月報巻頭言 Vol31「主の恵みに生かされる①」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 今年のテーマ「苦難の襲うときにも、静かに待ちます」 副題は「主の恵みに生かされる①」です。
先月から私たち西谷教会では、
ウェストミンスター小教理問答から
キリストがお与えくださる「恵みの手段」について学び始めています。
この月報では、そのキリストによって与えられる贖いの恵みを、
特に「み言葉」と「聖礼典」、そして「祈り」の3つの手段を
私たちの日常と切り離さずに受け止めていくことについて、
しばらく考えていきたいと思っています。
さて、この西谷地区では秋の収穫が進んでいます。
先月の終わりにあった地域のお掃除の際、休憩時の話題はお米でした。
(礼拝前ということもあり、いつも中途半端なご参加で申し訳ありません!)
お米の話になるのは今年だから、というわけではなく毎年そうなのです。
そして昨年は「米の出来が悪い」というお話を聞いていました。
当時は西谷だけのことかと思っていましたが、
それが全国的な話だったと知ったのは今年の梅雨明けくらいのことでした。
スーパーにお米がなくて困っているということを、
子育て中のお母さんから伺いました。
同じ暑さの今年も不作になるのではと心配していましたが、
いつもの1.5~2倍くらいの豊作と聞き、ホッとしました。
加えて地域の方から聞かせて頂けたのは普段は聞けないご事情でした。
まず仰っておられたのは減反のことでした。
西谷教会の向かいにも水田と畑がありますが、昔はすべて水田だったそうです。
ただ米離れが進む中、水田を減らしなさいと農協から言われて、
仕方なく畑に変えたのだそうです。
田畑、と私たちはひとくくりにしますが、
同じ広さでもお米と野菜とでは手間が全く違うとのこと。
野菜に合う肥料、草抜きや野菜同士の相性など、
多くの手間をかけないといけないそうです。
一方稲作は野菜と比べると押さえるべきタイミングはあるものの、
機械化と品種改良によって手間はかなり少なくなったのだとか。
お米には八十八の手間がかかっているから大切にねと
親から教えられていた私は、今さらながらに驚きました。
そして農家が農協にお米を卸すのは、
今頃の一時期だけだということも知りました。
いつも家族でどれくらい食べるかな、と
残す量を考えながら出荷されるのだそうです。
いつもは余ってしまって自分たちは古いものばかりを食べ続けているよ、と
笑っておられたのが印象的でした。
今年の豊作に裏付けられたその笑顔が
全国の食卓にまで広がるのにはまだまだ時間がかかりそうです。
一方でこれら収穫の恵みを
私たちはまず祈りにおいてキリストと結び付けたいと思います。
なぜなら私たちには「必要な糧を毎日与えてください。」(ルカ11:3)
との祈りが備えられ、
そのお約束通りに実りの恵みを通して糧を与えて下さったからです。
み言葉は土地の実りが主の祝福であると記します(申命記7:12)。
一方でその実りに基づく富をもって、
自らの正しさの証しと考えてはならないことも教えています(同9:4)。
全てのことにその御心を思い、み言葉から教えられて生きること。
そして聖礼典を通して自らの信仰と悔い改めとを確かにすること。
地にある恵みを神からの恵みとして、正しく受け取ることの出来るよう、
神はキリストにあって手段を定めてくださっている。
そのことを改めて思わされました。
地域でのお話の最後は、
その田畑を自分たちの子どもが受け継いでくれるかどうか。
また担い手不足のお話になります。
そのお話を伺うたびに、
教会が隣人として何が出来るのかをいつも思い、祈っています。
地の実りへの感謝をまことの神にささげて頂きたい。
み言葉を
「人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れ」(Ⅰテサロニケ2:13)て
頂けるよう、これからもこの西谷で
主にある誠実な交わりを重ねてまいりたいと願っています。
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