2013.4.7.説教「キリストにおける成長」ウイリアム・モーア宣教師
2013.4.7.説教「キリストにおける成長」ウイリアム・モーア宣教師
新約聖書ペトロの手紙二3章17 それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
説教要旨(文責 近藤)
【陽友(はると)君の成長】
陽友君が生まれてお母さんの友子姉と一緒に礼拝に出席し早や3年になります。彼のこれまでの成長は両親や祖父だけでなく西谷伝道所に出席するすべての人を楽しませます。最近では食事のときテーブルの椅子を用意するのを手伝ってくれたりもしてくれます。このような成長のために両親もおじいさんも愛をもって育てています。
しかし成長が見られないとき両親は心配です。
私の子供のころ友人の一人は背が伸びないのでその両親はその子を病院に連れて行き治療を受けることになりました。親と子にとって成長の課題は大きいです。
知的成長も大切です。私の長男は言葉を話すのが大変遅かったのでとても心配しました。
【霊的成長】
人には成長は大切です。成長の可能性を神はお与えになりました。可能性を開発するのは人の責任です。肉体的成長は歳と共にやがて終わります。しかし霊的成長に年齢は関係ありません。神が与えて下さった可能性は限りがありません。クリスチャンライフは成熟しなくてはなりません。
それ故キリスト者として誰もが成長すべきです。信仰が成長しないと身長の伸びない子供の様です。
しかし人は信仰の成長には余り心配しない傾向が見られます。今の状態である程度満足してしまいます。
何故人は熱心に信仰の成長を求めないのでしょうか?人は子供のころに戻りたい気持ちがあります。子供は両親のもとに甘えられているのは居心地が良いのです。霊的にも同じことが言えます。親がいつまでも養ってくれることはありません。信仰に於いて成長することは、そして神の国に奉仕することはチャレンジになります。成長しない自分を捨てなくてはなりません。
成長はキリスト者の特権です。
神は成長しないキリスト者を見捨てることはしません。しかしキリスト者になることは救われることだけでなくもっと大きな恵みがあります。救いはクリスチャンライフの始まりであり出発点です。誕生は出発点です。誕生と救いの目的は成長にあります。霊的成長は旅の出発点です。
霊的成長は救われてイエスキリストに似る道程です。その果ては天国で永遠に主イエスとともに神を楽しむことです。
聖書には信仰において成長するようアピールする言葉があります。今日の箇所はその一つです。
ペトロの手紙二3章18「 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」。
ペテロは救いの道を述べ伝え洗礼を受けた者も多くなりました。ペテロは救いを受けた人々にそれに留まらず成長しなさいと勧めます。
【救い主イエス・キリストの恵みと知識において】
キリストの恵みとは何でしょうか。
受けるに値しない罪人が主の愛によって罪の赦しを受けることです。祝福を戴き神との平和を与えられ、教会奉仕の必要な賜物を頂くことです。主の祝福を受け賜物を生活に生かし常に主に感謝することは恵みです。
キリストの知識とは何でしょうか。
聖書における知識とは自分と主イエスとの繋がりのことで主とのどんな関係を持つかということです。生活の中で主との関係を深めることを生活の大事な目標とすることです。
【使徒パウロも同じく勧める】
パウロは「1兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。
2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。コリントの信徒への手紙一 3:1~2」と言い、コリントの信者にいつまでも乳飲み子でなく成長の道に出発しなさいと勧めました。
キリストとの関係でいつまでも赤ちゃんであってはなりません。ある面で霊的赤ちゃんの状態に留まっていることは楽ですが、これはもったいないこと、霊的可能性を捨てることと同じです。
両親にとって子供の成長を見ることは楽しみです。
家の柱には子供の成長の記録が残されています。
神が私たちの霊的成長を見るのは楽しみです。
私たちが周りにキリストを伝えることを見るのは神の歓びです。
小さくても大きくてもイエスを信頼することは神の喜びです。
私たちの成長は父なる神様の熱望です。
【霊的成長は無限】
成長は肉的にはある時点で止まります。しかしキリストにおける恵みと知識とにおける成長は心から成長する意思があれば可能です。「18 わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」
神は成長できるように常に安心を与えてくださいます。私たちは神の愛された子供になりました。
ヨハネによる福音書3:16「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
だからこそ成長しながら安心できます。
この世の親は子供がいくら悪くても子を見捨てることをしません。まして完全なる天の父は私たちを愛し安心を授けてくださいます。
神の大きな完全な愛の中で生活をしながら私たちは隣人を愛することが出来ます。
その愛が拒否されても神は再び愛を満たし愛することが出来ます。神の信頼性は完全なので神のすばらしい約束に信頼して勇気のあるクリスチャンになれます。
失敗があっても私たちは悔い改めれば新しい力と希望が与えられます。
【昨日より今日、神を喜ばす】
愛する兄弟姉妹。キリストを通して神は豊かに祝福してくださいます。
そのような恵みを賜う神に私たちはどうすればよいでしょうか。私たちキリスト者の答えは神を喜ばすことです。
私たちが霊的成長を、すなはちキリストの知識に於いて成長するなら神は本当に喜んでくださいます。
私たちのイエスキリストとの歩みはどうですか。
今年は去年より成長していますか。
今日は昨日より隣人を愛していますか。
神の豊かな助けでもっと成長してみませんか。
以前よりも周りの人に神の大きな愛をもっと顕しませんか。
聖霊に頼ってもっと聖書を学びましょう。
祈りに応えて下さる神様の約束を信じ一生懸命に祈りましょう。
周りの人に主の証人になり主の恵みを伝えましょう。
イエス・キリストの恵みと知識において成長することは人生の大事な目標です。
成長すると神に満たされ平安を与えられ神は私たちをもっと助けてくださいます。昨日より今日は信仰が成長して主イエスにもっと近ずくことは神の切なる願いです。
イエスキリストの無限の恵みと知識に於いて成長する歓びが得られますよう祈ります。(おわり)
2013年04月07日 | カテゴリー: ペトロの手紙二
霊の結ぶ実:寛容 ウイリアム・モーア宣教師
マタイによる福音書18章21−35(本文参照)
ガラテヤの信徒への手紙5章22−23
霊の結ぶ実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
【些細な事を許せない!】
読売新聞によりますと、最近、行儀が悪い人に対して暴力事件が増えて来ているそうです。関東の方ですけれども、ある28歳の高校先生は電車に乗って、足を組んで座っている青年の足に触れられました。先生はその事で怒り出し、青年を大声で叱って、頭を殴りました。
又、他の事件で57歳の警察官が逮捕されました。それは、彼は山の手線に乗っている若い女性の髪の毛を強く引っ張ったからです。尋問されると、警察官はこのように自分の行為を説明しました。「彼女は携帯電話でうるさく長話をして、態度が悪かったんです。」
又、28歳の女性の人も逮捕されました。彼女は空気銃で人の車を撃ちました。信号待ちの時、その車が彼女の車の前へ割り込んだからです。
続きを読む: 霊の結ぶ実:寛容 ウイリアム・モーア宣教師