2016年1月17日説教「終わりの時の到来のしるし」金田幸男牧師

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説教「終わりの時の到来のしるし」

 

聖書:マルコによる福音書13

1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

終末の徴

3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」

5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。

11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

 

 

 

要旨  マルコによる福音書13章全体は、オリーブ山の説教と言われているところで、終わりのとき、終末について語られています。

 

【二つの誤った考え】

 終わりのときについて、二つの誤った考えがあります。

 

ひとつは否定です。世界は永久に続くというもので、もし終わりがあるとしても何億年も先のこととされます。太陽がエネルギーを失い、大膨張し、太陽系そのものが消滅するとされたときとか、宇宙そのものが消滅するときです。

 

もうひとつは終わりのときは間もないとか、あるいは何年何月まで計算され、その日が近いというものです。聖書のあちこちを引用しながら、終わりのときの接近を叫び、早急の対処を求めます。恐怖心をあおったり、宗教的熱心を促したりします。

 

 確かに、終わりのときはあります。私たちの理性がそのように判断します。この世界には初めがあります。始めのあるものには終わりがあります。私たち自身の人生がそうです。出生があれば死亡があります。罪ある世界では、どのようなものも存在する限り、最初があり、時間と共に古び、そして、失われます。聖書もまた、終わりについて語っています。イエス・キリストがそれを証言してくれています。このマルコ13章もそのひとつです。

 

【最後の審判と希望】

聖書は、終わりのときが単なる存在の終焉に止めません。終わりのときは神のさばきのときでもあります。キリストはこのことについても明言されています。ただ、ここではっきり言わなければならないことは、キリストは終わりについて語られる場合、読者である私たちを恐怖に陥れる意図は決してありません。むしろ、終わりのときはキリストにあるものは終わりのときこそ完全な救いのときとなるのであり、終末は期待して待つ希望の終わりのときなのです。キリストからこのことを学び取りましょう。

 

【神殿の賞賛】

 キリストは神殿を去ろうとされます。そして、キデロンの谷を隔てている、いつも休みを取られるオリーブ山に行かれます。神殿から出て行こうとされたとき、弟子たちは神殿の建物を賞賛します。当時、ヘロデ大王によって新しい神殿の建物が建築中でありました。

 

最初のエルサレムの神殿は、BC958年ごろソロモンによって建てられます。これがエルサレム第一神殿と呼ばれ、その壮大さは当時類を見ないほど壮大で華美を窮めました。多くの装飾がなされ、堅固な建築物でした。ところが、この神殿はBC587年にバビロンによって破壊されてしまいます。その後、BC536年に指導者のゼルバベルの指導下で再建されます〔エズラ6:15〕。

 

これが第二神殿ですが、捕囚となった人々がその厳しい条件下で再建した建物で、再建に多くの民は感激しましたが〔エズラ3:11-13〕実際には、第一神殿に比べて規模も外観も内部装飾も、おそらくみすぼらしいものであると思われます。そして、この神殿はしばしば外国の略奪を経験します。BC169年にはセレコウス朝シリアに、そして、その後またローマに占領されます。

 

こうして第二神殿はかなり破損し、痛んでいました。そこで、ユダヤの王となったヘロデ大王は、自分が外国人であり、ローマと結託して権力を握った手前、その力を誇示するためにも、エルサレム神殿の増築を手がけるようになります。BC20年ごろ着工し、AD64年に完工します。イエス・キリストと弟子たちがエルサレムに上られたときはまだ建築中であったことが分かります。しかし、そのころ工事はかなり進行していて、神殿の建物はすでに出来上がり、工事はおそらく神殿を囲む壁とか、神殿の庭の装飾などに時間がかけられていたのではないかと思われます。弟子たちはすでに出来上がった建物を見て、その壮大さに感嘆します。神殿に用いられた当時のローマの土木・建築技術は最高水準のもので、大きな石がふんだんに使用されていました。弟子たちの大半はガリラヤの出身です。彼らのふるさとの地にはエルサレムの神殿のような大きな施設はなかったでしょう。ヘロデは自身の権力を示すために当時の異教の神殿建築以上に資材を投入したと言われています。弟子たちが驚嘆の声を挙げても不思議ではないほど立派で、多額のお金が使われました。

 

【主は神殿崩壊を預言】

 ところがイエス・キリストはこのヘロデの第三神殿の崩壊を預言されます。弟子たちはそれを聞き、おそらく驚愕したのではないでしょうか。こんな堅固で壮大な建物が壊れてしまうなどということはありえないと思った弟子もいたに違いありません。あまりにも意外なことばを聞いた弟子たちはキリストの言葉にどう考えていいのか全然分からなかったのではないでしょうか。沈黙して、キリストと共にキデロンの谷を通って行きました。キリストはオリーブ山の頂上だと推測できますが、そこに座っておられたとあります。谷を隔てて神殿の建物がよく見えたはずです。

 

【終末のときはいつか?】

そこで4人の弟子たちがやってきます。彼らは恐る恐るやってきたのかもしれません。内容が内容だけに他の弟子たちは尋ねることができなかったのかもしれません。あるいは彼らが他の弟子たちを代表して質問をしているのかもしれません。

 

 弟子たちは、エルサレム神殿の破壊は、単に建物の崩壊だけと認識していたのではないことが分かります。彼らはエルサレム神殿の破壊は終末のときであると受け止めていました。神殿のような、神がそこにいますことが堅く約束されている、ユダヤ人にとっては信仰の拠り所が破壊されるときというのは尋常なことではありません、それはありえない、しかしもし起きればたいへんなことが起きるに違いない、このように考えていたことは明らかです。

 

【終末の到来の兆候は】

 弟子たちは、神殿破壊とは終末の到来と思ったのでしょう。そのときはいつか。そして、その日の到来のしるし、兆候は何か、と問います。この世界の終わりについて緊張しつつ問うたはずです。

 

 キリストは答えられています。13節までに、四つのしるしが語られます。終わりのときの到来、接近を示すしるしはあるのだ。キリストはそのように語られます。

 

【キリストの名を騙るものの登場】

 第一は、キリストの名をかたるものの登場です。彼らは人を惑わします。イエスの名を語り、イエスの名でかたり、教えます。偽ってそうしますので、彼らのことを偽キリストと呼ぶことができます。キリストは救い主、救世主のことです。偽キリストは宗教的な事柄だけではなく、あらゆる領域でも人類の救済を叫びます。独裁者はこの手法を用います。独裁者の言っていることを受け入れることが国家の安泰、国民生活の安定、繁栄を伴うと宣伝されます。独裁者はしばしば救済者であるかのように振る舞います。むろん、宗教界においても救済者はあとを絶ちません。

 

当時、ローマ帝国の支配に対抗し、その転覆をはかるものがメシヤを自称したことが知られています。偽キリストは何度も現れては消え、また現れてきます。

 

【戦争、地震、飢饉】

第二は、戦争、地震、飢饉です。戦争のうわさはいつも叫ばれます。21世紀になっても戦争はやみません。それどころか、かたちを変えた戦争が増えています。国、特に、民族と民族の戦争は、ついに世界大戦にまで発展します。国際的な戦争だけではなく、国内では民族紛争が絶えません。

 

飢饉は、未だに収束することはありません。一方では飽食があり、他方では何万人もの人たちが栄養失調になり、餓死するものさえあります。このような災害は地震のような自然災害、そして人間が作り出す人災とその数その種類は数え上げることもできません。人間の科学的知識や技術は進歩しましたが、悲劇は繰り返されています。

 

【迫害】

第三は迫害です。キリストの弟子たちは、その信仰のゆえに迫害を受けます。キリストがここに上げられているのは当時の裁判の手順です。宗教的な犯罪も含め、まず訴えられたものは地方の裁判所に連れて行かれます。それに付随して、ユダヤ人の会堂で取調べを受けます、取調べといっても拷問に他なりません。そして、さらに上級の裁判は地域の支配者によって行われます。信仰のゆえにキリスト者はどの時代でも裁判を受けたり、取調べを受けたり、そして投獄され、処刑されました。

 

【家族の離反】

第四は、家族の離反、争い、そして、命を奪われることも珍しくありません。

 

以上のようなことが終わりのときのしるし、兆候だとキリストは言われますが、ここで考えてみると、これらは特別な現象、出来事でありません。終わりは必ず来ます。そのしるしは何か。特別な不思議な現象が起きると思いがちです。ところがキリストが言われているしるしは常に、あらゆるところで起きている事件に過ぎません。つまり、終わりのときのしるしだとすぐに見分けられるようなしるしではなく、その兆候はいつどこにでも起きている事件なのです。

 

 するとどうなのでしょうか。私たちは終わりの日の到来をどうすれば予測できるのでしょうか。特別明瞭なしるしでなければどうすればいいのでしょうか。

 

【いつ、その日が来てもいいように備えをすること】

 わたしにできることはいつその日が来てもいいように備えをすることです。終わりに日に備えて準備をすることです。ではどういう準備をするのか。キリストは迫害が拡大する、それは福音が地の果てまで宣教されることであり、その宣教が終わるまで終わりの日は来ないと言われます。宣教は福音の宣教にほかなりません。

 

【救いの完成のとき】

神の救いの恵みがあまねくすべての人に伝えられるとき、そこに救いが宣言されます。これは終わりの日の到来を示すのであれば、終わりの日は悲劇的な苛酷な時の到来ではなく救いの完成のときとなります。福音が宣教され、信じるものが満たされるときこそが終わりのときですから。その日の到来は信じるものには神の大いなる御業を経験するときとなります。さらに、最後まで忍耐するものは救われると約束されます。それまでの間は大きな困難に見舞われます。耐えがたい苦痛と苦悩を経験するでしょう。しかし、その期間が終われば救いは完成します。備えをするとはこの希望を持って忍耐することに他なりません。終わりの日は恐るべき、そんな日が来たら困るという日ではありません。むしろ、その逆なのです。私たちには終わりのときは救いの完成のときであり、待ち遠しく思われる日なのです。(おわり)



2016年01月17日 | カテゴリー: マルコによる福音書

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