2022年03月31日「目を上げて山を仰ぐ」

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目を上げて山を仰ぐ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 121章1節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。
121:2 私の助けは主から来る、天地を造られたお方から。
121:3 主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ、イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを守る方。主はあなたの右手を覆う陰。
121:6 昼も日があなたを打つことはなく、夜も月があなたを打つことはない。
121:7 主は、全ての災いからあなたを守り、あなたの魂を守られる。
121:8 主はあなたを 行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。詩編 121章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちはこの世でしばしばとても大きな問題に遭遇します。私たちはうろたえ、自分を失いそうになります。問題が長期化しますと、私たちは疲労困憊し、鉛のような重いものが絶えず心の奥にあり、気持は塞ぎます。問題自体も重荷である上に、先が見えないために心が折れてしまっている自分自身が更に重荷となり、どんどん私たちは深い泥沼に沈んで行きそうになります。

 こういうことは、古今東西、誰しも同じで、余り変らないでしょう。詩篇121も、私たちと同じように重荷に喘ぎ、苦しむことの多かった古代イスラエルの信仰者が背景にあります。

 そんな中、私たちはこの詩篇から大切なことを教えられます。八方塞がりで重荷に潰され、自分を失いそうになる状況にあっても、なお、天地を造られた生ける真(まこと)の神をしっかり見上げることで、究極的な希望を持つことができること、また持つようにと強く励まされていることです。

 作者は歌います。1節「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る、天地を造られたお方から。」

 詩篇の編集時に付けられました標題は「都上りの歌」となっています。従って、この詩篇には、重い気持ちを引きずりながらも遠くから旅をして来て、エルサレム神殿で礼拝しようとした巡礼者の様子が背景にあるようです。「山」は、神殿のあった小高いシオンの丘のことでしょうか。

 とにかく、詩篇作者は、絶望的な思いに支配されそうな中、尚も山を仰ぎ、その上に広がる天を仰ぎ、天地の造り主なる全知全能の主なる神を仰ぐのでした。また、エルサレム神殿で祭司たちの賛美や祝福の言葉を聞いたのでしょうか。聖霊に導かれた信仰の確信を、自分と人に向って表明します。3~8節「主は、あなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。/見よ、イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。/主はあなたを守る方。主はあなたの右手を覆う陰。/昼も日があなたを打つことはなく、夜も月があなたを打つことはない。/主は、全ての災いからあなたを守り、あなたの魂を守られる。/主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」

 何かの不安や心配事で眠れない夜が続きますと、私たちは昼間、起きていることも辛いです。頭もボーっとしていて、体全体に力が入らないこともよくあります。睡眠不足で神経も疲れ切っているからでしょう。

 しかし、天地を造られた全知全能の真(まこと)の神には、こういうことは全くありません。4節「見よ、イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」

 ご自分を信じ、慕い、仰ぐ信仰者たちが、肉体的にも精神的にも疲れ果て、泥のように眠り込んでしまおうとも、神は断じてまどろむことも眠ることもなさいません。出エジプト12:42が言いますように、主は「寝ずの番」をして夜の間も見守られます。何が起ろうと、一番大切な彼らの魂を詩篇121:8「今よりとこしえまでも守られ」ます。

 この世には、私たちの希望となり私たちを支えてくれるものが色々あります。家族、友人、知人の助けなど等々。皆、ありがたいですね。感謝です。

 しかし、絶対的で究極の希望といいますと、天と地と私たち一人一人をご計画によって造り、今も統べ治められる永遠者、絶対者なる真の神以外にあるでしょうか。この神とその無限、永遠、不変の愛と憐れみと真実、そして罪そのものと永遠の死からの救いの力をこれ以上なく鮮やかに示すため、神の御子、主イエスが二千年前、世に来られました。主は私たちの罪をことごとく背負い、十字架で命を捧げ、復活され、死よりも遥かに強い豊かな救いの力と永遠の命がご自分の内にあることをお示し下さいました。この主イエスへの信仰により、天地の造り主、全知全能の神を、私たちの永遠の希望とさせて頂けることを、聖書はその全巻を挙げて教えています。

 近くに山はなくても、静かに目をつぶり、心の中で山を仰ぎ、その上に広がる壮大な天を仰ぐことはできます。閉め切った部屋で息が詰まりそうな時でも、窓を開けますと、外から入り込む新鮮な空気によって生気を取り戻すこともできます。それと同じように、息が詰まりそうになる時、詩篇作者と同じように、私たちも実際に、しかしそれが無理なら、せめて心で静かに天を仰ぎ、また心の窓を神に向かって思いっきり開放したいと思います。私たちを慰め力づける御霊による風がスーッと私たちの魂に入って来ることを、主は私たちに味わわせ、永遠の天の都へ向かう巡礼の旅を励まして下さるでしょう。私たち一人一人だけでなく、教会の皆で互いに励まし合い、また主イエス・キリストに励まされて、天の都に向かうこの巡礼の旅を続けたいと思います、

 もう一度1、2節を読みます。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る、天地を造られたお方から。」

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