2021年07月11日「喜びが満ち溢れるように」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

喜びが満ち溢れるように

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ヨハネの手紙一 1:1節~4節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分のメールで見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 この命が現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見たので証しして、あなた方に伝えます。
1:3 私たちがみたこと、聞いたことを、あなた方にも伝えます。あなた方も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためです。ヨハネの手紙一 1:1節~4節

原稿のアイコンメッセージ

 今年も後半に入りました。そこで、今年の教会標語の特に「喜び」という点を改めて心に留めたいと思います。

 Ⅰヨハネ1:3、4節をもう一度読みます。「私たちが見たこと、聞いたことを、あなた方にも伝えます。あなた方も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためです。」

 ヨハネは、教会にとって大切な、神との、また信徒相互の交わりの目的は、「私たちの喜びが満ち溢れるため」だと言います。

 しかし、何故こういうことを、わざわざ言うのでしょうか。それは紀元1世紀末の教会に問題が起きていたからです。例えば、1:6から分かりますが、闇の中を歩くような不道徳な者がいました。1:8、自分には罪がないと言う者もいました。2:18、反キリストと呼ばれても当然の異端者もいました。4:1~6によりますと、神の啓示だと言って変なことを語る偽預言者も出ました。ですから、ヨハネは4:1「愛する者たち、霊を全て信じてはいけません。偽預言者が沢山世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい」と警告しました。

 こういう人たちが教会でよく動き、よく発言したら、どうなるでしょうか。教理がよく分っていない人たちもいますから、惑わされ、信徒間に亀裂が生れ、交わりが薄れ、喜びはなくなります。ですから、ヨハネは1:3、4で言うのです。「私たちが見たこと、聞いたことを、あなた方にも伝えます。あなた方も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ち溢れるためです。」

 とにかく、信徒の交わりの大切さを、またその重要な目的が「私たちの喜びが満ち溢れるため」だと、ヨハネは教えます。そして信徒の交わりについて、3節「私たちが見たこと、聞いたことを、あなた方にも伝えます。あなた方も私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです」と、とても大事なことを語ります。

 3節前半の意味は分ると思います。1節が言いますように、ヨハネや彼と共にいる人たちが、直接耳で聞き、目で見、手で触れた主イエス・キリストを伝えるのは、手紙の読者たちもヨハネたちと交わりを持つようになるためです。

 注目したいのは3節後半です。「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わり」だと言います。これはとても大切なことを教えています。

 「キリスト教は交わりの宗教だ」とよく言われます。例えば、仏教では、人は基本的に自分で修行し、自分で悟りを獲得します。

 しかし、キリスト教は交わりの宗教です。交わりの中で、私たちは生ける神の御言葉に養われ、共に信仰や愛を育まれます。交わりの中で、私たちは人に仕えることを学び、人格的に共に成長させられ、共に奉仕もします。交わりの中で、祈りも賛美も最高となります。

 では、何故キリスト教では常に交わりなのでしょうか。それは、私たちをお創りになり、愛しておられる神ご自身が、交わりの神だからです。ヨハネ17:21で、イエスは父なる神に「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように」と祈っておられます。つまり、御父と御子は、素晴らしい最高の愛の交わりの内におられるのです。

 そして、真(まこと)の神は三位一体の神です。従って、神は父・子・聖霊として、永遠から永遠に至るこれ以上ない愛の交わりの内におられます。ここに私たち信徒の交わりの究極の理由もあります。つまり、神ご自身の交わりに倣い、私たちも交わりに生きるのです。

 しかも、三位一体の神ご自身のその麗しい交わりの中に、被造物に過ぎない私たちが御子イエスによって招き入れられ、神との交わりに与る!これが実は永遠の命というものなのです。イエスはヨハネ17:3で父なる神にこう祈られました。「永遠の命とは、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」と。「知る」とは、交わりを意味します。

 前にもお話したことがありますが、私たちが小学校1、2年生位の時であった頃のことを、ちょっと想像してみます。クラスの中に、一人一人もとても良い子で、その上、大変仲の良い憧れの三人組がいるとします。彼らの仲間になれたら嬉しいですが、自分は今そうではありません。しかし、ある時、三人組の中の一人がやって来て、「君も仲間に入らない?」と招いてくれたなら、どんなに嬉しいでしょうか!

 神のことをこのように喩えるのは畏れ多いことですが、神との交わりに私たちが与るとは、三位一体の神ご自身が永遠から永遠にわたって持っておられるその最高の愛の交わりに入れられることなのです。何と素晴らしいでしょう!

 キリスト教が交わりの宗教と言われる根本理由が、よく分ると思います。ですから、教会は歴史を通じて、使徒信条にありますように「聖なる公同の教会、(すなわち)聖徒の交わり…を信ず」と告白し、信徒相互の交わりを尊んできました。また自分の教会の中だけでなく、歴史的・正統的信仰を告白し、労苦している全世界の教会やクリスチャンとの交わりも大切にしてきました。

 そこで、交わりの重要な目的が、4節にありますように「私たちの喜びが満ち溢れるようになるため」という点を見ます。「満ち溢れる」とあります元のギリシア語には、「完成する、満たされる、本当になる」という意味もあります。

 大切なことは、クリスチャンの交わりには明確な目的があり、それは「喜びが満ち溢れるように」なるということです。この点をよく心に留めておきたいと思います。イエスは私たちの「喜び」に大いに関心をお持ちです。ですから、ヨハネ15:11でも「これらのことを話したのは、私の喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである」と言われます。とにかく、皆が喜びで満たされることが交わりの目的なのです。

 2013年12月18日の朝日新聞に興味深い記事がありました。人の心を動物と比較研究をしておられる京都大学の明和(みょうわ)政子教授によりますと、他者への共感はチンパンジーやイルカやラットにも見られるそうです。ただ、その共感の大半は恐れや怒りなど不快な感情に対してなのですが、人間の場合、他者の喜び、楽しみをも共有する特別な共感力があるといいます。とても興味深いですね。「これが神の形に創られた人間なのだ」と思います。

 話を戻します。交わりの目的が分ったならば、私たちの喜びが増し、神を喜ぶことに繋がる交わりには、やはり弁え(わきまえ)が必要です。

 大切なのは愛ですが、その愛についてⅠコリント13:4以降は言います。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず…。」例えば、すぐ人を妬む。自分の体験や知識を自慢し偉ぶる。人の体や心の状態を配慮せず、ただ自分の言いたいことや関心のあることをしゃべる。礼儀がない。自分の利益を求め、苛立ち、恨み、しつこく根に持つ等々。これらは交わりを破壊します。皆、自分によく注意したいと思います。

 以上は消極的な点ですが、積極的にはどうでしょうか。聖徒の交わりを成り立たせ、喜びが満たされるようになるには、当然、聖書の真理に基づき、真理を大事にするものであることが不可欠です。

 しかし、もう少し具体的にはどうでしょうか。

 医療や介護の現場ではよく知られていますが、第一は傾聴です。

 人の話に耳を傾ける愛と謙虚さです。ヤコブ1:19は言います。「このことを弁(わきま)えていなさい。人は誰でも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」人の話にまずよく耳を傾けますと、早とちりをせず、多少とも正しく全体を理解できて、人をまず受け入れ、良い雰囲気と主の祝福の内に聖い交わりを育めます。

 第二は共感です。

 ローマ12:15は言います。「喜んでいる者たちと共に喜び、泣いている者たちと共に泣きなさい。」人が今どんな状況にあるかを配慮し、人の喜び、悲しみなどの感情に注意を払い、寄り添うのです。ドイツには、ローマ12:15に基づき、「共に喜ぶは二倍の喜び。共に悲しむは半分の悲しみ」という諺があります。

 共感力は、努力すれば必ず身につきます。喜びが満ち溢れる聖徒の交わりのために、是非、皆で共感力を高められたいと思います。

 第三は人を励まし支える支援です。

 誰も皆、自分とこの世の問題で苦闘しています。ですから、交わりで大事なことは、主イエスの救いの恵みと希望を分ち合い、意見は違っても、人を神の前で支え、応援する愛です。誰も救いから漏れてはなりません。最後は皆で天国に入り、喜びが満ち溢れるようになるために、私たちは互いに支援し合いたいと思います。そのため、聖書の適切な御言葉を分ち合い、必要ならば、自分の小さな経験や体験も語り、祈り、あくまで人を支えるために自分を提供するのです。

 逆の面から言いますと、近年言われるようになりましたが、人からの援助や励ましを「お世話になってありがとう」と素直に感謝し受け入れる「受援力」も、交わりの点から言いますと、大切ですね。

 私たち皆の「喜びが満ち溢れるように」なるために、三位一体の神との交わりを一層豊かにし、改めて皆で聖徒の交わりを育み、温め合いつつ、今年の後半を歩みたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す