就任のご挨拶 「主にある喜びと感謝に満たされて語り継ぐ」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 今年のテーマは「主にある喜びと感謝に満たされて語り継ぐ」です。
愛する伊丹教会と西谷伝道所の皆さまに、定住伝道者としてご挨拶できる恵みを心から喜び、また主に感謝をいたします。私を幼い頃から知っていてくださる方が少なからずおられる教会に召され、また遣わされるということは本当に感謝です。私自身、牧者としての召しが与えられた時には母教会に召されることはなく、公私共に親しくさせて頂いた皆さまと離れねばならないと誤解をしていました。母教会に遣わされるというケースでさえ珍しいと思いますが、特に世にある働きの場までを共にしたという例は今まで聞いたことがありません。ですから許されたこと、また主の召しが与えられた時には思わず嬉しくて年甲斐もなく感極まってしまいました。
遣わされるにあたり今年の巻頭言を拝読し、詩編78編を読みました。主なる神さまの憐れみにおいて、そのご計画に従って、時満ちてこの西谷の地まで救いの基が建てられている。私たちが語り継ぐべきことを改めて思い起こさせてくださる主のみ言葉でした。語り継ぐという責務においてわたしが西谷においておぼえたいことは、なにも伊丹からの歩みばかりではありません。園田の群れから伊丹の群れが起こされ、伊丹の群れから西谷の群れが起こされたことを深く感謝のうちにおぼえずにはおられません。また教えにおいて西谷は米国南長老派教会の伝統と、神港教会を経て宝塚教会をも育み、培われた伝統的改革派神学が息づいています。そして、祈りにおいてはどれだけ多くの方々が西谷伝道所のために祈り、また支えてくださったかをおぼえます。
主は私の神学生時代を用いて西谷・伊丹の皆さまのみならず、当時の伝道に携わってくださった数多くの先生方、長老・執事の方々、信徒の方々からこれまでの歩みについて伺うことを許してくださいました。伺った中には本当に詩編に綴られた荒れ野での苦難や試練と呼ぶにふさわしい数々の事柄もありました。わたしが西谷に遣わされるにあたり、なにより主を喜び、また感謝をしていますのは、それらの苦難や試練の中で主への賛美と主の御力に依り頼まれた皆さまの歩みを改めて伝道者として共にさせて頂けるということです。
わたしにとって西谷伝道所へと遣わされることは率直に申し上げて、神の御前に出ることが赦された喜びと感謝と等しくあります。皆さまは文字通りの意味でも裸のわたし、貧しさと罪のゆえに傷つき倒れたこともあるわたしをよく知ってくださっている方々です。わたしがなにか無理をしてかっこをつけていたりしたら、皆さまの目にはすぐにおわかりになることでしょう。なぜそのことが喜びであり感謝かと申しますと、自分をなにかよく見せようという高ぶりの誘惑に囚われなくてもよいからです。ですからどうぞ役割や立場を超えて、主への賛美と主の御力を語り継ぐ喜びをいつも共に味わってください。主がわたしを召されたのはただ、西谷に教会を立てられた主への賛美と主の御力をその全力をもって語り継ぎたい、その一心です。そして主にあって、伊丹・西谷の皆さまに育まれたものとして、そのような喜びに満ちた召しを与えられているのがわたし一人ではないことを知るがゆえに、わたしは主にあって心から喜び、また心から主に感謝をしているのです。
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