ペトロの手紙一

2014年10月19日説教「力と喜びとしての祈り」城下忠司伊丹教会長老

L141019003.wav →CIMG9920.JPGリックで説教が聴けます。新約聖書
ペトロの手紙一1章3~9節
 わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、
4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。
5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。
6それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、
7 あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
9 それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

2014年10月19日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書

「従うべき方」片岡 継・神戸改革派神学校3年生

片岡 継・神戸改革派神学校3年生

聖書:ペトロの手紙Ⅰ 2章18~25
◆召し使いたちへの勧め

 18:召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。19:不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。20:罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、    これこそ神の御心に適うことです。  21:あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。  22:「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」23:ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。24:そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなた     がたはいやされました。25:あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。


 
【「召使い」とは?】
今日与えられております御言葉は、小見出しにも書かれていますように当時の「召使いたちへの勧め」が書かれている箇所です。この「召使い」というのは、ローマ世界の階級である奴隷一般とは区別されています。ここでの「召使い」というのは、家庭での下働きをする具体的な人たちのことを言っています。当時のローマ世界には、このような人たちが日本の人口の約半分の6千万人もいたと言われております。その中には、教養ある人も多くいまして、医者や教師などの「召使い」もいました。ですからこのような人たちが根底にいまして、当時のローマ世界は支えられていたと言っても過言ではありません。
 
彼らは、いつも不当な扱いを受けていたわけではありませんが、やはり人間としてよりかは「道具」として見られていた側面が強いようです。しかしそのような中にあって、クリスチャンとされたこの「召使い」に光が当てられるのです。

2009年09月13日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書

「試練と信仰」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典牧師

聖書:ペトロの手紙一1章3~7◆生き生きとした希望

3:わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、4:また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。5:あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

6:それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7:あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。


【試練は必然】
今朝は、私たちにとって最も重要な問題の一つである試練について、御言葉から改めて教えられたいと思います。「朝から試練の話とは、ちょっと重苦しい」と思われる方があるかも知れません。しかし、これは状況を選んでおられるような悠長なテーマではありません。これは信仰に生き、戦っている真のクリスチャンにとって、常に差し迫った問題です。ですから、ペトロも手紙の冒頭ですぐこの問題に言及します。

私たちの将来がどんなものになるかは、誰にも予測できませんが、色々な試練が待っていることだけは間違いありません。そうであるなら、あらかじめ御言葉により備えをしておくことはとても大切です。

2008年08月17日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書

「迫害に遭っても喜ぶ」マタイ福音書5章11~12 淀川キリスト教病院牧師 田村英典

淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:マタイ5章(山上の説教)

1:イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2:そこで、イエスは口を開き、教えられた。

◆幸い

3:「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

4:悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

5:柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

6:義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

7:憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。

8:心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。

9:平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

10:義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

11:わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

12:喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」


【迫害を受けるクリスチャンの反応】
マタイ5章の冒頭にあるイエスの教えから、真のクリスチャンとはどういう者かを学んでいます。イエスは3~10節で8つの側面からそれを描かれますが、その最後は10節

「義のために迫害される」


という点です。今日の11、12節は10節の続きであり、補足説明と言えます。

2008年08月10日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , マタイによる福音書 , ヤコブの手紙 , ルカによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

避けどころなる神、主 ウイリアム・モーア宣教師

詩編7篇1−18

1:【シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。】2:わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。3:獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から/だれも奪い返し、助けてくれないのです。4:わたしの神、主よ/もしわたしがこのようなことをしたのなら/わたしの手に不正があり5:仲間に災いをこうむらせ/敵をいたずらに見逃したなら6:敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき/わたしの命を地に踏みにじり/わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。〔セラ   7:主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり/憤りをもって身を起こし/わたしに味方して奮い立ち/裁きを命じてください。8:諸国をあなたの周りに集わせ/彼らを超えて高い御座に再び就いてください。9:主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してく    ださい/お前は正しい、とがめるところはないと。10:あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし/あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方/神は正しくいます。 11:心のまっすぐな人を救う方/神はわたしの盾。12:正しく裁く神/日ごとに憤りを表す神。 13:立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし/弓を引き絞って構え14:殺戮の武器を備え/炎の矢を射かけられます。15:御覧ください、彼らは悪をみごもり/災いをはらみ、偽りを生む者です。16:落とし穴を掘り、深くしています/仕掛けたその穴に自分が落ちますように。17:災いが頭上に帰り/不法な業が自分の頭にふりかかりますように。18:正しくいます主にわたしは感謝をささげ/いと高き神、主の御名をほめ歌います。

 
【ダビデの敵】
今日、私達はもう一度詩編に注意を向けて、詩編第7編を通して神の御言葉を学びたいと思います。この詩編は旧約聖書の人物ダビデの作品で、その背景は彼にとって大変辛い事件でした。つまり、ダビデを滅ぼす為、敵は彼に対して中傷的な噂を立てました。ダビデの敵についてあんまり知られていませんが、今日の詩編の一節を見ますと、彼の名前が記されています。「ベニヤミン人クシュの事についてダビデが主に向かって歌ったもの」と書いてあります。クシュはこの所以外、聖書に載っていませんから、彼について詳しい事はあんまり分かりません。しかし、彼はベニヤミン族の出身と知らされている事は重要です。何故なら、その当時のイスラエルの国王はサウルでした。そして、サウル王もベニヤミン人で、彼の家来と顧問も殆ど皆は同じベニヤミン族出身でした。しかし、ベツレヘム出身のダビデは例外でした。自分の忠実と実力で、ダビデはサウルの信頼されたよろい持ちになり、王ととても近くなり、宮殿で偉くなりました。
 
【ベニヤミン族出身のサウル王】
残念ながら、サウル王は神に従わなかったので、主は預言者を通してサウル政権の崩壊を宣言されました。更に、神はサウルの後任になる王としてダビデを任命したのです。言うまでもないが、その事でダビデは大変な立場でした。サウル王はもちろん自分の地位と権力を失いたくなかったので、彼はダビデを敵として扱うようになりました。ダビデはサウルに対して忠実であって、決してサウルに代わって王になるつもりはなかったのです。しかし、神こそがダビデを王として任命されると、サウルは彼を妬(ねた)んで、滅ぼうとしました。ダビデは国民に大変な人気があったから、サウルは彼を簡単に殺す訳にもいきません。他の方法でダビデを倒す必要がありました。それはダビデに対して中傷的な噂を立てました。その噂の内容ははっきり分かりませんが、恐らくそれはダビデがサウル家に、反逆罪的な行為を企んでいる事でしょう。

2008年05月04日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

「聖なる祭司として」
淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:ペトロの手紙Ⅰ 2章1~10

◆生きた石、聖なる国民   1:だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、2:生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。3:あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。4:この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。5:あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。6:聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」7:従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、/「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」のであり、8:また、/「つまずきの石、/妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。   9:しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。10:あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。

 


【宗教改革】
毎年10月31日は宗教改革記念日ですので、今朝はそれを覚えて説教をさせていただきます。
御承知のように、ヨーロッパの宗教改革は実際には中世の終りから色々な人たちが始めていま
した。イギリスではウィクリフ、ボヘミヤではフス、フィレンツェではサヴォナローラなど、当時の教会の腐敗に多くの人が心を痛めていたのです。ただ、全体的運動には至りませんでした。
 
それを変えたのがルターでした。1517年10月31日、ヴィッテンベルク城の教会の扉にルターは95か条の公開質問状を張り付けました。これは特に過激な方法ではなく、当時よく使われたものです。ルターは自分の疑問について公に討論をしたかっただけで、大ごとになるとは全く考えていませんでした。彼の思想も神学もまだ十分整理されていませんでした。
 
しかし、印刷技術の発達やその他の理由で、事態は思わぬ大きな展開を見せ、その中で彼の考えも整理され、展開し、成熟していきました。更にルターだけでなく、ブーツァー、ツヴィングリ、カルヴァン、ノックスなど、当時のヨーロッパの色々な人たちにこの運動は広がり、大きな困難の中にも定着していきました。改革派教会は、この宗教改革に源流を持つ教会です。

2007年10月28日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , ペトロの手紙一 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書

「キリスト者と迫害」
淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:マタイによる福音書5章1~10節

10:義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

 

【キリスト者と迫害】
3節から始まるイエス・キリストの幸福の教えを学んで来ました。今日は最後の8番目、10節に進みます。本当は11、12節も関係していますが、今朝は10節だけを取り上げます。
まず前後関係から気づくことがあります。
第一に、これは3節から始まった一連の教えの最後で、いわば締めくくりです。つまり、クリスチャンを完全な形で描く上で、迫害に触れない訳にはいかないということです。厳しいですが、クリスチャンと迫害は切り離せません。
 
第二に、これは9節

「平和を実現する人」


についての教えの後に来ています。クリスチャンが神の御心に従い、平和を実現しようと努力した結果が、しばしばこの世から迫害だということです。悲しいですが、これが現実です。
 
第三に、この教えに付いている約束は3節と同じで、

「天の国はその人たちのものである」


と主は言われます。主はまず3節で人々の心を永遠の天国に向けさせ、またこの最後の教えでもう一度人々の関心を栄光の天に向けようとされます。
 
「迫害はある。だが忘れるな。あなたが受けようとしているものは、生れつきの人が如何にしても手に入れることのできない神の永遠の祝福、天の国である。当座は辛い。だが迫害は決して永遠ではない。あなたは永遠のものを受けようとしている。だから、忍耐して戦い抜きなさい」と励ましておられます。
 
以上、前後関係から簡単に見ました。もう一度10節を見ます。

「義のために迫害される人々は幸いである。」


これが既に永遠の天の御国に国籍をいただいている幸いな人の紛れもない特徴の一つなのです。
主は正直です。「私を信じたら、何もかもうまく行く。いやなことなどなくなる」とは言われません。それは大嘘つき、またサタンの言うことです。サタンはマタイ福音書4章8節でイエスを誘惑して言いました。

「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう。」


「これ」とは「世の全ての国々とその繁栄」だ。要するに、何でも思い通りになる、万事OKということです。しかし、これは嘘です。イエスは事柄を曖昧にされません。率直に事実を告げられます。「あなたに信仰の故に迫害はある。それが激しいか緩いかは、天の父の御心による。だが迫害を受けるなら、それこそ、あなたが天に国籍を持ち、永遠の神の国の住民であることの明確な証拠である」と主は断言されます。

2007年10月21日 | カテゴリー: テモテへの手紙二 , ペトロの手紙一 , マタイによる福音書 , ルカによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

教会の交わり ウイリアム・モーア宣教師

エフェソの信徒への手紙2章19−22
 
【100人の子供】
最近新聞で次の驚くべき記事を読みました。「78人 の子供を持つ一本足のアラブ首長国連邦の市民ダアド•ムラド•ムハンマド•アブドウル•ラーマンさんは次の二人の妻を募集しています。何故なら、彼は2015年までに100人の子供を儲けたいからだそうです。60歳のアブドウルル•ラーマンさんは今まで15人のお嫁さんがありましたが、イスラム教は同時に妻4人しか許されないので、その中、13人の妻を離婚しました。「2015年に私は68歳になり、子供100人を目標にしています。それに成功したら、新しい結婚はもうしません」とアブドウルル•ラーマンさんが言いました。地元の新聞は第一面に78人の子供に囲まれた彼の写真を載せました。長男は36歳で、末っ子は産まれてわずか20日です。そして、現在、二人の妻は妊娠中です。
 
アブドウルル•ラーマンさんによりますと、自分の大家族は15件の家に住んでいます。退役軍人である彼は年金と国の援助で家族を支えるんだそうです。
 
この世には色々な家族がありますね。アブドウルル•ラーマンさんは何故そんなに大きな家族を築いたのかは分かりません。恐らく子供が大変好きなんでしょう。あるいは、子供を儲ける事によって有名になりたがったのかも知れません。しかし、それは決して楽な年金生活ではないと思います。子供の名前を覚える事さえも大変です。それぞれの妻との関係も確かに複雑です。 気の毒ながら事業自得です。

2007年08月26日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , コロサイの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , ヤコブの手紙 , 新約聖書

希望の力 ウイリアム・モーア

聖書:ペトロの手紙一1章3-9

【大やけどで入院の生徒】
ある町の教育委員会は入院する生徒がいる為、病院へ教師を派遣するプログラムを作りました。それは入院が長引く生徒達の勉強が遅れないように、派遣教師はマン・ツー・マンで病気の子供を教えたのです。ある日、教師はある入院生徒の訪問依頼を受けました。そして、病院へ行く前に彼女はその生徒の担任教師と連絡を取り、何を教えたら良いのかと相談しました。「最近、文法を勉強していますので、特に名詞と副詞の区別を教えて下さい」と担任教師に言われ、訪問教師が病院へ行きました。病室に入る派遣教師はびっくりしました。その生徒は火事で大火傷を負ってしまって、大変苦しんでいました。生徒の状態は良くないから、勉強するところではないかと思いましたが、派遣教師はせっかく来たので、一応名詞と副詞の区別を生徒に説明して、すぐ帰りました。

次の日、先生はもう一度病院へ行くと、看護婦がやって来て、「あの子に何をしましたか」と聞きました。そして、恐らく、うっかり何かの間違いを自分がしたのではと思って先生は謝ろうとしました。「そう言う意味ではありません」と看護婦さんが言いました。「あの子は昨日までも、調子は大変心配しました。しかし、昨日のあなたの訪問から急に良くなりました。特に態度が良くなって、今は一生懸命に生きようと、体調も十分よくなりました」と説明しました。

やっと退院の日が来た時、生徒が言いました。「派遣教師が来るまで生きる希望が全然ありませんでした。あんまり苦しいから死ぬかと思ったのです。しかし、先生が来ると生きる事が出来ると分りました。実際、私がこれから死ぬんだったら、先生が私に名詞と副詞をわざわざ教えに来るはずはないでしょう」と言いました。

【希望と絶望】
生きる為に人間誰でも希望が必要であると思います。字引きを引いて「希望」と言う単語を探すと、この定義があります。「希望はある事を成就させようと願い、望むと同時に、その事を達成出来ると信じる事です。」希望の反対はもちろん絶望です。そして、その絶望は落胆と鬱を伴います。希望がなかったら、生きる力とやる気を失って、全ては面倒臭くなります。ですから、食べ物が体に必要であるように、希望は私達の魂と精神に絶対に必要なものです。

【悪魔の夜店】
ある日の事です。悪魔が夜店を開きました。そして、自分が使う道具に値段を付けて売り出しました。その道具は、憎しみや、妬みや、偽りや、高慢や、強欲などです。その全ての商品には高価な値段をつけましたが、その中でも、最も高い道具が一つありました。その道具は他の道具よりも使い古したものですが、悪魔には最も大事な物ですから、一番高価でした。その道具には「絶望」と言う張り札が付けてありました。悪魔に、「何故絶望はそんなに高いですか」と聞くとこう答えました。「絶望は俺には他の道具よりも遥かに役に立つ物です。人を倒す為、他の道具が効かない場合、絶望を用います。なぜなら、殆ど全ての人はその道具が私の物である事に気づかず良く効くからです」と言いました。

2006年04月23日 | カテゴリー: ペトロの手紙一