2019年12月15日説教「信仰の指導者」金田幸男牧師
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2019年12月8日説教「兄弟として」金田幸男牧師
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2019年12月1日説教「神のみ旨の告知』金田幸男牧師
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2019年11月24日説教「神の都に近づく」金田幸男牧師
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2019年11月17説教「平和と聖い生活」金田幸男牧師
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2019年11月10日説教「主の鍛錬」金田幸男牧師
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2019年10月20日説教「罪にふけるよりも」金田幸男牧師
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2019年10月13日説教「復活を信じる」金田幸男牧師
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2019年10月6日説教「この世の旅人」金田幸男牧師
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2019年9月1日「罪と不法を思い出さない」金田幸男牧師
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2019年8月25日「罪の記憶の消滅」金田幸男牧師
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2019年8月18日「一度限りのわざ」金田幸男牧師
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2019年8月11日「新しい契約の仲介者」金田幸男牧師
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2019年8月4日説教「恵みの大祭司イエス・キリスト」金田幸男牧師
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2019年7月14日説教「新しい契約」金田幸男牧師
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2019年7月7日説教「はるかに優れた務め」金田幸男牧師
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2019年6月23日説教「永遠に生きる大祭司」金田幸男牧師
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2019年6月16日説教「朽ちることのない命の力」金田幸男牧師
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2019年6月9日説教「永遠の大祭司キリスト」金田幸男牧師
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2019年5月26日説教「成熟に向かって」金田幸男牧師
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2019年5月19日説教「み言葉による訓練」金田幸男牧師
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2019年5月12日説教「弱さを担う大祭司」金田幸男牧
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2019年4月21日イースター説教「真心から神に近づこう」金田幸男牧
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2019年3月24日「今日という日に」金田幸男牧
説教要旨 ヘブライ3:7-15改.doc
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2019年3月10日「大祭司イエス」金田幸男牧
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2019年3月3日「御子に相応しいこと」金田幸男牧師
2019年03月04日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙
2019年2月24日「低くされた方の栄光」金田幸男牧師
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2019年2月17日「救いに向き合う」金田幸男牧師
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2019年2月3日「神の御子キリスト」金田幸男牧師
2019年02月03日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙
2012年9月23日説教「信仰とは何ですか」ウイリアム・モーア宣教師
2012年9月23日説教「信仰とは何ですか」ウイリアム・モーア宣教師
聖書:へブライ人への手紙11章1~7節
1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
説教要約:文責 近藤
【夜の高速道路】
最近は夜間に高速道路をドライブすることがよくあります。その理由は深夜割引があったり、渋滞がなく、また夏なら夜は熱くもありません。今年の夏、高速道路で長野に休暇に行きましたが、その帰り道、大雨になり10メートル先が見えないほど見通しが悪い中を危険を感じながら少しスピードを落として走りました。その時のわたしの態度と行動は信仰に近いものでした。道路の先はほとんど見えないが命がけで道があると信じ、道路の側壁は川の激流にも耐えることを確信して走ることができたからです。高速道路を信頼せず道を信じなかったら決して走らず雨が上がるのを待ったでしょう。
このように毎日の生活においても信頼を求められます。例えば朝スイッチを入れれば電灯が燈ることを信じるし、ポストに郵便物を入れると相手に届くとか、医師の処方箋を薬局に出すと薬剤師はその薬が医師の指示通り渡されるということを信じます。
会堂の造り方が分からなくても確かに安全に建てられていると信じるので毎週ここに集います。それは信頼のお蔭です。
それは今日の聖句「1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」です。
毎日の生活は信頼のお蔭で生きることができますが、信頼がなければマヒ状態になります。
【信仰とその対象】
信仰の場合も同じですがその対象は違います。その対象は人や物でなく神です。信仰は神を信じること、神の約束、愛、力、救いを確信しその中に生きることです。わたしたちの信仰の対象は聖書に啓示された神様です。聖書にこう書かれています。
「 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12)
信仰の唯一の正しい対象が聖書に記されています。それはイエス・キリストです。その他の者は救いになりません。
信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
私たちは神を見ないが神を信じて生きています。
【ハドソン・テーラー】
160年前、有名な英国人の伝道者ハドソン・テーラーがはじめて宣教師として中国に伝道に行った時のことです。大凪(なぎ)で船は進めなくなり人食い島に流されそうになりました。海岸では人食い人種が御馳走が流されてくるのを待ち受けていました。
船長はテーラー先生に神の助けを祈ってくれるように頼みました。テーラー先生は船長に「祈りますが風がもうすぐ来るのでまず帆を上げるよう」に言いました。船長は大なぎなのに帆を上げると笑いものになると断りました。テーラー先生は今帆を上げないと風のために祈りませんと答えました。船長がテーラー先生の言うことを聞きいれたので今度は祈りました。すると大風になりましたので、船長はテーラー先生のところにきて「まだ風のために祈っていますか。もう風は十分です。風を止めるように祈ってください」と頼みました。
テーラー先生は神を信じ、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認したので主がその祈りに豊かに答えて下さいました。
今日の聖書は旧約聖書の3人の人物の例を挙げ信仰の結果を記録しています。
【アベル】
「4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」
アダムとイブの最初の子供であるアベルとカインですが、アベルは信仰によって神を礼拝しました。つまり自身をすぐれた生贄として神に捧げました。信仰を持つ者は神を感謝をもって礼拝します。愛する兄弟姉妹、それは私たちの姿ですか。
【エノク】
「5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」
エノクは主とともに歩んだので主に喜ばれました。それ故神はエノクを生きたまま天に移された。
【ノア】
「7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。」
人類の堕落と罪の故に神はただノアの家族を除いて人類を滅ぼすことを決めました。ノアの家族のゆえに人類は残りました。周りの嘲りにたえて120年かけてノアの家族は箱舟を造りました。信仰がなければ箱舟を作ることは出来ませんでした。
私たちは望んでいる事柄を確信し見えない事実を確認して神のお働きに参加したい。
2012.8.5.説教「変わることなきイエス・キリスト」ウイリアム・モーア
2012.8.5.説教「変わることなきイエス・キリスト」ウイリアム・モーア
(説教要約 文責近藤)
聖書:ヘブライ人への手紙13章8節「イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です」
【アフリカから帰国した宣教師】
わたしは数年ごとにアメリカに帰国するたびにアメリカの変化に驚きます。
表現する言葉、ファション、料理、考え方の変化に気づきます。
あるアフリカに行った宣教師の話ですが、久しぶりの帰国の前にその奥さんはファッションのカタログを取り寄せ最新の服を家族のために作りました。帰国しそれを着て自信満々で町を歩いていると周りの人の視線を感じました。なんと後ろの4人の子供たちが頭にカバンを載せて付いてきたからです。
【変化は永久?】
「この世に永久のものは一つしかありません。それは変化です」と誰かが言いました。
テクノロジーは特にそうです。コンピューターの進歩はアナログ時代に生まれた人にとってデジタルの現代に生きるのはチャレンジングなことです。温暖化のために気象の変化は激しいし、私たちは自身の年齢的変化にも、周りの環境の変化や経済の変化に翻弄されます。
【永遠に変わらぬお方】
この世に住む私たちは変わらぬ避けどころが必要です。山奥に逃げても変化が追ってきます。全ての変化に対し、今日の御言葉はまことに良いお知らせです。それは「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」
変化の嵐の中にいる私たちにとって、変わらぬ愛するイエスキリストこそ変わらぬ避けどころです。それは神の御子イエス・キリストです。
私たちの健康が衰えても主はこういわれます。
コリントの信徒への手紙二 12章9 「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
困難の中にいる人にはこういわれます。
ヨハネによる福音書16章33 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
死の影にいる人にはこういわれます。
ヨハネによる福音書 11章25 「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる』」。
【昨日】
イエスは昨日も変わることなきお方です。
主イエスは三位一体の神として初めがありません。父と聖霊と同じように初めがない永遠のご存在です。このように言われます。
ヨハネによる福音書1章
「1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は、初めに神と共にあった。3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」
主御自身もこういわれました。
ヨハネによる福音書 8章58:イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」
主は御自身神であられるにもかかわらず全人類の救いのため天の御国を去って貧しい人となられ馬小屋で生まれ、すべての人の僕となり、行いと言葉によって神であることを示され、最後に全人類の贖いとなられて十字架にかけられ死んで下さった。しかし墓より3日目に神の力で蘇られました。主を信じる者は誰でも救われますし復活の喜びが受けられ、死んでも主とともに永遠に生きられます。これが変わらぬ主イエスの昨日のお姿です。
【今日】
今日も変わらぬお姿とは。
主は天にあって父なる神の右に坐して私たちを執成してくださいます。
そこから神なる聖霊を遣わして私たちの働きを助けて下さいます。福音が現在も伝えられ飢えている人に食べさせ、囚われている人を解放し、圧迫された人に自由を、病めるものを癒し、主は昨日も現在も変わることなく働いておられるのです。
【永遠】
永遠に変わることなきお方とは。
主イエスが将来は変わられるのでしたら私たちの信仰は益があるでしょうか。私たちはもっとも哀れな存在になります。
コリント人への第一の手紙 15章19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
本当はそうではありません。主イエスは永遠の住いを用意されるために天に帰られました。
ヨハネによる福音書 14章
「1あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」
主が迎えにくるという主イエスのお言葉を信じる者は、イエスが来られるとき喜びをもって主を見ます。
おして私たちの目からすべての苦しみ、悩み、痛み、死を取り去り給います。主はこの約束を守られます。
この世にいる私たちは変わりますが、主は永遠に変わらないお方ですから、私たちは 主のお言葉を信じられ、十字架の愛のゆえに私たちを救い神の子としてくださいます。
今も主は天国で私たちのために執成して下さいます。御霊の力で歓びで満たしてくださいます。
主は永遠に変わることのないお方ですから将来の問題に答えて、約束された永遠の住いを保証してくださいます。
私たちの主イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です。この主を信じ従いましょう。(おわり)
2012年08月05日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙
「信仰とは」淀川キリスト教病院伝道部長/田村英典牧師2010.7.18.
聖書:ヘブライ人への手紙11章1~3
◆信仰 1:信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。2:昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 3:信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造さ れ、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
【信仰の定義】
今朝は、信仰とはどういうものかを改めて学びたいと思います。
ヘブライ人への手紙11章1節は言います。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」これを信仰の定義と取る人もいますが、そこまでは言えないでしょう。
もし、信仰を定義するなら、もっと包括的なものになると思います。例えば、第一に神とその御心についての正しい認識、第二にその納得と確信、第三にそれへの自分の明け渡しと信頼、第四に神への服従など、知、情、意に亘って色々な要素を含みます。
「希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」ウイリアム・モーア2010.6.27
ヘブライ人への手紙10章19−25
19:それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。20:イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。
21:更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、22:心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。23:約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。
24:互いに愛と善行に励むように心がけ、25:ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
【災害保険のおかげで】
弁護士と政治家が海外の豪華なリゾートで始めて出会い、ゴルフを一緒にやりながら仲良くなりました。そして、やがて弁護士は政治家にこう言いました。「実は、ここに来たのは家が火事で全焼になり、全ての持ち物を失いました。しかし、幸いに保険会社が損失の保険金全額を支払ってくれ、ここに来る余裕が十分ありました。」政治家はその事を聞いてびっくりしてこう述べました。「本当に偶然ですが、実は、私も洪水で家と、その中にある物も全部駄目になってしまいました。僕も保険金のお陰でここに来たのです。きっと、私達二人は不思議な縁があるのでしょう。」
その事を聞くと弁護士は非常に当惑した様子でこう返事しました。「あなたも大したもんですね。しかし、いったいどのようにして洪水を起こしたのですか?
なくてならぬもの:希望 ウイリアム・モーア宣教師
ヘブライ人への手紙10章19−25◆奨励と勧告
19:それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。20:イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。21:更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、22:心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。23:約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。24:互いに愛と善行に励むように心がけ、25:ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。
【病院へ訪問授業】
ある学校の教師は教育委員会によって町の総合病院に派遣されました。それは入院している若い患者の勉強が遅れない為の訪問授業でした。ある日訪問教師は入院している生徒の担任先生からこのような訪問授業の依頼を受けました。「クラスは今文法を学んでいます。入院している生徒に名詞と形容詞の事を教えてくれると有り難いです。」そして、担当の先生はその子の名前と病棟を教えました。
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競走を忍耐強く走り抜こう ウイリアム・モーア宣教師
ヘブライ人への手紙12章1−3◆主による鍛錬
1:こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
2:信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
3:あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
【オリンピック】
皆さん、先日のオリンピックを見ましたか。最近テレビをつけても、あるいは新聞や雑誌を開いても、オリンピックの情報を避ける事は難しいです。オリンピックは世界の全ての人々の注目を引きつけました。世界中、数10億人が鳥の巣で行った開会式を見たんだそうです。オリンピックの魅力は何でしょうか。その魅力は何よりも選手達は勝利を得る為に一生懸命に訓練を受け、最善を尽くして競技をします。その献身的努力と忍耐は本当に魅力的で、見る人を感動させ、微笑ましくさせます。
先週の木曜日の女子ソフトボールの競技は大変刺激的でしたね。日本のチームは勝てそうもないなのに、頑張って大きな勝利を得ました。皆は最後まで最善を尽くして金メダルの夢を叶えました。
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「迫害に遭っても喜ぶ」マタイ福音書5章11~12 淀川キリスト教病院牧師 田村英典
聖書:マタイ5章(山上の説教)
1:イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2:そこで、イエスは口を開き、教えられた。
◆幸い
3:「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
4:悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
5:柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
6:義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
7:憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
8:心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
9:平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
10:義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
11:わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
12:喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
【迫害を受けるクリスチャンの反応】
マタイ5章の冒頭にあるイエスの教えから、真のクリスチャンとはどういう者かを学んでいます。イエスは3~10節で8つの側面からそれを描かれますが、その最後は10節
「義のために迫害される」
という点です。今日の11、12節は10節の続きであり、補足説明と言えます。
2008年08月10日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , マタイによる福音書 , ヤコブの手紙 , ルカによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
日々励まし合いなさい ウイリアム・モーア宣教師
ヘブライへの手紙3章12−14
【六甲登山で】 先月の事ですが、ある美しい春の日、私は六甲山を登りました。うちの家から六甲山がよく見えるので、毎朝起きると、その日のお天気が分かるように六甲山の様子を眺めるのが習慣になりました。大抵山を見たら、その日の神戸の天気が分かるからです。そして、お客さんが来る度に何回も車で六甲山からの100万ドルの夜景を見に行った事があるけれども、上まで歩いた経験がありませんでした。神戸に住んでいて、少なくとも神戸のシンボルの六甲山を一回登った方が良いと思って、朝早くにその頂きを挑戦しに出掛けました。 阪急電車に乗って岡本駅へ行って、そこから登り始めました。少し歩くと道が結構急な坂になりましたが、天気と風景があんまり良くて、疲れを忘れて登っていました。しかし、登れば登る程、足が重くなり、息も少し苦しくなりました。そして、天辺までの距離の三分の一しか登っていないのに、息切れして、休憩する必要がありました。休みながら、頂まで登れる力があるかどうかと思い始めました。もし駄目だったら、出来るだけ早く挑戦を止めた方が賢明だと自分に言いました。12:兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。13:あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。――14:わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――
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2008年05月18日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙
占星術の学者達から学ぶ事 ウイリアム・モーア宣教師
聖書:マタイによる福音書2章1−12節
【東方から来た占星術学者】
今日の御言葉に於ける占星術学者達の物語は神秘に包まれています。と言うのは、その人物の事についてあんまり知られていません。聖書には彼等の 国と人数、また名前さえも載ってありません。ただ、「占星術の学者達が東の方からエルサレムに来た」と記されています。ですから、長年にわたってその学者達について伝統が結構生じて来ました。例えば、彼等は主イエスに黄金(おうごん)、乳香(にゅうこう)、モツ薬の三つのお贈り物を献げたので、恐らく学者達三人で来たと思われますが、聖書を注意深く読んで見ると、それは確かな事ではありません。また、国はペルシア、つまり現代のイランと言う伝統がありますが、聖書にはただ、彼等は「東の方から」来たと書いてあります。ですから彼等はバビロニアかアラビアから来た可能性もあります。伝統によりますと学者達の名前はガスパルと、メルチオルと、バルテャザルですが、実際にその名前も不明です。さらに彼等はラクダに乗って来たと言う固定的なイメージがありますけれども、それも憶測に過ぎません。
【占星術の学者とは】
「占星術の学者」と日本語に訳されたギリシャ語の原語は「マゴイ」です。マゴイはその時代の学問が一番優れた人物でした。色んな課目を学んだ彼等は、当時の学者、あるいは博士でした。彼等の優れた学問の故、中東の諸国でマゴイは国王の顧問になり、地位のとても高い者でした。そして、彼等が学んだ課目の中で天文学と占星術が重要でした。星と惑星の位置と運行によって人や国家の運命が分かると信じた彼等は常に夜の空を研究しました。
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2007年12月16日 | カテゴリー: サムエル記下 , ヘブライ人への手紙 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 創世記 , 新約聖書 , 旧約聖書
教会の交わり ウイリアム・モーア宣教師
エフェソの信徒への手紙2章19−22
【100人の子供】
最近新聞で次の驚くべき記事を読みました。「78人 の子供を持つ一本足のアラブ首長国連邦の市民ダアド•ムラド•ムハンマド•アブドウル•ラーマンさんは次の二人の妻を募集しています。何故なら、彼は2015年までに100人の子供を儲けたいからだそうです。60歳のアブドウルル•ラーマンさんは今まで15人のお嫁さんがありましたが、イスラム教は同時に妻4人しか許されないので、その中、13人の妻を離婚しました。「2015年に私は68歳になり、子供100人を目標にしています。それに成功したら、新しい結婚はもうしません」とアブドウルル•ラーマンさんが言いました。地元の新聞は第一面に78人の子供に囲まれた彼の写真を載せました。長男は36歳で、末っ子は産まれてわずか20日です。そして、現在、二人の妻は妊娠中です。
アブドウルル•ラーマンさんによりますと、自分の大家族は15件の家に住んでいます。退役軍人である彼は年金と国の援助で家族を支えるんだそうです。
この世には色々な家族がありますね。アブドウルル•ラーマンさんは何故そんなに大きな家族を築いたのかは分かりません。恐らく子供が大変好きなんでしょう。あるいは、子供を儲ける事によって有名になりたがったのかも知れません。しかし、それは決して楽な年金生活ではないと思います。子供の名前を覚える事さえも大変です。それぞれの妻との関係も確かに複雑です。 気の毒ながら事業自得です。
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2007年08月26日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , コロサイの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , ヤコブの手紙 , 新約聖書
わたしの父の家には ウイリアム・モーア宣教師
聖書:ヨハネによる福音書14章1−3
【モリソン宣教師夫妻】
略100年前の事ですが、モリソンと言う宣教師御夫妻は長年のアフリカでの奉仕後、定年を迎えアメリカのニューヨークに帰る事になりました。二人の健康は衰え、年金もなかったので、モリソン御夫妻は色んな心配がありました。偶然の事ですが、彼等はアメリカの大統領セオドア•ルースヴェルトと一緒に同じ客船に乗りました。探険旅行帰りの大統領は一等スウィートルームに泊まりましたが、モリソン夫妻は薄暗い三等船室でした。大統領とその仲間はVIP待遇を受けていましたけれども、誰も宣教師達に留意しませんでした。
まだ航海中に、先生は奥さんにこう呟きました。「これは大変不公平ですよ。我々はアフリカで辛苦に耐えながら一生を捧げましたのに、誰一人私達の事を覚えてくれる人はいませんね。しかし、大統領はただヴァカンスから帰りだけなのに、皆は大騒ぎではありませんか。」
客船がニューヨックに着いた時、ブラスバンドが大統領を歓迎して、大勢の高位高官にある人々は出迎えに来ました。新聞も大統領の帰りを大きく取り扱いました。その反面、誰一人宣教師の帰りを気づく人はいませんでした。その二人はただカバンを持って船から降りて安いアパートを捜し回りました。それから、生活をする為に、仕事を捜そうとしたのです。
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2007年08月12日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , フィリピの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , ヨハネの手紙一 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書
満ち足りた生活の秘訣 ウイリアム・モーア宣教師
ヘブライ人への手紙13:1−8
【突然の遺産相続】
ある日、二人の友人が久しぶりに道端でばったり出会いました。一人はとても悲しそうな顔をして、目に涙がにじんでいました。その様子を見ると友人が驚き、「一体どうかしましたか」と尋ねる、彼はこのように説明しました。「三週間前に伯父が亡くなって遺言で500万円を頂いた」と言いました。「それは嬉しい事じゃないか。どうして悲しいですか」と友人が聞きました。「実は、二週間前にあまりよく知らなかったいとこも死んで私に一千万円を残してくれたのよ」と悲しい友人は述べました。「あなたは運が本当に良いですね」と友人は返事すると相手は言いました。「どうして私の気持ちを理解してくれないの。先週大おばも急に息を引き取って、三千万円を譲ってくれた」と言いました。そうすると、納得出来なかった友人はこう聞きました。「こんなに恵まれているあなたは涙を流す必要がないのに、どうして悲しいですか。言って下さい。」「あなたはまだ私の気持ちが分からないの?。実は、今週は、誰一人死んでないので、一円も今週貰ってないから悔しいのよ」と彼は言いました。
【満ち足りる事とは】
今日、12月31日、私達は正に新しい年、2007年の玄関に立っています。後13時間ぐらいで2006年は完全に過ぎ去り、主イエス・キリストの2007年を迎える事が出来ます。この際、新しい年に入る私達は満ち足りる事について一緒に考えたいと思います。つまり、新しい年にはどういうふうに満ち足りた人生を歩む事が出来るのでしょうか。
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2006年12月31日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ヘブライ人への手紙 , マタイによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇
「神に背負われる幸せ」 田村英典牧師・淀川キリスト教病院伝道部長
聖書:イザヤ書46章1~4節
1:ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。 2:彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く。
3:わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。
あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。4:同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
【キリスト教信仰が私たちに与える祝福】
キリスト教信仰が私たちに与える祝福には色々あります。一番大切なものはイエス・キリストの十字架の死と復活が、そのイエスを心から信じ依り頼む者に罪の赦しと永遠の命を与えることです。
しかし、これだけでなく、この中心的なものの回りに様々な祝福があります。例えば、ガラテヤの信徒への手紙5章22、23は、主を心から信じる者に御霊が結ばせて下さる実を9つ上げます。
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制で、どれも尊いです。これらが私たちの内に形成されるなら、どんなに幸いでしょう。
他に忍耐力もあります。聖書によると、忍耐力とは、物事がうまく進まず、万事が私たちの願っていることと正反対の状態にあると思える時でも、私たちが尚前進して行くことのできる力です。これもキリスト教信仰の与える優れた祝福の一つです。しかし、今朝はイザヤ46章4節の伝える
「神に背負われる幸せ」
を学びます。
【無力な偶像の神々】
ここはバビロンで崇められていた偶像の神々ベルやネボと比べて真の神はどういう方かを、神御自身が語られた所です。偶像は金銀で如何にうまくできていても、自分では動けず、動物に背負われて運ばれました。その動物が躓いたなら、偶像も転げ落ち、壊れます。偶像には何の力もありません。そんなものを信じていたら、人も疲れ、その挙句に悲惨な目に遭います。
【私たちを背負われる神】
真の神は違います。古代イスラエルは不信仰のために色々懲らしめを受けましたが、ここで神は、ご自分がどれ程慈しみ豊かであるかを示し、彼らに悔い改めを促されたのでした。それはともかく、ここで一番私たちの心に響くのは、神が私たち信仰者を背負って下さることだと思います。
少し想像してみます。親に背負われてスヤスヤ眠り、あるいは親の背中で嬉しさと喜びで一杯の幼子!何とも言えない心和む光景です。それを見る者にも温かいものが伝わって来ます。親に背負われている幼子程、平安で幸せなものはないでしょう。実はイエス・キリストへの信仰の故に神の子とされた者も、同じように神に背負われる幸せに与っているのです。聖書はこの素晴らしい事実を教え、私達を励まします。
私たちに語って下さる神 ウイリアム・モーア
ヘブライ人への手紙1章1−4
【聖書に於ける神とは?】
皆さん、「聖書に於ける神はどのような神なのか」と聞かれると、どう答えられますか。色々な答えが可能ですけれども、先ず「我々の神は永遠の万物の造り主、全能の唯一の神である」と言ったら正しいでしょう。つまり、神は宇宙の中の全ての物、私達人間を含めて、無から創造されました。そして、神の存在は始めもなければ終わりもありません、永遠の神です。更に、我々の神は唯一の神です。すなわち、この神以外に実際に存在する神がいません。また、真の神は全能の神ですから、御自分の力と知恵が限られていません。しかも、神は正義の神なので、不正と全ての罪を憎みます。聖書に於ける神はどのような神なのかと説明すると、以上のような事を言ったら良いと思います。しかし、真の神について一番大事な事はまだ言っていません。それは我々の神は御自分が造った被造物を愛します。
「神は愛である」
と聖書に記されています。(ヨハネの手紙一4:8)そして、その愛の対象は私達です。神は御自分にかたどって造られた私達人間を特に愛します。
【人を創造された目的】
実は、神が人間を創造されたのは特別な理由があったのです。それは私達との交わりを持つ為です。つまり、神は、御自分を人間に現す事によって、私達を祝福し愛する熱望を示しているのです。そして、私達を愛するから、私達に語って下さいます。
考えて見て下さい。もし自分が誰かを本当愛するならば、その人を無視出来ますか。ただ遠くから離れてその人を眺めるだけですか。もちろんそうではありません。人を本当に愛するならば、その人に関心を持って相手にする必要があります。つまり、コミュニケーションと交わりがいります。自分の愛をその人に表します。愛する神は同じように御自分の愛を現す為、私達に色々な方法で語って下さいます。我々の神は沈黙する神ではないのです。私達を愛するほどに、御自分を現します。
【宇宙生命体以上のすばらしいご存在】
現在、多くの科学者は地球外での理解力のある生命(生物)を探しています。電波望遠鏡を遠い銀河系に焦点を集め、宇宙人の話を聞こうとします。あるいは、人工衛星を宇宙空間に打ち上げ、地球外の生物の証拠を探します。実は、今までその方法で何一つ証拠は見つかっていません。
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2006年06月18日 | カテゴリー: テモテへの手紙二 , ヘブライ人への手紙 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
【揺り動かされる事のないもの】ウイリアム・モーア
【揺り動かされないもの】ヘブライ人への手紙12:25―29 25:あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。 26:あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」 27:この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。 28:このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、 神に喜ばれるように仕えていこう。 29:実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。
【阪神淡路大震災】
去る17日はに阪神淡路大震災の9周年記念がありました。9年後の今になっても、まだまだその後遺症で霊的と肉的において沢山の人々は苦しんでいると聞きました。特に、力強い神様の慰めと癒しがその方々一人一人の上にあります事をお祈りします。震災の日、朝早く、わずか20秒の間ですが、ほんのちょっとの間、どうしょうも出来ない事が起きました。その事で多くの人々の人生は完全にひっくり返てしまいました。その結果、5、500人が亡くなり、また35、000人の怪我人がありました。壊れた建物は18万軒、住む家を無くした者は30万人程でした。そして、地震が直接に起こした経済的被害は13兆円以上と思われています。
地が揺り動くと、多くの者は仕事の上で、家庭の上で、個人それぞれのプランや思いをこえ、人々の人生はすっかり変わりました。震災を経験した者一人一人は誰よりもその事をよく知っておられると思います。愛する者を亡くしたり、そして財産と職場が失われたり沢山の人々は現在も毎日、震災の影響の下で生きています。
【この世の変化】
恐らく地震はこの世の変化と変動の一番劇的な例であると思います。瞬間的に全てを大きく変えるからです。しかし、考えて見れば、この世の全ての事は常に変わります。特に人間の社会はますます変わって来ます。もし100年前の日本人が現在の日本を訪ねると、驚いてしまう事でしょう。変化があんまり大き過ぎて、きっとここは日本ではないのかと思ってしまいます。今の日本の社会には良い変化と良くない変化両方が沢山ありますから、恐らくここが日本だと信じ難いですね。
技術的な変化も結構沢山ありました。人間には不可能な多くの事が随分可能になりました。例えば、交通が良くなって飛行機で20時間以内にほどんど何処の国へでも行けます。また、電話とインタネットを通して即座の連絡が普通になって、色々な情報をすぐ入手出来ます。そして、医学の技術を通して、心臓移植のような以前には想像も出来なかった事が今は普通になりました。
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