主の祈りの学び 7 第一祈願 4
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書 マタイによる福音書 6章9節~13節
6:9 ですから、あなた方はこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。
6:11 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
(新改訳聖書 2017年度版)マタイによる福音書 6章9節~13節
「御名(みな)が聖なるものとされますように」、「御名が崇められるように」という主の祈りの第一の祈願について、私たちはこれまで3回にわたり学んできました。今日は、私たちの信仰の先輩たちが、主イエスの教えられたこの祈りをどう受け止め、また自分たちにどう適用しようとして来たかを見てみたいと思います。こういう学び方も大変興味深いと思います。
まず、1563年にドイツのハイデルベルクで造られました『ハイデルベルク信仰問答』(吉田隆訳)を見ます。
問122「第一の願いは何ですか。」答「『御名を崇めさせ給え』です。すなわち、第一に、私たちが、あなたを正しく知り、あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、その全ての御業(みわざ)において、あなたを聖なるお方とし、崇め、賛美できるようにさせて下さい、ということ、第二に、私たちが自分の生活の全て、すなわち、その思いと言葉と行いを正して、あなたの御名(みな)が私たちの故に汚されることなく、かえって崇められ賛美されるようにして下さい、ということです。」
色々なことが言われていますが、要は、第一に、私たちが神を正しく十分に知って、神を崇めることの出来る者にされ、第二に、私たちの生活の全て、すなわち、私たちの思いと言葉と行いが正され、その結果、御名が汚されず、崇められ賛美されるようにして下さい、という願いです。
第一点でも第二点でも、神が崇められ賛美されるようにと言われています。ただ、どちらかと言いますと、第一点では神の偉大なご性質についての「私たちの内なる認識において」が言われ、第二点では思いと言葉と行いといった「私たちの実際の生活において」御名が崇められ賛美されるように、という点に強調点があります。そしてこのこと、つまり、私たちの心の中の神認識においてという点と、私たちの実際の生活においてという両方の面で、神の御名が崇められることを神に祈り願うことは、何と大切でしょうか。しかも、第二点の方では「私たちの思いと言葉と行いが正され、その結果、御名が汚されず」と、私たちの罪と弱さまできちんと自覚されており、とても真摯な告白と言えます。信仰の先輩たちがかつて告白したこれらの点に、私たちも是非、倣いたいと思います。
次に、ハイデルベルク信仰問答の約80年後、英国のロンドンで1647年に完成しましたウェストミンスター大教理問答ではどうでしょうか。宮﨑彌男訳で読みます。
問190「第一の祈願において、私たちは何を祈るのですか。」答「(『御名が崇められますように』という)第一の祈願において、私たちは、神を正しく敬うことの到底できない無能力と無気力が自分自身と全ての人の内にあることを認めた上で、次のことを祈ります。すなわち、神がその恵みによって私たちや他の人々に、神、神の称号、属性、規定、御言葉、御業、そのほか何事であれ、それによって神がご自身を知らせようとしておられる事柄を知り、認め、大いに尊んで、思いと言葉と行いにおいて神に栄光を帰することを得させて下さるように、また、そうするように心を傾けさせて下さるように、ということ、さらには、神が無神論、無知、偶像崇拝、冒瀆、また何であれ、神の栄誉を汚すようなことを防止し、除去して、全てを支配されるご自身の摂理により、万事を御自身の栄光に適うように指図し、取り計らって下さるように、ということです。」
昔の文章らしく、長くて少々分りにくいかも知れませんが、よく読めば分ります。
内容は、ハイデルベルク信仰問答と似ていると思います。当然それも参考にしたでしょう。ただ、ハイデルベルク信仰問答に比べ、第一に「神を正しく敬うことの到底できない無能力と無気力」とありますように、私たちの罪と無能力がより強く告白されています。第二にそれらが「自分自身と全ての人の内にある」とか「神がその恵みによって私たちや他の人々に」とありますように、他の人のことも広く覚えられ告白されています。第三に全体として「神が…私たちに得させて下さるように」とか、「神が…防止し、除去して、…ご自身の摂理により、指図し、取り計らって下さるように」など、神の御力への信頼と期待が、より強く告白されているように思われます。
「御名が崇められるように」と、私たちはこの第一の祈願を、何百回、いいえ、何千回、一生の間に唱えることでしょうか。これまで3回にわたって見てきたことに加え、ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター大教理問答などに見られる信仰の先輩たちの、第一に徹底した罪の自覚、第二に神の御力への熱い期待、第三に心の中だけでなく生活全体において、さらには第四に全ての人により神が崇められ賛美されることを願う、その篤い真摯な信仰に是非、私たちも倣いたいと思います。