2021年04月22日「祈りについて (13)」

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聖句のアイコン聖書の言葉

6:6 あなたが祈る時は、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。
6:7 また、祈る時、異邦人のように、同じ言葉をただ繰り返してはいけません。彼らは、言葉数が多いことで聞かれると思っているのです。マタイによる福音書 6章6節~7節

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 今日も祈りについて学びます。13回目となります。

 ここ暫く、祈りの基本的なことを学んでいます。まず自分の罪と不信仰を振り返り、悔い砕けた心であるべきこと、次に祈りが信仰の大切な修練であることを学びました。今日は、祈りが神との対話であることを改めて学びます。

 宗教改革者カルヴァンが、祈りを「神との対話」と述べたことは、良く知られています。『キリスト教綱要』3篇20章4節で彼は言います。「祈りを正しく・適切に整えるための第一の法則は、我々が精神と魂とを、神との対話に入るものに相応しくすることをおいて外にない。」5節では更に祈りを「神との親しい対話」と言い、16節でも「祈りというものは、敬虔な人たちが神と親しく対話することである」と述べています。

 祈りは神との対話!そこで彼は、祈りにはキチンとルール(法則)があるべきだとして、相応しい態度、心構えを四つ記します。第一は精神と魂を祈りに相応しく整えること、第二は自らの不十分さ、足りなさを深く認識すること、第三は自分に対する一切の自惚れ、自信を捨て去り、神の憐れみと赦しに依り頼むこと、第四は祈りは必ず聞かれるとの確かな希望を持つことです。これらには既に少し触れたものもありますが、またいつか触れたいと思います。今日は、祈りが「神との対話」もしくは「神との親しい対話」である点に、改めて注目します。

 これは大変大事な点ですね。一口に祈りと言っても、色々な祈りがあります。同じ言葉を何度も繰り返す呪文のような祈りもあり、イエスはマタイ6:7でこう注意されました。「祈る時、異邦人のように、同じ言葉をただ繰り返してはいけません。彼らは、言葉数が多いことで聞かれると思っているのです。」

 「同じ言葉を繰り返す」と訳されているギリシア語「バッタロゲオー」は、擬音のバッタ、バッタというのと、「~を言う」という意味のロゲオーを組み合わせ、「バッタ、バッタと言う」という意味のようです。とにかく、これは人間からの一方的で機械的なものであり、全く対話ではありません。

 では、聖書と信仰の先輩たちから祈りを教えられ祈ってきた私たちの祈りはどうでしょうか。特に祈る時の私たちの意識、気持ちはどうでしょうか。

 神との対話、特に神との親しい対話なのですから、祈る時、私たちの意識の向かう先には、当然、父なる神また御子イエス・キリスト、或いは聖霊なる神しかおられず、他のものは全て私たちの意識の中から消えているはずです。しかし、実際はどうでしょう。

 確かに、祈り始めは、神に呼びかけますので、私たちの意識は神に向いていると思います。しかし祈っている途中で、誰かや何かのことがスーッと頭をよぎった途端、私たちの意識はそちらに向き、神のことはいつしか消えている、ということはないでしょうか。

 そうなると、神との対話どころか、肝心の神のことも祈ることも自分の意識から消えているという情けないことも起り得ます。私たちは実際、持続力も集中力も本当に乏しいですね。

 しかし、今のはまだ最初は神に心が向いているのですから良い方です。ひどい場合には、最初から神との対話という意識もなく、食事の前また仕事や勉強をする前だからというので、決まりきった同じような言葉を、半ば機械的に、そそくさと口にして終ることはないでしょうか。

 これでは、主イエスがマタイ6:7で言われた異邦人の祈りと変りません。ですから、今日、私たちは、祈りは神との対話だということを改めてしっかり心に刻みたいと思うのです。

 主は6節「あなたが祈る時は、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れた所で見ておられるあなたの父」と言われます。従って、私たちは自分の意識の部屋に深くこもり、雑念の入る心の扉をピシャッと閉め、私たちをご自分の子として豊かな憐れみと慈しみをもってご覧下さっている天の父の前に平伏し、でも、感謝と賛美と喜びをもって真心から語りかけたいと思います。

 不完全な人間の父親でも、言葉足らずの自分の可愛い子供たちの言葉に一生懸命耳を傾け、対話しようとします。そうであるなら、天の父なる神は、一体どれ程の豊かな慈しみをもって、私たちの拙い祈りにも喜んで耳を傾け、御子イエス・キリストと御霊によって応えて下さることでしょうか。

 天と地を、また私たちを、御子を通して、ただ愛をもって造られた神との対話という祈りのこの何ものにも代えがたい恵みと特権を頂いていることを、今日、私たちは改めて心に刻みたいと思います。そして、神との対話をもっと喜び楽しみ、御名を称え、また心を注いで赦しや助けや導きを切に願い、特に悲しむ弱い者に、殊の外、憐れみ深い天の父なる神を信じて、自分の一切を委ね、明け渡したいと思います。

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