月報巻頭言 Vol33「主の恵みに生かされる③」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 昨年からのテーマ「苦難の襲うときにも、静かに待ちます」 副題は「主の恵みに生かされる③」です。
昨年のクリスマス礼拝には33名もの方々がお越し下さいました。
多くの皆さまとクリスマスの喜びを分かち合うことがゆるされたことを感謝しています。
思えばコロナ禍以降、広くお招きすることに私たちは躊躇がありました。
一方で教会として、務めをなかなか果たすことの出来ずにいる悲しみがありました。
今年の諸準備はその躊躇と悲しみで板挟みになる中での備えでもありましたが、
多くのご協力と祈りに支えられたクリスマスでした。
与えられたマタイ2章のみ言葉のとおり、
導かれて訪れてくださったお一人おひとりの皆さまと
クリスマス生まれの幼子がともにいて、喜びであふれさせてくださることを願うばかりです。
クリスマス礼拝を通して感じたことを忘備録も兼ねて3つ挙げておきます。
その一つ目は、このクリスマスを通して「伝道」へ思いと意味を新たにしたことです。
地域の方々がそれぞれに畏れつつ神を礼拝してくださったことに新鮮な驚きがありました。
一つの例が礼拝にご参加くださった方が「礼拝」を「らいはい」とお読みになられていたことです。
これは仏教の読み方であるわけですが、
「礼拝」という“神事”への参加なのだという意識を感じたのです。
そのことを通して改めて「この町には、わたしの民が大勢いる」(使徒18:10)
のだと思いました。
感謝しつつ、教会がどなたにでも開かれた場であることを
これからも伝えていきたいとの志を新たにすることが出来ました。
二つ目には「リハビリ」の必要性です。
礼拝後のお祝いの会では全員参加型のハンドベルが大人気でした。
それを「リハビリのようだ」と例えてくださった方もおられましたが、
それはその通りだと思いました。
なぜならリハビリとは「人間らしさの回復」という意味だからです。
礼拝という神との交わりを通して、共に人間らしさが回復されていく。
そのために主はこの西谷を伝道の地と定めてくださったのだと思わされました。
そして三つ目には、改めて西谷の地で働かれたいと願うキリストに気付き、
そしてこの地で共に生きたいと思いました。
ご参加くださったそれぞれの日常と命と共に生きる。
私だけなら不安になるところですが、
すでに多くの方々がよき相談相手として、
また働き手として既におられる。
このクリスマスでそのことにも気づかされました。
妻と共に今年も主の喜びのおとずれに生かされつつ、
伝道に励んでまいりたいと思っています。
この記事に添付ファイルはありません
西谷教会の礼拝出席に事前予約などは必要ありません。しかし
「車で行くので駐車場の案内をしてほしいです。」
「子供連れで行きたいので母子室を利用したいのですが…」
「なるべく前のほう(後ろのほう)の席に座りたいです。」
などなど初めての礼拝出席において、あらかじめリクエストやご質問がある方は「礼拝参加予約フォーム」からその旨お伝えいただくと、当日の受付案内がよりスムーズに行えます。