2021年04月18日「天に宝を蓄えなさい」

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聖句のアイコン聖書の言葉

6:19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
6:20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。マタイによる福音書 6章19節~21節

原稿のアイコンメッセージ

 約2千年前、群衆が取り囲む中、近くにいた弟子たちに神の御子イエスが語られた山上の説教を学んでいます。今朝は6:19~21に進みます。

 イエスは、一連の説教を、ご自分を信じ従おうとしている弟子たちにされました。彼らが信仰者として成長し、地の塩・世の光として神の愛と真実を人々に証しし、人によく仕え、彼ら自身も神の永遠の祝福に一層豊かに与れるためです。ここに彼らへのイエスの熱い愛があります。それを覚えつつ、私たちも学びたいと思います。

 

 今日の箇所で、イエスは何を問うておられるのでしょうか。それは私たちが何を宝とし、何に一生懸命かということです。まず、イエスは消極的な面から語られます。19節「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」

 「地上」とは、創り主なる真(まこと)の神から離れ、神に背く罪深いこの世を指します。従って、「地上に宝を蓄えるのをやめなさい」とは、「神から離れている世の人が追い求めるものにクリスチャンは夢中になるな。心を奪われるな」ということです。何故でしょうか。地上の宝は「虫や錆で傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗」むからです(19節)。

 では、地上で蓄えるその宝とは、どんなものでしょう。21節でイエスは「あなたの宝のある所、そこにあなたの心もある」と言われます。つまり、私たちの心のある所であり、何かと心を傾けているものです。それを獲得することに一生懸命で夢中!またそれを誇りとし、それがあると自分が幸せで安心と思えるものが地上の宝です。

 それには色々あります。富、資産、金銭は最たるものですが、名誉、学歴、経歴、社会的地位、家柄など、それを必死に求め、それが自慢なら、それがその人の宝なのです。

自分の体験や苦労話が宝の人もいます。小学生の時、同級生に何かと自慢する男の子がいました。予防注射を受け、彼が教室に戻ってくると大抵こんなことを言いました。「俺の所で注射の針が折れた。俺だけ倍の量の注射を打たれた。痛かった!」彼には人より大変だったことも自慢の種であり宝でした。

 何と多くの人が、地上に宝を積むことに一生懸命でしょうか。皆に認められ、一目(いちもく)置かれ、人気者でいたい!ずっと元気で若さや美しさを保ちたいと常に思い、時間やお金、力を目一杯傾けているなら、それが宝です。娯楽や趣味が色々なものの中で最優先事項なら、それもその人の宝です。

 しかしイエスは、地上の宝は必ず失われ、価値がなくなり、奪われることもあると言われます。株価のようにそれ自体で価値が下がるものもあれば、何かの事情で私たち自身が大きく変り、持っている宝が無駄になることもあります。

 無論、地上の宝にも神の下さる良い物があり、それは感謝なことです。しかし、それは一時の物であり、決して永遠ではありません。改めて24節で学びますが、余程注意しませんと、世の宝は信仰を妨げ、魂を滅ぼす危険性があります。

 創世記25章は、僅か1杯の食べ物のために大切な長子の特権を弟ヤコブに売ったエサウの愚かさを伝えます。彼には、今自分を満たすものが第一であり、その結果、神からの霊的祝福を永遠に失いました。ルカ福音書12:16以降の譬話の愚かな金持は、畑が豊作でしたので、自分は一生安心だと考え、恵みを下さった肝心の神を忘れ、その夜、命を失います。私たちの姿勢次第で、地上の宝は危険にもなります。ですから、主は言われます。マタイ6:19「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。」

 私たちはどうすべきでしょうか。感謝なことに、主は次に積極的な教えを下さいます。20節「天に宝を蓄えなさい。そこでは、虫や錆で傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗むことも」ありません。詳しい説明は不要でしょう。「天に宝を蓄えなさい」、すなわち、天におられ、ただ恵みにより信仰によってあなたの永遠の父となって下さった神が喜ばれ、神が受け入れて下さることに力を注ぎなさい、とイエスは言われます。天に蓄えられた宝は絶対に失われず、価値がなくなることもない。神ご自身が守っていて下さるからです。

 では、具体的には、どういうことが天に宝を蓄えることなのでしょうか。

 単に世間で善いとされていることをするのでないことは、分ると思います。6:1~18で学びましたが、周囲の人が誉めてくれも、本当は自分が立派だと思われたいために行う偽善は全く意味がありません。また天に宝を蓄える行為とは、永遠の救いに入れられるためのものでもありません。救いは、神と人との間の唯一の仲保者、贖い主なるイエス・キリストを救い主としてただただ心から信じ、受け入れ、依り頼む信仰によります。

 結局これは、既に信仰により永遠の救いに与っている者が、天の御国に入れられるにしても、全てをご存じの神から、天の国で、より素晴らしい祝福、より輝く栄光に与るための行為なのです。

 ですから、天に宝を蓄える行いとは、善いことや立派なことをするにしても、心の中の動機や目的が大切です。例えば、卑近な例ですが、小さな子供が、親にもらったお小遣いの中から、私たちを愛して下さっている主イエスへの心からの感謝として献げるなら、それはもう立派に天に宝を蓄えることです。無論、私たち大人が神への感謝と献身の徴として、収入や蓄えの中から信仰により真心から取り分けて献げるなら、それも天に宝を蓄えることになります。

 教会や社会における色々な奉仕についても、これは言えます。奉仕には、目に見え、人に良く分るものもあれば、人の目に触れず、記録もされない隠れた密かな奉仕も沢山あります。そのどちらも神の目には尊く、どんなに神は喜ばれることでしょう。

 そしてどんな奉仕であっても、それをしている最中は、人は一生懸命ですので殆ど何も考えないと思いますが、それをする前や後で神を思い、その奉仕のことで神に祝福を願い、あるいは感謝を献げるなら、それは確実に天に宝を蓄えています。

 世の終りの審判の時のことに触れて、イエスはマタイ25:40で、ある人たちにこうお誉めの言葉を言われます。「まことに、あなた方に言います。あなた方が、これらの私の兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、私にしたのです。」

 これは誰に言われたでしょうか。その前の35、36節にありますように、誰かが空腹であった時に「食べ物を与え、渇いていた時に飲ませ、旅人であった時に宿を貸し、…裸の時に服を着せ、病気をした時に見舞い、牢にいた時に訪ね」た信仰者に対してです。神と人を愛し、無意識に気持ちも体も動き、神と人に仕えた人たちに対してです。従って、彼ら自身は全然覚えていません。驚いて、37~39節「主よ。いつ私たちはそんなことをしたでしょうか」と聞き返しています。しかし、天の父と御子イエスは、彼らが信仰により殆ど無意識に人のために体を動かし、時間を割き、祈り、人を訪ね、笑顔で人に声をかけ、人に仕えたことを、天に蓄えられた宝として漏れなく記録し、報いて下さるのです。

 天に宝を蓄える行為を、真(まこと)の信仰者は一々意識しません。信仰が成長すると、そういうものですね。

 ただ、罪の力とサタンの働きは依然として強いですので、これを侮ることは出来ません。自分をPRする情けない偽善もそうですが、それだけでなく、信仰生活を何十年と送っていても、未だ天にではなく、地上に宝を蓄えていることに気付かないことも起り得ます。

 そこで最後に、天に宝を蓄えるための心得を少し申し上げて終ります。

 第一は、何かをする時、これは地上に宝を蓄えることなのか天に宝を蓄えることなのかと、自分に問うことです。自分の考え方や行動を吟味することは、生涯大切です。サタンは絶えず私たちを狙い、信仰的に曖昧で適当にやっている所に付け入ります。しかし、深呼吸をし、改めて自分の行動を吟味し、地上にではなく、天に宝を蓄えることを選び取る時、主は喜ばれ、必ず私たちを祝福されるでしょう。

 第二に、聖書的価値観を普段からしっかり持っていることです。すなわち、私は自分を喜ばせようとしてこれをするのか、それとも私を極みまで愛し命まで献げられた主イエスに喜ばれようとしてなのかと問い、主に喜ばれることをこそ、自分の価値観の中心に普段から位置づけていたいと思います。

 第三に、常に聖書的人生観を明確に持っていることです。どんな人生観でしょうか。ペテロの手紙一 2:11は言います。「愛する者たち、私は勧めます。あなた方は旅人、寄留者なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」この通り、私たちは地上では旅人、寄留者なのです。この世の生活は勿論大切にしたいと思います。しかし、それは決して永遠ではありません。ピリピ3:20が言うように、私たちクリスチャンの国籍は、この世ではなく天にあります。ですから、コロサイ3:1は「上にあるものを求めなさい」と命じます。私たちはこの世では旅人、寄留者であり、一日毎に、確実に天の御国へ近づく旅路を歩んでいるのです。

 自分に問いかけをし、聖書的価値観と人生観に立ち、神から頂く地上の宝には感謝し、けれどもそれに固執せず、自由で、むしろ喜んで誠実に軽やかに天に宝を一つ一つ蓄える旅路を、是非ご一緒に進めていきたいと思います。

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