月報巻頭言 Vol.4「顔を見ないというだけで」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 今年のテーマは「主にある喜びと感謝に満たされて語り継ぐ」 第4回目の副題は「顔を見ないというだけで」です。
皆さまはこの巻頭言をいつお読みになられているのでしょうか。
家に帰ってホッと一息ついたとき。
普段の生活を始められてふとした時でしょうか。
それとも電車の中かもしれません。
いずれにせよ、皆さまの読み物の一つに加えて頂けたことを喜んでいます。
月報の巻頭言は月に一度ですが、私たち日本キリスト改革派教会員には日々の読み物として機関誌リジョイスが与えられています。特に今年は読みごたえがあります。それは「1年で聖書全体を通読・講解しよう」としているからです。
このことを今年の始めに創世記を担当された吉田隆先生(甲子園教会牧師・神戸改革派神学校校長)は「至難の業ですが、良い訓練」と書いておられました。
どのように良い訓練なのか。
まず、聖書通読そのものがよい訓練であることは疑いのないことです。
西谷教会の母教会である伊丹教会では、伝統として、これまで折に触れて、聖書通読を教会を挙げて取り組んできました。西谷教会にも以前、通読に飽き足らず聖書写本をされた方がおられました。私たち牧師夫婦もこの機に通読を始めました。
なぜ始めたか。せっかくだから教会の伝統に倣って、夫婦そろって聖書通読をしてみたかった、ということもあります。そのことに加えて、『顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではない』(Ⅰテサロニケ2:17)全国の改革派教会の皆さまと一つの歩みを揃えたい。この喜びと感謝の思いがありました。
顔を合わせてではなくとも、今、共に誰かが同じ聖書を開き、共に御声に耳を傾けている。そう思いつつ今日一日を始めたり終えたり出来るのは思っていた以上に喜ばしいことです。
そして実際にやってみると確かに良い訓練です。
まず読む側にとっては時間の確保と、そのスピード感です。
声に出して読んでみると、聖書を読むだけで長めの箇所(4章ほど)で、およそ15分かかりました。また、つい「作業」になってしまいそうになりますし、内容を掴み切れないこともあります。
その15分という時間を日々の生活の中に、ただ”ほおりこむ”のではなく、神への喜びと感謝をして”取り分ける”にはどうしたらよいのか。
そのために今回の聖書通読に、喜びつつ説いてくださる先生方が与えられているのはとても感謝です。そして導かれて読むうちに、細かな内容はつかめなくとも全てのうちに働かれる神のお姿が見えてきます。
説き手たる先生方にとっての訓練とは、ひとえにまとめ方だと言えるでしょう。
どの先生も実に心を砕かれて説いておられます。語り継ぐ志を与えられている私たち西谷教会員はそこからも学びたいです。
どの先生も与えられた幅広い箇所から、実に見事に聖書の語りたいところを説き明かされています。かと思えば「え、この書物のココを語らないんだ!」と驚かされることもあり、ひとりで通読していた時と違う発見があります。
読むごとにまた改めて次の機会にどう語られるのだろうか、と楽しみになる。
とても喜びあふれた驚きで満ちています。
日本におけるクリスチャンの数は人口の1%と言われています。
日本キリスト改革派教会はそのさらに1%にしか満たない小さな群れです。
ですが、その創立からの伝統として互いを想い、祈り合いながら、その信仰をみ言葉を通して語り継いできました。
今回のリジョイスの取り組みは、読み手と説き手の見えない呼吸のうちに私たちを一つとしてくださる、まさに表紙下に書かれている「主にある喜び、リジョイス」の名にふさわしい企画だと思っています。
「既に通読したことあるから」という方も、
「え、いま知った」という方も是非、
今日からでもご参加くださって共に読みましょう。
※ホームページのトップ画面からその日の奨励の音声朗読を聞くことが出来ます♪
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