましたが、退けられ、涙を流して求めましたが、「悔い改めの機会が残されていな」かった、とヘブル12:17は伝えます。
私たちも自分の罪について、「まあ、その内にやめるから」などと決して甘く考えてはなりません。6節は「お会いできる間に、…近くにおられる内に」と言います。ですから、本当に今すぐ主を求め、呼び求め、罪と不信仰から離れ、主に帰るのです。すると本当に感謝なことに、7節「主は憐れんで下さる。…豊かに赦して下さる」のです。
第二は、何と言っても神の言葉を聞くこと、聞き続けることです。
8、9節で神は、人知を超えたご自分のお考え、御思いの高さ、深さを語られた後、それを実現させるご自分の御言葉の力について、10、11節でこう言われます。「雨や雪は、天から降って、元に戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、私の所に、空しく帰って来ることはない。それは、私が望むことを成し遂げ、私が言い送ったことを成功させる。」
興味深いことに、旧約聖書の元の言葉・ヘブル語で「言葉」を意味するダーバールは、「出来事」をも意味します。言葉は言葉で終らず、ある出来事を生み出すという深い真理を突いているようです。
人間同士の言葉でも力があります。まして天地の造り主なる真(まこと)の神の私たちへの救いの言葉・福音には、遥かに偉大な力があり、救いを私たちの内に実現させます。創世記1:3は言います。「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」その通り、無から有を生じさせる神の言葉は、暗闇を光に変えることができます。また空しさを充足と喜びに、滅びを救いに、死を命に、臆病な人を勇士に、汚れた罪人を聖い義人に本当に変える力があります。
従って、神の言葉を私達が聞くこと、聞き続けることは、私たちが思っている以上にとても大事であり、素晴らしい恵みを引き起します。ローマ10:17も言います。「信仰は聞くことから始まります。」
世間では雑多な言葉が溢れています。しかし、全ての言葉が益を与えるのではありません。私たちを救いに入れ、救いの完成に至らせ、私たちの全人格をイエス・キリストの御姿に近づけさせ、主の恵みで満たす神の言葉にこそ、絶えず耳をしっかり傾け続けたいと思います。