月報巻頭言 Vol.8「心が確かに定まらなかったとき②」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 今年のテーマは「主にある喜びと感謝に満たされて語り継ぐ」 第8回目の副題は「心が確かに定まらなかったとき②」です。
前回、私にとっての教会とは、礼拝参加を通じて無自覚的に形成されたということを記しました。そのこともあって、幼いころの私は自分がクリスチャンだという自覚がありませんでした。
自らがクリスチャンだと自覚したのは幼い時に、友人に誘われて小学校近くにある神社のだんじり祭りに参加し、お菓子をもらって帰ってきた時のことでした。「お母さん、お菓子を貰ってきたよ」と告げた私を母は叱ってくれたのでした。私は家族について教会に行くだけでしたから、「あなたは幼児洗礼を受けたクリスチャンなのだから」と叱られて、初めてそうなのかと思いました。
そしてそのように叱られてから、我が家はクリスチャンなのだと改めて気づいたのです。それは我が家がよく祈り、また賛美をする家庭であったからでもありました。我が家は教会のひとたちが集まって一緒にお祈りをする「家庭祈祷会」の開催場所になったり、また多くの伝道者や宣教師、特に韓国からの宣教師の先生方が泊まりに来られたりする賑やかな家でした。よく教会の皆さんや牧師先生方とも食事を共にしました。そこには当然のこととしてお祈りと賛美歌を歌うということがありました。岡山からよく来られていた西山牧師というおひげの長い先生のことを今でもよくおぼえています。教会の帰りに阿部兄姉という視覚に困難がある信徒の方の家にお手伝いをするために伺ったりもしました。聖書の言葉や聖書にどんなことが書いてあるかを教えられることは少なかったですが、教会の行き帰りの車の中でさえよく賛美歌を歌い、またよくお祈りをする家でした。
ただ、いつごろからか兄や姉が教会から離れるようになり、讃美歌を歌うことが減っていきました。私も小学校高学年くらいになると、父母と一緒に行動を共にすることがなくなり、教会から離れました。教会に友人もおらず教会のイベント事を通しての交流の喜びも知らなかった私は、教会とのつながりそのものが希薄だったのです。その時、教会の先生、牧師先生の奥さん、また教会の方から「教会で待っているよ」と書かれたはがきを折に触れて頂きました。頂くたびに反抗心がありつつも胸が痛かったことをおぼえています。
そして、いつ頃かは定かではありませんが、私を「だんじりに行くな」と叱った母も礼拝に参加しなくなりました。そのうちに父が食前の祈りをしなくなりました。家から賛美どころか祈りさえ消えていたのです。食事の時、また折に触れて家族のこと、様々な人のことをおぼえて主への感謝と、とりなしを祈る父のことが私たち家族は好きでした。ですから気付いたとき、とても悲しかったことをおぼえています。
そして祈りの代わりに父の口を満たしてきた様々な言葉がありました。その中には教会に対する父の思いも含まれていました。教会の人が口を開けば、就職のあっせんとお金のことばかりだ、と嘆いていました。そのような父から「お前は教会に行っても献金はするな」と、私は40歳まで教えられて育ちました。父から私へと「隠さず」語り継がれた(詩編78:4)のは、教会に与えられた様々な苦難と試練の実情でした。
ただそれら語り継がれたことは、私の信仰に悪影響を及ぼしませんでした。それはなにか私が神を信じていたからではないのです。むしろ神が私を信じるということにおいて貧しくされたが故のことです。私は神と教会につまづきをおぼえる信仰さえ持ち合わせていない貧しい者。教会から罪によって遠く離れていた者。ただ主イエスの憐れみによらなければ希望のない者だったのです。そのような者にでさえ、神は御心を留めてくださいました。苦難と試練の末に、神は貧しい私を西谷にある教会へと改めて招き、育み、信仰の告白へと導いてくださったのでした。(つづく)
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