月報巻頭言 Vol.11「決して忘れず守るために②」
西谷教会では月に一度「月報」を発行しています。 通年テーマは「主にある喜びと感謝に満たされて語り継ぐ」 第11回目の副題は「決して忘れず守るために②」です。
前回は父の信仰について触れました。
母の信仰についても触れたいのですが、正直に申し上げますと、よくわからないのです。
と言うのも、母は多くを語らない人であったからです。
母の生まれは酒津(さけのつ)という、鳥取県にある小さな港町だと聞いています。
若くして両親を亡くし、豊岡の親戚に引き取られて過ごしたのだそうです。
民宿の手伝いなどもしていたことから、幼い頃は旅芸人に憧れて、小さなお芝居に出させてもらったこともあった。私が幼い頃にそのような昔ばなしを聞いたことがあります。
父との詳しいなれそめはわかりませんが、どなたかからのご紹介だったようです。
新婚旅行代わりにトラックに乗って父の家具の配達であったか、材料を取りに行ったという話を聞いた記憶があります。
母が受洗を授けられたのは1971年12月19日。
伊丹伝道所時代に、父と兄と共に、クリスマス礼拝の中で林茂雄先生からの受洗でした。
当時を知る方曰く、今のように受洗の学び等はほとんどなく、父からの申し出を受けた林先生が受け入れて下さったと伺いました。
今の改革派教会ではなかなか考えられないことですが、まるで使徒言行録の中のお話のようだとも思いつつ、ただただ神と教会の憐れみをおぼえて感謝するばかりです。
主が母の日々にどのように働いてくださっていたのか。
私はそのことをあまり知りません。
だれよりもまず父を愛し、
また家族にも愛をもって仕える姿は家族のみならず周囲の人々も知る姿でした。
ただ、私が物心の付いたときには主日礼拝に参加することもなかった母です。
見える行動において、母は決して信仰熱心であったとはいえません。
ですが主はその憐れみからしっかりと母の心を捉えていてくださり、
教会での葬儀を強く望ませてくださいました。
主が霊において働いて、その望みを姉に伝えていてくれたからこそ、
我が家の今、また私の今があります。
主の憐れみという点で、私はここで一つ告白をしなければいけません。
母が召されたのち、要介護状態にあった父をどうしようかという相談を家族でしました。
父は家に住み続けることを希望していましたが、自助で暮らしていくことは不可能でした。
話し合いの結果、排泄を含む身体介助が常態的に必要になる時点で、
施設にお任せしようということでの在宅介護が始まりました。
その時、「それぞれが好きなように介護していたらお父さんが混乱してしまう。
なにを基準にして介護をしようか?」という話題になったのです。
本来、契約の子たちが集う場ですから、
「聖書を、そして主が願われることを基準にして」と言うべきところでした。
しかし、私は執事でありながらもそのことを言い出せなかったのです。
言い出せなかった理由は2つあります。
当時、教会に通っていない家族にその言葉の意味を理解してもらえると思えなかったから。
また私自身がその基準が具体的にどのようなものかを知らないし、
実践してもいないことに気付かされたからです。
どう提案したらわかってもらえるのか。
やむなく口から出た言葉は「今、天に召されて神さまと一緒にいる母が私たちに願うこと。
そして私たちが目にしてきた母の姿を基準にしよう。」という提案でした。
この提案は家族に受け入れられ、その後守られることとなりました。
よい提案だったと自らを誇ることができませんが、よい結果がもたらされました。
それはただ主の憐れみからのことでした。
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