2015年3月22日説教「正しく聖なる人ヨハネ」金田幸男牧師

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説教「正しく聖なる人ヨハネ」

聖書 マルコ6章14-29

 

要旨

【人々はわたしを何者だと言っているか】

 イエス・キリストの宣教地は拡大して行きます。当然、そのイエスについてのうわさも広がって行きます。ガリラヤを治めていたヘロデの耳にうわさが伝わりました。ここではヘロデ王とありますが、正確には四分の一領主というべきで、父ヘロデ大王の治めていた領域の四分の一にあたる、ガリラヤとペレヤ地方を治めていた、ヘロデ・アンティパスのことです。

 

彼の耳に「洗礼者ヨハネがよみがえった」という風評も伝わっていました。その他、「彼はエリヤだ」という声もありました。また、昔の、つまり旧約時代の預言者のような預言者」だという人もありました。

 

マルコ8章27-29では、イエス・キリストが「人々はわたしを何者だと言っているか」と問われています。キリストは弟子たちを訓練されますが、弟子たちがキリストを宣教するに当たって、イエスとは誰かということが重要になってきていました。そのような背景の中で、弟子たちもイエスとは誰かという問題を突きつけられます。マルコはヨハネのことを記しますが、その目的は、イエスとは誰ではないのか、に答を見い出そうとしていると言えます。

 

【イエスはエリヤの再来か、否】

イエスはエリヤか。イエス・キリストの時代、エリヤが再来するという信仰が存在していました。マラキ3章23に「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤを遣わす」とあり、死ぬことなく火の車に乗って天に昇ったエリヤ(列王記下2:11)は再度地上に下って来ると信じられていました。しかし、キリストはマタイ17章10-12で、洗礼者ヨハネこそがエリヤだと明らかにされています。

 

【イエスはモーセの再来か、否】

また、イエスは旧約の預言者の一人であるという評判も流されていました。主なる神は申命記18:15で「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける」と言われました。モーセのような預言者であって、単なる旧約の預言者の一人ではありませんでした。申命記34:10で「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現われなかった」とあり、イエス・キリストはかつての旧約の預言者と同じような預言者ではありません。となるとイエス・キリストはそれ以上の預言者でした。人々のうわさにあるような預言者ではなく、それ以上の預言者に他なりません。

 

【イエスは洗礼者ヨハネの再来か、否】

イエスはよみがえったヨハネだと言われていました。そのとき、ヨハネは死んでいました。ヨハネは確かに死んでいて復活したのではない。マルコはこれを証言しようとしています。

 

洗礼者ヨハネは逮捕され、投獄され、その上殺害されていました。それを実行したのがヘロデ・アンティパスでした。ヘロデ・アンティパスは紀元前4年から39年までその地位にありました。父親の領地の四分の一しか相続できなかったことは不本意と感じていました。この人物は狡猾、小心、放縦、迷信家として知られ、イエス・キリストも「狐」と呼んでいます(ルカ13:32)。

 

【フィリポの妻であったヘロディア】

何故、ヘロデはヨハネを捕らえ、投獄したのか。ヨハネはヘロデの私生活を攻撃しました。ヘロデはもともと隣国ナバテヤ王国のアレタ4世の娘と政略結婚をしていました。ところが、ヘロデは兄弟フィリポの妻であったヘロディアと結婚します。ヘロディアはヘロデの姪にあたります。その結婚は律法に反するものでした。フィリポはまだ生存中でした。レビ記18:16で、まだ生存している兄弟の妻との結婚は不法とされています。当時の王族のあいだではこのような乱婚もありふれたことではありましたが、ユダの民の中では行われるべきではない悪だと、ヨハネは叫んだのでした。ヨハネの立場からすればその統治者の行動は許されない不品行と思われたのでした。

 

ヘロデはむろん個人攻撃として受け止め、激怒したことでしょう。ただそこに留まりません。ヘロデの統治していたペレヤとナバテヤ王国は国境を接し、両国は必ずしも平和な状態ではありませんでした。ヘロデはそのナバテヤ王の娘を離縁してしまったのです。ナバテヤ王はヘロデを敵とみなし、事実、30年に兵を送りヘロデの軍隊を敗北させています。ヘロデは宗主国であったローマから信用をなくし、のちにローマに召還され、流刑となり、そこで亡くなってしまいます(39年)。

 

ヨハネは民衆に影響力のある人物でした。その声に民衆が動かされえるようなことがあれば、ペレヤで不平分子の反乱がおきかねません。ヘロデはそのような事態に陥らない前に予防手段を講じたのです。それがヨハネの逮捕であったのでした。ヨハネの逮捕はこのような政治的意図からなされたことです。

 

ヨハネは支配者の不道徳な行為を非難し、ヘロデがそれに不興をおぼえたというのは事実だと思います。イスラエルでは預言者はしばしば政治的影響力を振るったものでした。その口を封じることは自然な政治的判断でした。

 

と同時に、ヘロデはすぐにヨハネを処刑することができませんでした。ヨハネは正しい聖なる人であったとヘロデ自身認めざるを得なかったのです。ヘロデはヨハネの語る言葉に恐れを抱きました。良心の咎めを感じたからかもしれません。ヨハネの説教を聞く機会もあったことだろうと思います。そのたびにヨハネが語るところに一理があると思い、全く否定することができなくなってしまったのです。むろん、ヘロデはヨハネの背後に民衆の心情を忘れることができませんでした。ヨハネを支持する人々が多かったのです。

 

【ヘロデの妻へロディア】

このような理由からもヘロデはヨハネをすぐに処置してしまえなかったのです。ところがヘロデの妻へロディアは違っていました。激しくヨハネを憎みました。私生活への批判を直情的に受け止め、彼女に対する侮辱であると逆恨みをしたものです。彼女はヨハネを何とかしたいと思います。機会を狙っていたのですが、ついにその折がやってきます。ヘロデは自分の誕生日の祝宴を開催します。当時の上流階級は何かにつけて宴会を催し、ご馳走を食べ、酒宴となりました。そこには多くの軍や政府の指導者たちが招待されます。

 

宴も盛り上がってきたとき、ヘロディアの娘がみんなの前で踊ります。身分の高い娘が人前で踊ることもめったになく、またその踊りは淫らな踊りであったとされています。ヘロディアの娘は別の文献では、その名はサロメとされています。サロメが人前で踊ったと言うことは余りありえませんが、ヘロデ。あるいはヘロディアの宮廷の場合、さもありなんと思われるほどその道徳性は失われていたと想像できます。それほどまで堕落していたと言えます。

 

【サロメ、ヨハネの首を所望】

その踊りは絶賛を博します。酔いもあったと思いますが、ヘロデはサロメに好きなものは何でも与えると約束をしてしまいます。国の半分でも与えると言うのは大袈裟すぎますけれども、ヘロデは大きく出過ぎました。サロメはさっそく母親のところに行きます。ヘロディヤは娘にヨハネの首を所望させます。ヘロデは口に出した手前引っ込めることができなくなります。ヘロディヤはヨハネの首をすぐにもらいたい。それを盆の上に乗せてもってきて欲しいと要求します。この一連の成り行きはヘロディアのとっさの思いとは思えません。彼女の胸に仕舞いこんでいたものと思います。機会があれば実行しようと決意してきたものです。

 

このようにしてヨハネは命を失ってしまいます。ヘロデのしたことはローマの法律にも違反しています。ヘロデの国はローマの属国に過ぎません。ローマ政府の許しなく、処刑することはできません。ここではそのような手続きが取られたと思われません。ヘロデは即刻獄の中で死刑を執行します。ヘロデは人倫に反しています。いくら酔った上のことでもこのような行為は許されないものでした。ところがヘロデは人々の目を気にして、やってはならないことをしています。ヘロディアの要求を退けるべきでした。しかし、彼は、ことの重大性など構っていません。

 

このようにして、ヨハネは死にます。ヨハネは死んだのです。ヘロデが恐れたように、イエス・キリストはヨハネが生き返って再来したのではありません。ヨハネは確実に死んだのです。そして墓に収められました。弟子たちはそのようにしたのです。

 

イエス・キリストに対するうわさはどれも正しくありません。キリストは一体誰かと言う問いに答えるならば、イエスはメシヤ・キリストであると答えるべきです。弟子たちもそれに気がつくべきなのです。

 

イエスとはキリスト。油注がれたメシヤ、救い主と言う告白こそ正しい告白なのです。イエスとは誰か。油注がれた救い主なのです。

 

【イエス・キリストの受難】

何故マルコは克明にヨハネの死を記録しているのでしょうか。理由がるはずです。ここには洗礼者ヨハネ受難の物語が記されます。ヨハネはイエス・キリストの先駆者でした。ヨハネは呼ばわるものの声であり、その道をまっすぐにする備えのものです(マルコ1:2)。ヨハネはキリストに先立っていき、キリストを指し示します。ヨハネは受難を経験します。政治犯として逮捕され、言われなく、不条理の中で殺されます。不当な扱いを受けて死にました。

 

このような受難は、ヨハネに後続してくるものが誰であるかを示しています。実際キリストの政治犯として、つまりローマに対する反逆者として処刑されます。ピラトはキリストに罪がないと認定しながら、ローマに対する政治犯が受ける十字架刑に処せられてしまいます。キリストも受難を受けました。イエスとは誰か。生ける神の子、メシヤです。しかし、このメシヤは苦難を忍ばなければならない救い主でした。

 

ヨハネの場合、遺体は弟子たちに引き取られ、葬られます。ところがイエス・キリストの場合、弟子たちは逃亡し、イエスの遺体を引き取ったのはアリマタヤのヨセフという人物でした。この相違はキリストの死の悲惨さを倍加します。ただ、キリストの苦難のゆえに大きな神のわざがなされます。キリストの苦難は私たちに変わる苦難です。キリストは十字架につけられ死なれました。それによって私たちも共にしに、キリストの復活によって共に生かされます。(おわり)

 

 

 

2015年03月23日 | カテゴリー: マルコによる福音書

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