2021年05月06日「祈りについて (15)」
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祈りについて (15)
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- 田村英典 牧師
- 聖書
テサロニケの信徒への手紙一 5章1節~6節
聖書の言葉
5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたには私たちに書いてもらう必要がありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが望むように、突然の破滅が彼らを襲います。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。
5:6 ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
テサロニケの信徒への手紙一 5章1節~6節
メッセージ
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神が下さった尊い恵みの手段の一つである祈りについて、今日も学びます。15回目となります。今日学ぶことは、私たちが祈る時に是非覚えておきたい一つのことですが、終末意識の大切さです。
終末と言っても、大きく二つの面があります。一つは個人的終末、つまり、私たち個々人の死という終末の終末です。
そのことへの自覚を聖書は至る所で教えています。例えば、ヤコブ4:13~15は言います。「『今日か明日、これこれの街に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなた方には、明日のことは分りません。あなた方の命とは、どのようなものでしょうか。あなた方は、暫くの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなた方はむしろ、『主の御心であれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。」
イエスは、ルカ12:16以降にあります愚かな金持の譬の特に20節「愚か者、お前の魂は、今夜、お前から取り去られる。お前が用意した物は、一体誰のものになるのか」という金持への神の言葉により、鋭く個人的終末をお教えになります。
今、日本では新型コロナウィルスの第四波が襲い、人が沢山亡くなり、インドやブラジルでは夥しい感染者と死者が出ています。これは決して他人事ではありません。私たちもいつコロナにかかるかも知れませんし、他の色々な原因でいつ急に死ぬか全く分りません。私たちの命は神が握っておられるのです。私たちはこのことを良く考え、いつ神が命を取られても良いように、特に毎日個人的に祈る時、御霊によって私たちの信仰と生活が整えられるように、真剣に祈りたいと思います。
これに加え、第二に宇宙的終末と言われるものがあります。イエス・キリストの再臨によってもたらされる今の世の終りのことを指します。これについても、聖書は至る所で言及しています。恐らくパウロが最初に書いた手紙であろうと言われますⅠテサロニケ5:1以降で、パウロは言います。「兄弟たち。その時と時期については、あなた方に書き送る必要はありません。主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなた方自身よく知っているからです。人々が『平和だ、安全だ』と言っている時、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してありません。」6節「ですから、他の者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。」
そして聖書の最後、ヨハネ黙示録の終りの方の22:12で、天と地の一切の権能を授けられた神の御子イエスは言われます。「見よ、私はすぐに来る。夫々の行いに応じて報いるために、私は報いを携えて来る。私はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終りである。」
イエス・キリストは、マタイ24、25章で、宇宙論的終末、すなわち、世の終りについて明確にお教えになっています。24:27「人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現する」、24:44「ですから、あなた方も用心していなさい。人の子は思いがけない時に来る」と言われます。
この終りの時は、最後まで罪を悔い改めなかった者には恐るべき裁きの時です。しかし、真に神を恐れ、悔い改めと信仰をもって御子イエス・キリストに固く繋がり、神と隣人を愛し仕え、体も魂も清くして生きた者には、救いの完成の時であり、一切の労苦が報われる最高に感謝な時でもあります。
聖書に教えられている終末意識を明確に持ち、最終的には神が全ての全てとなられ、神の栄光が輝き、王の王、主の主なるイエス・キリストが賛美され、私たちの救いが完成するその時を熱く願いつつ、日々祈りたいと思います。終末意識は、必ず私たちの信仰を鮮明で骨太なものにし、私たちを一層堅く主に結びつけ、主に喜ばれる者にしていくでしょう。
カルヴァンは、旧約聖書の預言書についての講義の後、いつも短く自由に祈り、それらの祈りが少し残されています。カルヴァンの祈りについてのI.J.ヘッセリンクの本には、その中から四つ紹介されています。興味深いことに、それらは全て、終末に言及しています。その一つを紹介致します。「全能の神。私たちはあなたの御子の業、またあなたに造られたものでありますから、あなたの内にいるのでなければ生きることも動くこともできないことを、どうか私たちに悟らせて下さい。そしてどうか、私たちがあなたの隠された摂理によって治められているだけでなく、子供が親に対して当然なすべき服従と従順の実を示し、この地上であなたの御名の栄光をあらわすために熱心に励む者とならせて下さい。そしてついに私たちのために天に蓄えられている祝福された資産を受け継ぐことができますように。私たちのイエス・キリストによって。アーメン。」
私たちも是非、自分とこの世の事柄を常に永遠の光の下で見る者でありたいと思います。