2021年07月25日「魂の健康診断」

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聖句のアイコン聖書の言葉

4:12 神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し通し、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
4:12 神の御前(みまえ)にあらわでない被造物はありません。神の目には全てが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。
4:13 さて、私たちには、諸々の天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を固く保とうではありませんか。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、全ての点において、私たちと同じように試みに遭われたのです。
4:16 ですから、私たちは、憐れみを受け、また恵みを頂いて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」ヘブライ人への手紙 4章12節~16節

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 伝道礼拝ですので、今朝は「魂の健康診断」と題して少し自由にお話させて頂きます。

 高齢になりますと多くの方がそうだと思いますが、私も1年ぶりに先月、生活習慣病予防健診を受け、3週間後に結果も来ました。問題のある所も幾つか見つかりましたが、自分の体の状態を知ることができ、良かったと思います。

 健康診断は誰にとっても大切ですね。自分の体の状態を正しく客観的に知ることで、適切な治療を受け、良くない生活習慣も改善できます。それにより、第一に、私たちは与えられた命を自分の不注意やだらしなさでいたずらに短くすることなく、寿命を全うし、第二に、より快適な日常生活を送り、人や社会の役にも立つことのできる幸いな生涯を送れます。

 ところで、体の健康診断がこのように大切であるなら、魂についても同じではないでしょうか。魂とは、人格の座である心の一番中心部分であり、私たち人間を創られた真(まこと)の神を私たちが仰ぎ、神に応答できる最も大切な部分です。魂があるお蔭で、私達は伝道3:11が言いますように「永遠を想うこと」ができ、自分の生き方や生きる意味を問い、神に祈ることもできます。

 そして、魂が真(しん)に健康ですと、私たちは第一に、肉体の死で一切が終りではなく、直ちに私たちを創られた真(まこと)の神の許に、すなわち、天の国に迎え入れられ、神の祝福の内に、永遠に生きることを許されます。

 また第二に、あとどれぐらい地上で生きられるかは分りませんが、自分をしっかり保ち、健やかな心で人に接し、愛をもって人にも社会にも仕え、神と人に喜ばれ、自分でも感謝と思える一生を送れます。

 では、魂の健康診断は、どうすれば受けられるでしょうか。特に良いのは、教会の日曜礼拝の場に自分を置くことでしょう。何故なら、教会の礼拝では、神の言葉・聖書の朗読とその説き証しである説教が中心ですが、それが私たちの魂を深く探り、その健康状態を私たちに気付かせるからです。

 体の健康診断では、私たちは色々な検査を受けますね。外から見える部分の検査と診断もありますが、隠れた体の内部については、胃や十二指腸や大腸の内視鏡検査があり、胸部のX線撮影があり、更にCT、MRI、ペットなどによる検査と診断もあります。

 実は、神の言葉・聖書は、私たちの心の最も奥深い所にある魂の状態をも探り、私たちにそれを知らせます。ですから、先程お読みしましたヘブル4:12、13はこう言います。「神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し通し、心の思いやはかりごとを見分けることができます。神の御前(みまえ)にあらわでない被造物はありません。神の目には全てが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。」

 礼拝説教で聖書の解き明かしを聞くと、私たちはどうなるでしょうか。自分では気付かない心の奥深い所にある問題、そのままですと、私たちを永遠の死に至らせる罪という病巣部分を、鋭くえぐられるのではないでしょうか。

 残念なことに、自分の問題を聖書と説教で示されるのがイヤで、教会から足が遠のき、来なくなる人たちもいます。しかしそれでは、自分の病気を知るのがイヤで、健康診断を受けないのと同じですね。折角頂いた命を自分で縮め、また体調不良で不快なまま、ずっと生き続けるのと似ています。

 確かに、12節「神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し通し、心の思いやはかりごとを見分けること」ができます。その結果、自分の魂と心の問題また罪を、神の言葉・聖書によって深くえぐられ、診断されるのは、誰にとっても辛いことです。けれども、神の言葉・聖書は、そこで終ってはいません!

 体の健康診断には、診断だけでなく、治療を受け、体を改善できるために、必ず次に適切な診療科や医者を紹介します。

 実は、聖書による魂の健康診断にもそれがあり、心から信頼できる魂の医者、魂の名医を紹介します。それは誰でしょうか。私たちの弱さも問題もよく分り、私たちに親身に寄り添って下さる救い主、神の御子イエスです。ですから、先程のヘブル4:12、13に続いて、14~16節はこう言います。「私たちには、諸々の天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を固く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、全ての点において、私たちと同じように試みに遭われたのです。ですから、私たちは、憐れみを受け、また恵みを頂いて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

 神の言葉・聖書は魂の健康診断をするだけでなく、私たちを根本から治療し救って下さる魂の医者イエスを紹介し、引き合せてくれます。そして御子イエスは、私たちの問題も弱さも本当によくお分りで、どんな時、どんなことで、私たちが失敗し、生活習慣ともなっている罪を犯しやすいかもご存じです。そしてイエスは、ご自分を信頼し、ご自分に近づく者の魂を、お分りのように、第一に治療し、すなわち、死に至る病である罪から完全に救い、永遠の命を与えて下さいます。第二に、ご自分を信じる者たちの魂を更に健やかなものに清め、神と人に仕えるという最も意義深い生き方を可能にして下さり、自分でも感謝と思える一生を送れるようにして下さるのです。

 ところで、自分には魂の健康診断や治療など必要ない、と思う方もあるかも知れませんね。そこで、試しに私たち自身のことを少し振り返ってみたいと思います。先程のヘブル4:13は「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目には全てが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです」と言います。

神の目に全てが裸ということは、神は、私たちが隠れて行った行為も、密かに口にした言葉も、心で思ったことも、全部ご存じということです。

 そこで、神がそれらをそっくりご自分のビデオに録画、録音しておられることを想像してみます。そして過去半年分でいいです。神が録画・録音されたそれを、私たちの知っている人たちの前で、大きな画面と音量で再生されても、自分は全く平気と言える人が、果たしているでしょうか。いないですよね。実はそれが私たちの魂の本当の状態なのです。

 実際、私たちは、自分はチャンとできていませんのに、人のことにはうるさく、よく人を裁き、けなすことはないでしょうか。私たちにはケチでずるい自己中心的な所や、嘘、ごまかしはないでしょうか。神から預かっている大切な命や時間、お金、体を、良いことのためにではなく、空しい愚かなことに費やすことはないでしょうか。もう十分でしょう。

 ローマ6:23は、「罪の報酬は死」だと言います。こういう罪の状態のままでは、私たちはやがて永遠の死に至るということです!これが、聖書による私たちの魂の健康診断なのです。

 しかし、感謝なことに、聖書はこれで終りではありません!先程申しましたように、聖書は魂の名医イエス・キリストを紹介し、私たちをイエスに導きます。

 ご存じのように、神の御子イエスは、私たちの情けない、恥ずかしい、醜いあらゆる罪を背負い、十字架で私たちの身代りとなって命を献げ、また三日目に復活されました。

それにより第一に、ご自分を心から信じる者に罪の完全な赦しと永遠の命を下さいます。ですから、イエスを心から信じ依り頼む者は、いつ死を迎えても、何もかも終るのではなく、永遠の天の国に迎えられます。

 また第二に魂の医者イエスを心から信頼し、イエスに従おうとする者には、聖書や祈りを通して、イエスは魂の健康に生涯関って下さいます。

 「良薬は口に苦(にが)し」と言われますが、イエスは聖書を通して、随分耳に痛いことも時には私たちに語られます。私たちの魂の治療と健康のために、聖書の御言葉による思い切った手術、また注射や点滴もして下さいます。その全ては、ご自分に頼る信仰者を本当に愛し、その魂をより健やかにし、それを保つためです。

 魂が疲れ、グッタリ、ゲンナリすることがあっても、なお、私たちが少しでも感謝や喜び、平安の内に歩み、神と人に仕え、自分でも神と人に感謝できる人生を最後まで送ることができるためです。

 実は、イエスによる最も大切な魂の健康診断と癒しの特徴は、詰る所、聖書を通していつでも喜んで私たちの所に来て下さるイエスご自身との、何よりも親しい交わりにあります。

 人格は、他のより優れた人格との交流によって、深められ、高められ、豊かにされます。実は私たちも魂の名医イエスとの親しい交わりを通して、存在の根底から癒され、清められ、慰められ、励まされ、ますます健やかなものにされていくのです。

 そのイエス・キリストは、今朝もこう言って、私たち一人一人をご自分の許に招いておられます。ヨハネ7:37「誰でも渇いているなら、私のもとに来て飲みなさい。」マタイ11:28「全て疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい。私があなた方を休ませてあげます。」

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