コロサイの信徒への手紙

「神の民の喜ばしい祝宴」ウイリアム・モーア2011.6.5.

聖書:コロサイの信徒への手紙3章15−17

 

 

【聖餐式と私たち】

今日、私達は新たに聖餐式に預かろうとします。そして、我々の日本キリスト改革派教会は全ての改革主義教会と同じように聖餐式を重んじて、非常に真剣に扱っています。ですから、日本キリスト改革派教会の式文に於ける聖餐式の典礼文にこう書いてあります。「聖餐を受ける者は、神の御前に、自分自身を吟味し、悔改めと信仰を表さなければなりません。また、主を頭とする教会の枝である事を覚え、愛の一致を表さなければなりません。」

 

つまり、聖餐式を正しく頂く為に心と魂の準備が必要であります。自分の行動と信仰生活を省みて、そして、罪を悔い改めてから聖餐式を受けた方が良いと勧められています。

 

 

【宗教改革者ジョン・カルヴィンと聖餐】

実は、宗教改革者であるジョン・カルヴィンは聖餐の純潔を守る為に、信者が礼典にあずかる前に、彼らを面接して、信仰の状態を量りました。そして、合格した信者には、 硬貨に似たトークンが与えられ、それを持って聖餐式を受けました。その反面、面接を失敗した場合、聖餐を頂く事が出来ませんでした。

 

その結果、聖餐式は非常に厳かなものになり、多くの信者は自分がふさわしくないままで礼典を受ける事を恐れました。ですから、聖餐式は非常に暗くなり、あんまり喜びのない礼典になりました。

 

2011年06月05日 | カテゴリー: コロサイの信徒への手紙 , 新約聖書

身に着けるべきもの ウイリアム・モーア宣教師

コロサイの信徒への手紙3章12−17
 
【もったいない】
うちの両親は宣教師だったので、私が大きくなるまで、家族は貧乏ではないけれども、それ程の余裕もありませんでした。ですから私達は出来るだけ節約して暮らしてきました。石油の変わりに石炭を使って暖房しました。又、家の後ろの畑で野菜を作り、冬の為に沢山瓶詰めにしました。両親は電気と水の無駄使いを見ると、私達兄弟に注意しました。小さい時からその訓練を受けた私は、大人になっても自動的につけっぱなしの明かりを消すようになりました。ある時、家族が部屋にいたのに、私が出る時、うっかりライトを切ってしまった事もあります。ですから私は日本の「勿体ない」と言う概念に心から賛成します。
 
【お下がり】
実は節約する為、小さい時、お母さんは私を兄のお下がりを着せたのです。僕は三人の兄弟の真ん中で、兄の洋服を着て、そして、弟は私の洋服を着せられました。しかし、お下がりばかり着るのは可哀そうだとちっとも思いませんでした。当然だと思ったのです。その上、兄の洋服が着られる事は私の成長の表れになりましたので、喜んでその服を貰いました。身長が伸びたと言う事を皆に見せたい故に、誇りを持ってその古着を着たのを覚えます。子供の頃のその事を思い出すと笑いますが、不思議にその無邪気な時を憧れます。
 
【主イエスからのお下がり】
今朝、皆さんにお下がりを差し上げたいと思います。しかし、そのお下がりは私からではありません。もし私からであったら、きっと大き過ぎて全然合わないでしょう。実は、差し上げるお下がりは主イエス・キリストからのものです。主イエスこそがその着物を着ましたが、今は私達が着るようにと切に願っておられます。今日の御言葉の12節にその「身に着ける」ものが記されています。それは、

「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、と寛容です。」


そして、そのイエス・キリストのお下がりを着ると、私達は主に似ていくので、廻りの者が私達の中に主を見る事が出来ます。

2008年01月27日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , コロサイの信徒への手紙 , 新約聖書

教会の交わり ウイリアム・モーア宣教師

エフェソの信徒への手紙2章19−22
 
【100人の子供】
最近新聞で次の驚くべき記事を読みました。「78人 の子供を持つ一本足のアラブ首長国連邦の市民ダアド•ムラド•ムハンマド•アブドウル•ラーマンさんは次の二人の妻を募集しています。何故なら、彼は2015年までに100人の子供を儲けたいからだそうです。60歳のアブドウルル•ラーマンさんは今まで15人のお嫁さんがありましたが、イスラム教は同時に妻4人しか許されないので、その中、13人の妻を離婚しました。「2015年に私は68歳になり、子供100人を目標にしています。それに成功したら、新しい結婚はもうしません」とアブドウルル•ラーマンさんが言いました。地元の新聞は第一面に78人の子供に囲まれた彼の写真を載せました。長男は36歳で、末っ子は産まれてわずか20日です。そして、現在、二人の妻は妊娠中です。
 
アブドウルル•ラーマンさんによりますと、自分の大家族は15件の家に住んでいます。退役軍人である彼は年金と国の援助で家族を支えるんだそうです。
 
この世には色々な家族がありますね。アブドウルル•ラーマンさんは何故そんなに大きな家族を築いたのかは分かりません。恐らく子供が大変好きなんでしょう。あるいは、子供を儲ける事によって有名になりたがったのかも知れません。しかし、それは決して楽な年金生活ではないと思います。子供の名前を覚える事さえも大変です。それぞれの妻との関係も確かに複雑です。 気の毒ながら事業自得です。

2007年08月26日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , コロサイの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , ヤコブの手紙 , 新約聖書

霊の結ぶ実:愛 ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ガラテヤの信徒への手紙5章16−25

【霊の実と肉の業】  16:わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。  17:肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。  18:しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。  19:肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、20:偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、21:ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。  22:これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、23:柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。  24:キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。25:わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。26:うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。

 
【キリスト者とは?】
皆さん、「キリスト者であると言うのは、どんな事ですか」と聞かれると、どう答えられますか。その事について考えた事がありますか。多分色んな正しい答え方があるのですが、やはり一番大事なのは、キリスト者はイエス・キリストを唯一の救い主として信じ、頼ります。そして、更にキリスト者は毎日の生活にイエス・キリストに従って生きようとする者なのです。つまり、私達は主イエスを模範として生きたい。又、主イエスに似て行く熱望を持っています。

2007年05月06日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , ガラテヤの信徒への手紙 , コリントの信徒への手紙一 , コロサイの信徒への手紙 , ヨハネによる福音書 , ヨハネの手紙一 , ルカによる福音書 , 新約聖書