2019年03月27日「もう一人の自分を持つ」

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もう一人の自分を持つ

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
詩編 146篇1節

聖句のアイコン聖書の言葉

146:1 ハレルヤ。わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
(新改訳聖書 2017年度版)詩編 146篇1節

原稿のアイコンメッセージ

 詩篇146:1に「ハレルヤ、私の魂よ、主をほめたたえよ」とあります。最初に「ハレルヤ」と来る詩篇が、146から150篇までまとめられています。「ハレル」は「たたえる、賛美する」、「ヤ」は真の神を表すヘブル語「ヤーウェ」の一部で、日本語では「主」と訳されます。ですから、ハレルヤとは「主をたたえよ、主を賛美せよ」という意味です。

 それで今日、特に注目したいのは、作者が「私の魂よ」と、自分自身に呼びかけていることです。いわば、もう一人の自分が現実の自分を距離を置いて見つめ、語りかけています。

 同じようなことが、聖書には他にも見られます。例えば、詩篇42の作者は、その5節と11節で「わが魂よ、なぜ、お前はうなだれているのか、私の内で思い乱れているのか。神を待ち望め」と述べ、自分に尋ね、自分と論じ、自分に命じています。聖書の伝える信仰者たちは、神を固く信じ、イエス・キリストに固くつながっているもう一人の自分を持ち、その自分の目から、少々弱虫で、すぐパニックを起したり、いじけそうになる現実の自分を、しばしば距離を置いて見つめ、自分を叱り、自分と論じ、また神を賛美することを自分に命じ、促し、或いは自分を慰め、励ましたりしています。これは私たちの人生で、非常に大切なことと言えます。

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏が連載しておられた『文藝春秋』の「新・がん50人の勇気」の2007年4月号に、「ホスピスの壁新聞」というのがありました。東京の武蔵小金井にある聖ヨハネ桜町病院のホスピスで、1998年1~3月にかけ、川辺龍一さんと妻の貴子さんが71日間を過された時のことを、取材して書かれたものです。

 亡くなられた時、川辺龍一さんは、三菱重工長崎造船所の技術系社員で、働き盛りの41歳でした。妻の貴子さんは、病室に簡易ベッドを入れ、連日24時間付きっ切りでケアに当られました。

 興味深いのは、ホスピスで暮らされた間、お二人がイラスト入りの小さな壁新聞『116 NEWS』を毎日、部屋のドアの外に貼られたことです。116は川辺さんの病室番号です。この『116NEWS』が、他の患者さんや家族、職員、ボランティアなどの関心の的になり、楽しみになっていたそうです。病室内のプライベートな生活や思い、或いは医師や看護師たちの様子などが、病気の辛さ、苦しさを忘れさせるような明るいトーンで書かれ、日替りメニューで公開されました。それで、ホスピスで過す人たちにとって、「ああ、なるほど、川辺さんとこはそうなのか」、「そう、そう、そうなのよ。同じなんだ」、「あのナースのこと、よく描けてる」などと、共感を呼ぶものばかりで、壁新聞の前に立ち止ると、心にポッと温もりの火を灯されたような気持になったといいます。

 絵日記にまとめて、毎日ドアの外に貼ろうと発案したのは、貴子さんでした。その動機は、ユーモアの味付けをした日記を書くことは、底なしのブラックホールに吸い込まれるような心理状態に陥るのを防ぐ効果があるだろうということ、それと、自分たちの日常を、もう一人の自分が少し距離を置いた天井から見つめる視点を持つことになるから、少しでも前向きに明るく生きて行く心の持ち方につながるに違いない、というものでした。

 貴子さんの書かれた『116NEWS』は、ご主人の死の前日のものでも、ホンワリと温かくてユーモアの心を忘れないものでした。その絵は、折り畳みテーブルの前に座り、食事の品々を並べて、大きな口をあけてパクパクと食べている妻の姿を、ベッドサイドで点滴に頼る川辺さんが温かく見守るというものでした。

 柳田邦男氏は、自分を見つめるもう一人の自分を持つことは、死を前にした生き方に限らず、平常時においても、心の安定した生き方をしていく上で、とても大事な「心の習慣」と書いておられます。

 聖書から見ても、これはその通りです。私も洗礼を受け、クリスチャンになってからは、父なる神、また御子イエス・キリストと一緒になって、現実の自分を見て語りかける、もう一人の自分がいることがしばしばありました。そのお陰で、現実の自分が、時に厳しく諌め(いさめ)られ、時にユーモアをもって赦され、慰められ、励まされてきました。

 単にもう一人の自分ではなく、常に愛と赦しと慰めをもって臨んで下さる神の御子イエス・キリストと一緒にいて、信仰と希望と愛に生き、そうして現実の自分を見ているもう一人の自分を持ち、特に詩篇146:1のように「ハレルヤ、わが魂よ、主をほめたたえよ」と自分に呼びかけることが出来ますならば、どんなに幸いでしょうか。御霊(みたま)なる神が、どうか、そうさせて下さいますように!アーメン

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