月報巻頭言 Vol25「み言葉にある主の恵みに生きよう」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 この3月からは新しい年間テーマ「苦難の襲うときにも、静かに待ちます」 副題は「み言葉にある主の恵みに生きよう」です。
先月から安田吉三郎先生の著作集、その「解題」から得た恵みについて触れています。
先月は第一巻の解題にあった「月報の目的」についてご紹介しました。
今月はつづいて第二巻からご紹介します。
第二巻の解題は吉田隆先生(神戸改革派神学校校長・甲子園教会牧師)が担当されています。
書かれている内容は第二巻に収められている「創世記講義Ⅱ」「ヨブ記講義」の内容を聖書学的な観点から解説されています。
まずその「創世記講義」は第一巻から続くもので、合わせて700頁。
吉田先生はその中で安田先生の釈義法の特徴を解説されています。
創世記にある個々の物語をその置かれている文脈の中で理解することはもちろんのこと、
創世記全体を一つの文学作品として捉え、
その大きな構造に注目しつつ理解するところから始めておられる。
そして文法やコンコルダンス(聖書のどこでどのように同じ言葉が使われているか:用例集)
から浮かび上がること、ヘブライ語の音感から浮かび上がってくること、
また数々の翻訳から浮かび上がる解釈の歴史のこと、
ユダヤ教においてどのように解釈されてきたのか、
旧約聖書神学における解釈、新約との関係、
また聖書全体としての位置づけ等々、
多角的な読み解きを、22章(イサク奉献)を例に書かれています。
続く「ヨブ記講義」は、神戸バイブルハウスで行われた
聖書セミナーからの再録とのことでおよそ100頁の本編に、
神学校での講義が付された編集となっています。
特徴はほぼ上述の通りですが、
安田先生は新改訳聖書のヨブ記(へブル書も)の翻訳を担当され、
修士論文もヨブ記からということでご自身のライフワークでもあられたとのこと。
そのヨブ記講講義はこのような言葉で締めくくられていました。
「現代は、理由もわからぬ災害、自分に責任のない苦難を背負わされる人々が異常に増えつつある時代である。そのような人々も、応報による調和を超える神の恩寵を見て、神を喜ぶことを許されることを、ヨブ記は指し示すのである。」(第二巻、411頁)
「応報」とは因果律、つまり原因と結果のことです。
そこを超える神の恵みをみ言葉から見出していくからこそ私たちは静かに待つことが出来るのだな、と思わされました。
そして解題を読んで特に驚いたのは
「創世記講義」は神学校等などでの講義ではなく、
小会での了解を得た先生のご自宅で月2回行われた
1時間半ほどの信徒向けの聖書研究会の内容だったということです。
先生の記録そのものが豊かだったことに加えて、
多くの信徒の方が参加され、資料やメモが残っていたからこそ
スムーズに書籍化が出来たことは第一巻の解題でも触れられていました。
それが家庭集会だったとは思いませんでした。
案内のチラシも著作集第二巻には付されているのですが、
そこに「教会の伝統である聖書研究会」と記されていたのも心に残りました。
なぜなら西谷教会のルーツも長老・執事宅で行われていた聖書集会だからです。
西谷に移って来られてからは礼拝形式を伴うものでしたが、
それまでもそのお宅では長く家庭集会を守ってこられ、多くの信仰を育んでこられました。
そこから導かれた方が伊丹教会には多くおられます。
信仰と日常を切り離さないためにも、また語り継ぐためにも、
家を開いて集まり、共にみ言葉にある恵みを味わうことの大切さを
改めて教えられました。
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