2021年08月05日「祈りについて (21) 自分をよく知る信仰者の祈り」
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祈りについて (21) 自分をよく知る信仰者の祈り
- 日付
- 説教
- 田村英典 牧師
- 聖書
箴言 30章7節~9節
聖書の言葉
30:7 二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえて下さい。
30:8 空しいことと偽りの言葉を、私から遠ざけて下さい。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。
30:9 私が満腹してあなたを否み、『主とは誰だ』と言わないように、また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。箴言 30章7節~9節
メッセージ
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祈りについて学びます。21回目の今日は、「自分をよく知る信仰者の祈り」と題してお話致します。
カルヴァンは『キリスト教綱要』第1篇1章で、神を知ることと私たちが自分を知ることとに密接な関係のあることを見事に論じています。確かに聖書により、神を知れば知る程、私たちは自分が如何に罪人で信仰が薄いかがよく分りますし、罪深い自分を知れば知る程、神の素晴らしさも一層よく分ります。
注目したいのは、そういう神との関係の中で自分をよく知ることから生まれる祈りです。
その一つは、自分がますます清められ、罪から解放されたいという神への真摯な祈りです。
先程の箴言30:7~9は、信仰者のそういう祈りの一つを私たちに示し、この祈りへと私たちをも招きます。もう一度読んでみます。「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえて下さい。空しいことと偽りの言葉を、私から遠ざけて下さい。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養って下さい。私が満腹してあなたを否み、『主とは誰だ』と言わないように、また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。」
これは、自分の弱さ、足りなさ、危なっかしさを本当によく知っている信仰者の、神への真剣で、心の底からの切なる祈りです。
自分の弱さや不信仰、罪や失敗の故に、自分自身が非難されるのは、黙って受け入れるだけです。その通りなのですから、止むを得ません。
しかし、自分の情けない罪や不信仰、愚かさのために、天の父なる神や御子イエス・キリストまで非難され、自分が「神の御名を汚す」ことになるのは、真(まこと)の信仰者にはどんなに耐えがたいでしょうか。神に本当に申し訳なく、余りにも辛いです。ですから、こういう箴言30:7~9のような、罪の赦しを願う以上に、とにかく罪そのものを嫌い、憎み、そこから救われたいという真摯な祈りが、生れるのだと思います。
しかし、もう一つあります。自分の罪と弱さがよく分っていて、そこからの救いを真剣に祈る信仰者は、必ず神の計り知れない赦しと愛をも体験しますから、自分を少し離れた所から見つめ、自分で自分を笑える、逞しさ(たくましさ)みたいなものを身に着けることを思わされます。それは、徹底的に正しくて聖い(きよい)、でも同時に愛と赦しに満ちた神の御目から、自分を見つめることができる所から来るものです。
自分のいい加減さがよく分っていて、「私はクリスチャンになって、一体もう何年になるのだ。いつまでも駄目だなぁ」とクスッと自分のことが笑えて、しかし、真剣に神のことを思っていますので、イエス・キリストがこの小さな自分をもっともっと清め、変えて下さることをも祈り願う!これが自分をよく知る信仰者の祈りでしょう。
例えば、重い病気や高齢のために、自らの死の近づきを覚えて、胸がキュッと締め付けられ、何とも言えない不安がよぎる!しかし、すぐ「何だ、私はまだまだ信仰が弱いなぁ」と、チョコッと自分を笑える自分がどこかにいて、そういう弱い自分をそのまま受け入れる。しかもなお、「主よ、私をもっと強くし、清めて下さい」と真剣に祈る!そうして自分のことも周囲のことも神に委ね、が自分のできることに少しでも励み、なおも神と人に仕えていこうとする!こういう信仰に、一層近づくことができればと願います。
老境に入りつつある一人の婦人の祈りというのを、以前、ある本で見ましたので、ご紹介します。真面目でいて、しかもユーモアさえ感じさせられます。
「主よ、あなたは私が老いつつあること、いつかは本当に老いることを、私自身よりもよくご存じです。
どうか私があらゆる話題に口出しせずにはいられない癖を、諌め(いさめ)、直して下さい。
他の人のことに介入し、全てを正そうという思い上がりから解放して下さい。
日毎に物覚えが良くなるようにとは願いません。むしろ、私の記憶が他の人のそれと食い違うような時、過剰な自信を振り回して、相手を言い負かすことがないようにして下さい。
時には、自分が間違っているかも知れないのだと気付かせて下さい。
思いがけない所に楽しいことを、思いがけない人の内に才能を見出す能力をお与え下さい。」
これが、17世紀に、ある修道院のシスターが作った祈りだと知りますと、一層興味深いですね。真実な神信仰が私たちにもたらす恵みの一つ、すなわち、自分を本当によく知ることのもたらす幸いを覚え、神に感謝し、祈りを通して、ますます神と親しく交わりを持てるようにと心から願います。