月報巻頭言 Vol50「あなたは初めのころの愛から離れてしまった」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 6月号は「あなたは初めのころの愛から離れてしまった」(ヨハネ黙示録2:4) のみ言葉から、第50話「賛美と讃美歌について⑥」です。
冒頭のみ言葉にドキっとされた方も多いことと思います。
このみ言葉は、先に行われた日本キリスト改革派教会創立80周年記念信徒大会で、
初日の講演、その冒頭で読まれたみ言葉の一部です。
書き続けている賛美のこととも関連して、
今月はそのみ言葉から得た恵みを、
皆さまとも分かち合いたいと思いました。
さてその講演の際、講演者は
先のみ言葉と共に強い口調で、
私たち日本キリスト改革派教会は、
創立のころに有していた
ウェストミンスター信仰規準(以下、信仰規準)への熱心について問われました。
そしてその創立時の熱心を
信仰規準が作成されたときの神学者会議の議員たちの熱心と重ねて語られていました。
つまり離れた愛とは、私たちの信仰規準への愛と熱心です。
「私たちはもっと信仰規準から学ばねばならない。」
私はみ言葉とご講演からそのことを強く感じました。
なぜならそれは、すなわち、神への愛と熱心に他ならないからです。
語られた内容は、私にとって決して新しいことではありませんでした。
神学生時代に教わったことの復習とも言い得ることでした。
しかし教会に仕える者とされた今、
私は語られてきたことの意味を、み言葉を通して理解することが出来たのです。
つまり「信仰規準から学ぶ」とは、
ただ文字の意味を学ぶだけにとどまらないということです。
信仰規準が何を目指し、
何を成し遂げようとして作成されたのか。
そしてなぜ信仰の規準が必要だったのかを学ぶのです。
神学者会議は、その信仰規準を通して教会のみならず、
国と国の間の平和までをも建て上げようとしました。
神への熱心から命懸けで志したその信仰から、
教会が学んでいくことが大切だということです。
あなたは教会のためによく忍耐した。
しかし初めのころ忠実であったその愛からあなた(教会)は離れてしまった。
このみ言葉に「どのように」と返すのが、
マラキ書でたびたび綴られる御名を冒涜する民のすることです。
ですからみ言葉とそれに続くご講演を、
悔い改めをもって深く受け止めねばならない。そう思わされました。
賛美と信仰規準の関係。
講演で紹介されていた研究書
(べヴァリッジ著「ウェストミンスター神学者会議の歴史」)の中には、
教会での賛美のことも触れられています。
当時の賛美はおもに詩編を歌うこと(詩編歌)によってなされていました。
神学者会議は、教会での賛美とそのあり方への理解を深め、
イングランド、スコットランド、アイルランドの3国を
統一した礼拝指針の策定に向けて熱心かつ丁寧に働きました。
それは当時、賛美について人々が強い関心を示していたことの証拠でもあります。
当時、讃美歌は今のように独立しておらず、
当初は礼拝規定書の中に組み込まれていました。
それが独立した歌集となることにはさほど問題はなかったようです。
というのも、
特に詩編歌には翻訳としての正確さが求められるだけではなく、
口ずさむ上でのリズム(韻律)が求められたからです。
ですから問題はその歌集としてどの訳を用いるかということでした。
少し考えればその問題の複雑さと困難さに気付きます。
なぜならそれは自分の教会で用いる讃美歌のレベルではなく、
イングランド、スコットランド、アイルランドの3国で住み暮らす
すべての民が一致して、
それぞれのご家庭でも共に主をたたえる讃美歌を目指すものであったからです。
それ故、その改訂作業にはただ訳の誤りを指摘するだけではなく、
適切な修正案の明示が求められました。
そうして作成された讃美歌は
今でもスコットランドの教会とその家庭で愛されているそうです。
そして教会や家庭では、
その歌詞の意味について丁寧に説明をすることも推奨されました。
それはただ、人々が心から主とそのみ言葉を愛し、
賛美するための熱心からのことです。
私たちが普段口ずさむ賛美と音楽を通しても離れずにいるべきは、
主とそのみ言葉への愛であること。
そのことも信仰規準から学ぶべき大切なことなのです。
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