2015年3月

2015年3月29日説教「5000人給食の奇跡」金田幸男牧師

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説教「5000人の給食の奇跡」

聖書 マルコ6章30-44

 

要旨

【5000人を5つのパン、2匹の魚で食べさせた奇跡】

 5000人以上の人々を、5つのパン、2匹の魚で食べさせた奇跡が記されています。30-33節はこの奇跡の記事の導入部に当たります。

 

 30節に「使徒」がキリストの元に集められたとありますが、「使徒」はキリストの昇天後、教会に聖霊が下り、教会が宣教活動を開始してから教会を指導する人たちに当てはめられる呼称で。キリストが十字架に上げられるまで「使徒」という表現はふさわしくありませんが、「使徒」とは遣わされたものを意味しますし、また、弟子たちは、宣教、悪霊の追放、癒しをキリストの代理として行なっていますので、まさしく、「使徒」として働いていたことになります。

 

【弟子たちの休息を求めて】

 キリストがこの弟子たちを集められたのは、彼らが教えたことを確かめ、その働きをひとつひとつチェックするためでした。その上で、キリストは彼らを休ませようとされます。そのために人里離れたところを選ばれます。荒野といってもよいのです。荒野というと索漠荒涼とした砂漠を想起しますが、まったく人が寄り付けないようなところではなく、むしろ、人が住んでいないところと理解すべきです。キリストはそこでしばらく静寂のうちに精神的な休息を取るようにされたのです。弟子たちは疲労困憊でした。からだも心も休まなければならないのです。

 

【群衆の先回り】

 キリストはこのように弟子たちのことを配慮されるのですが、そのキリストの計画を群衆が妨害するかのようです。キリスト一行は船で対岸に行こうとされたに違いありません。するとガリラヤ湖の北東岸という想像が可能です。そこは余り人が住んでいない地域です。ところが向かい風のために船足が遅かったのかもしれません。群衆のほうが先に着いてしまいます。キリストの向かう先が湖の北東岸であれば、群衆はヨルダン川を渡らなければならなかったはずです。39節に奇跡が行われたのは青草の生えているときとあります。これが冬の終わりか早春を意味しています。そのころ雨が降ります。降雨量の少ない地域ですが、この時期はかなりの雨が降ります。おそらくヨルダン川は増水していたはずですが、群衆は歩いて渡ってきたと想像できます。それほどイエス・キリストのところへ急いだということになります。

 

【飼うもののない羊のように】

 しかし、キリストの当面の思いは弟子たちを休ませるところにありました。その意図を妨げるかのような群衆の行動です。キリストはこの群衆を近づけないようにすることもできました。どちらを優先すべきかといえば、弟子たちを休ませて再度派遣するほうが先だと考えても不思議ではありませんし、間違っていません。つまり、奇跡が行われる予定ではなかったはずです。群集というものは得て勝手な存在と見えることもあります。大切なキリストの目論見を蔑ろにする面倒な存在と思われます。

 

【荒野とは】

 キリストはこの群衆を遠ざけてしまうようなことをされませんでした。キリストは群衆を見て、飼うもののない羊のように思われたとあります。この場面は、旧約聖書を思い起こさせます。まず、荒野に多くの群衆が助けを求めてやって来ています。モーセは奴隷状態にあるイスラエルを救出するために指導者として立つのですが、最初彼は民衆を荒野に導いていきます。荒野は荒涼たる砂漠も含みますが、イスラエルが40年間さ迷ったところはまったくの不毛の地ではなく、家畜を飼いながら、イスラエルはカナンに入る準備をしたのです。荒野はエレミヤ31章2で言われているように「主はこう言われる。民の中で剣を免れた者は荒野で恵みを受ける」、またイザヤ63章12「主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが、彼らは荒野を行く馬のように躓くことはない」とあって、イスラエルにとって神の救いへの道でした。しかし、キリストの目には、荒野の群衆は飼うものがなく、野獣が狙っていたのです。神の民が羊飼いのいない羊(民数記27:17)のようになっています。それは哀れな場面でした。

 

【弟子たちを試されるキリスト】

 キリストはこの群衆を教えられます。病人の癒しなどのことが書かれてありませんが、キリストは群衆の求めに応えられたはずです。ところが時間が過ぎ夕方になってしまいます。これまでの弟子たちの思いは記されていませんが想像はできます。彼らは休息を取るために船に乗ってここまできたのです。ところが群衆が大挙してやってきたためにその計画は潰えます。夕方になりました。弟子たちにしてみれば一刻も早く群衆を解散させたかったに違いありません。彼ら自身がはやく休みたかったと思います。

 

 キリストはそのような弟子たちの心を見抜いていたはずです。以下に記されるキリストの言動は明らかに弟子たちを試すものです。

 

 キリストは先ず弟子たちに「あなた方が群衆の食事の用意をしなさい」と言われます。5000人は成人男子で、その他に彼らの家族もいたはずですから1万人近い人数がそこにいたはずです。弟子たちはすぐに計算をしたはずです。この人数を食べさせるために、200デナリオンものお金が必要だと思いました。よく知られているように、1デナリは当時労働者1日分の賃金でした。200デナリオンを現代の金額に換算すると、おそらく100万円から200万円近い額になると思います。

 

弟子たちがそんな大金を持っていたかどうか分かりませんが、それにしても大金です。群衆を食べさせることなど不可能と考えて当然です。どこにそんなお金があるか。これが正直、弟子たちの感想ではなかったかと思います。

 

 イエス・キリストは食べ物がどれくらいあるかと尋ねられます。弟子たちにとってそれは彼らの食事の分であったと考えられます。彼らは空腹でした。ところが、休みは取れない、なけなしの食物も拠出されそうになっています。でも、こんな少ない食料でどうして大群衆を食べさせることができるか。弟子たちはそう思い、内心腹を立てていたかもしれません。

 

 弟子たちの持ってきた食料だけでは到底群衆を養うことができません。僅かのパンくずだけが割り当てられるに過ぎません。考えてみればそれも不可能なことかもしれません。

 

【5000人給食の奇跡】

 5000人給食の奇跡が行われます。ここにはその奇跡の具体的な経過は何も記されていません。福音書は奇跡がどのようにして実施されたかを詳しく語りません。なぜなら、聖書は奇跡の行い方を書いてはいないからです。ただ、キリストは、食べ物を取り、天を仰いで祈りをささげています。これはおそらくユダヤの食前の感謝の祈りであったと思われます。その祈祷は、神を創造主として呼びかけることから始まります。食べ物は天と地をその中にあるすべてのものを創造された方からきます。

 5000人以上の人々が食べます、しかも、満腹しただけではなく余りも出ます。この奇跡は、洗礼者ヨハネを殺害するきっかけを作ったヘロデ・アンテロパスの祝宴と対照的です。ローマ人上流階級の食事、宴会は豪華なもので、食べきれないご馳走が並びます。

 

この宴とキリストの5000人の給食は対照的です。一方は食べきれない食事が並び、贅を究め、美食の限りを尽くします。対照的にキリストの給食はパンと魚だけです。質素といえばそのとおりです。しかし、ここには奇跡が行われています。ヘロデの祝宴では醜悪な計画が実行されました(洗礼者ヨハネの殺害)。

 

 5000人給食の奇跡はたいていの人にとっては信じがたいと思われるのに違いありません。少量の食料でそんなに多くの人の腹を満たせるわけがない。

 

【奇跡に合理的解釈は要らない】

 そこでいろいろな合理的解釈が行われてきました。ある人は、これはイエスが一種の暗示をかけた。そこにいた人はイエスの話を聞いて精神的にその気になった、つまり食べた気になったのだと考えるのです。ある人は、残りのパンを入れた袋は携帯用の子袋で、そこにはもともと食べ物が入っていた。それをみんなで分け合ったのだといいます。ユダヤ人は異邦人と一緒に食事をするのを嫌いました。異邦人は汚れた動物の肉を食べます。彼らと同席すると汚れに巻き込まれるとして、食事には自分の分を持参していたのです。

 

 このような合理的解釈では私たちは何も心は満たされません。洗礼者ヨハネの死はキリストの受難の予告であったように、ここに記されている奇跡はキリストの復活の前触れと見てもよいのだと思います。

 

【キリストは命のパン】

 パンはそれなしに生きていけません。生きていくうえでパンは必要不可欠です。いのちを維持し、支えます。そのいのちのパンをキリストは準備されました。キリストは大群衆をただ食べさせただけではありません。そこに彼らにとっていのちを与える力を持っている方としてご自身を示しておられます。

 

 キリストは死を打ち倒された方です。死人の中から三日目によみがえられました。聖書はこのキリストの復活の証人たちの証言集と言っても過言ではありません。キリストはよみがえられました。

 

【キリストの復活】

その証人たちが地の果てまでキリストの復活を証しし続けました。多くの人たちはキリストの復活など信じられないといいます。そのとおりです。常識では考えられないことです。しかし、キリストは事実よみがえられました。もし、キリストがよみがえったのであればキリストこそいのちの主です。そのいのちを、キリストは信じるものに約束されています。キリストが5000人もの人々にパンを提供されたとしたら、信じるものには確実に、もはや死ぬことのないいのちの息、いのちのパンであるみことばを約束してくださると信じて疑いません。(おわり)

2015年03月29日 | カテゴリー: マルコによる福音書

2015年3月22日説教「正しく聖なる人ヨハネ」金田幸男牧師

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説教「正しく聖なる人ヨハネ」

聖書 マルコ6章14-29

 

要旨

【人々はわたしを何者だと言っているか】

 イエス・キリストの宣教地は拡大して行きます。当然、そのイエスについてのうわさも広がって行きます。ガリラヤを治めていたヘロデの耳にうわさが伝わりました。ここではヘロデ王とありますが、正確には四分の一領主というべきで、父ヘロデ大王の治めていた領域の四分の一にあたる、ガリラヤとペレヤ地方を治めていた、ヘロデ・アンティパスのことです。

 

彼の耳に「洗礼者ヨハネがよみがえった」という風評も伝わっていました。その他、「彼はエリヤだ」という声もありました。また、昔の、つまり旧約時代の預言者のような預言者」だという人もありました。

 

マルコ8章27-29では、イエス・キリストが「人々はわたしを何者だと言っているか」と問われています。キリストは弟子たちを訓練されますが、弟子たちがキリストを宣教するに当たって、イエスとは誰かということが重要になってきていました。そのような背景の中で、弟子たちもイエスとは誰かという問題を突きつけられます。マルコはヨハネのことを記しますが、その目的は、イエスとは誰ではないのか、に答を見い出そうとしていると言えます。

 

【イエスはエリヤの再来か、否】

イエスはエリヤか。イエス・キリストの時代、エリヤが再来するという信仰が存在していました。マラキ3章23に「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤを遣わす」とあり、死ぬことなく火の車に乗って天に昇ったエリヤ(列王記下2:11)は再度地上に下って来ると信じられていました。しかし、キリストはマタイ17章10-12で、洗礼者ヨハネこそがエリヤだと明らかにされています。

 

【イエスはモーセの再来か、否】

また、イエスは旧約の預言者の一人であるという評判も流されていました。主なる神は申命記18:15で「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける」と言われました。モーセのような預言者であって、単なる旧約の預言者の一人ではありませんでした。申命記34:10で「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現われなかった」とあり、イエス・キリストはかつての旧約の預言者と同じような預言者ではありません。となるとイエス・キリストはそれ以上の預言者でした。人々のうわさにあるような預言者ではなく、それ以上の預言者に他なりません。

 

【イエスは洗礼者ヨハネの再来か、否】

イエスはよみがえったヨハネだと言われていました。そのとき、ヨハネは死んでいました。ヨハネは確かに死んでいて復活したのではない。マルコはこれを証言しようとしています。

 

洗礼者ヨハネは逮捕され、投獄され、その上殺害されていました。それを実行したのがヘロデ・アンティパスでした。ヘロデ・アンティパスは紀元前4年から39年までその地位にありました。父親の領地の四分の一しか相続できなかったことは不本意と感じていました。この人物は狡猾、小心、放縦、迷信家として知られ、イエス・キリストも「狐」と呼んでいます(ルカ13:32)。

 

【フィリポの妻であったヘロディア】

何故、ヘロデはヨハネを捕らえ、投獄したのか。ヨハネはヘロデの私生活を攻撃しました。ヘロデはもともと隣国ナバテヤ王国のアレタ4世の娘と政略結婚をしていました。ところが、ヘロデは兄弟フィリポの妻であったヘロディアと結婚します。ヘロディアはヘロデの姪にあたります。その結婚は律法に反するものでした。フィリポはまだ生存中でした。レビ記18:16で、まだ生存している兄弟の妻との結婚は不法とされています。当時の王族のあいだではこのような乱婚もありふれたことではありましたが、ユダの民の中では行われるべきではない悪だと、ヨハネは叫んだのでした。ヨハネの立場からすればその統治者の行動は許されない不品行と思われたのでした。

 

ヘロデはむろん個人攻撃として受け止め、激怒したことでしょう。ただそこに留まりません。ヘロデの統治していたペレヤとナバテヤ王国は国境を接し、両国は必ずしも平和な状態ではありませんでした。ヘロデはそのナバテヤ王の娘を離縁してしまったのです。ナバテヤ王はヘロデを敵とみなし、事実、30年に兵を送りヘロデの軍隊を敗北させています。ヘロデは宗主国であったローマから信用をなくし、のちにローマに召還され、流刑となり、そこで亡くなってしまいます(39年)。

 

ヨハネは民衆に影響力のある人物でした。その声に民衆が動かされえるようなことがあれば、ペレヤで不平分子の反乱がおきかねません。ヘロデはそのような事態に陥らない前に予防手段を講じたのです。それがヨハネの逮捕であったのでした。ヨハネの逮捕はこのような政治的意図からなされたことです。

 

ヨハネは支配者の不道徳な行為を非難し、ヘロデがそれに不興をおぼえたというのは事実だと思います。イスラエルでは預言者はしばしば政治的影響力を振るったものでした。その口を封じることは自然な政治的判断でした。

 

と同時に、ヘロデはすぐにヨハネを処刑することができませんでした。ヨハネは正しい聖なる人であったとヘロデ自身認めざるを得なかったのです。ヘロデはヨハネの語る言葉に恐れを抱きました。良心の咎めを感じたからかもしれません。ヨハネの説教を聞く機会もあったことだろうと思います。そのたびにヨハネが語るところに一理があると思い、全く否定することができなくなってしまったのです。むろん、ヘロデはヨハネの背後に民衆の心情を忘れることができませんでした。ヨハネを支持する人々が多かったのです。

 

【ヘロデの妻へロディア】

このような理由からもヘロデはヨハネをすぐに処置してしまえなかったのです。ところがヘロデの妻へロディアは違っていました。激しくヨハネを憎みました。私生活への批判を直情的に受け止め、彼女に対する侮辱であると逆恨みをしたものです。彼女はヨハネを何とかしたいと思います。機会を狙っていたのですが、ついにその折がやってきます。ヘロデは自分の誕生日の祝宴を開催します。当時の上流階級は何かにつけて宴会を催し、ご馳走を食べ、酒宴となりました。そこには多くの軍や政府の指導者たちが招待されます。

 

宴も盛り上がってきたとき、ヘロディアの娘がみんなの前で踊ります。身分の高い娘が人前で踊ることもめったになく、またその踊りは淫らな踊りであったとされています。ヘロディアの娘は別の文献では、その名はサロメとされています。サロメが人前で踊ったと言うことは余りありえませんが、ヘロデ。あるいはヘロディアの宮廷の場合、さもありなんと思われるほどその道徳性は失われていたと想像できます。それほどまで堕落していたと言えます。

 

【サロメ、ヨハネの首を所望】

その踊りは絶賛を博します。酔いもあったと思いますが、ヘロデはサロメに好きなものは何でも与えると約束をしてしまいます。国の半分でも与えると言うのは大袈裟すぎますけれども、ヘロデは大きく出過ぎました。サロメはさっそく母親のところに行きます。ヘロディヤは娘にヨハネの首を所望させます。ヘロデは口に出した手前引っ込めることができなくなります。ヘロディヤはヨハネの首をすぐにもらいたい。それを盆の上に乗せてもってきて欲しいと要求します。この一連の成り行きはヘロディアのとっさの思いとは思えません。彼女の胸に仕舞いこんでいたものと思います。機会があれば実行しようと決意してきたものです。

 

このようにしてヨハネは命を失ってしまいます。ヘロデのしたことはローマの法律にも違反しています。ヘロデの国はローマの属国に過ぎません。ローマ政府の許しなく、処刑することはできません。ここではそのような手続きが取られたと思われません。ヘロデは即刻獄の中で死刑を執行します。ヘロデは人倫に反しています。いくら酔った上のことでもこのような行為は許されないものでした。ところがヘロデは人々の目を気にして、やってはならないことをしています。ヘロディアの要求を退けるべきでした。しかし、彼は、ことの重大性など構っていません。

 

このようにして、ヨハネは死にます。ヨハネは死んだのです。ヘロデが恐れたように、イエス・キリストはヨハネが生き返って再来したのではありません。ヨハネは確実に死んだのです。そして墓に収められました。弟子たちはそのようにしたのです。

 

イエス・キリストに対するうわさはどれも正しくありません。キリストは一体誰かと言う問いに答えるならば、イエスはメシヤ・キリストであると答えるべきです。弟子たちもそれに気がつくべきなのです。

 

イエスとはキリスト。油注がれたメシヤ、救い主と言う告白こそ正しい告白なのです。イエスとは誰か。油注がれた救い主なのです。

 

【イエス・キリストの受難】

何故マルコは克明にヨハネの死を記録しているのでしょうか。理由がるはずです。ここには洗礼者ヨハネ受難の物語が記されます。ヨハネはイエス・キリストの先駆者でした。ヨハネは呼ばわるものの声であり、その道をまっすぐにする備えのものです(マルコ1:2)。ヨハネはキリストに先立っていき、キリストを指し示します。ヨハネは受難を経験します。政治犯として逮捕され、言われなく、不条理の中で殺されます。不当な扱いを受けて死にました。

 

このような受難は、ヨハネに後続してくるものが誰であるかを示しています。実際キリストの政治犯として、つまりローマに対する反逆者として処刑されます。ピラトはキリストに罪がないと認定しながら、ローマに対する政治犯が受ける十字架刑に処せられてしまいます。キリストも受難を受けました。イエスとは誰か。生ける神の子、メシヤです。しかし、このメシヤは苦難を忍ばなければならない救い主でした。

 

ヨハネの場合、遺体は弟子たちに引き取られ、葬られます。ところがイエス・キリストの場合、弟子たちは逃亡し、イエスの遺体を引き取ったのはアリマタヤのヨセフという人物でした。この相違はキリストの死の悲惨さを倍加します。ただ、キリストの苦難のゆえに大きな神のわざがなされます。キリストの苦難は私たちに変わる苦難です。キリストは十字架につけられ死なれました。それによって私たちも共にしに、キリストの復活によって共に生かされます。(おわり)

 

 

 

2015年03月23日 | カテゴリー: マルコによる福音書

2015年3月15日説教「何も持たないでいく」金田幸男牧師

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2015年3月15日説教「何一つ持たないで」金田幸男牧師

聖書:マルコによる福音書6章6(後半)それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。

7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。

10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。

11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」

12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。13 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。

 

要旨  

【それから・・】

冒頭の6節後半が、6:1-6にかかるのか、7-13にかかるのかという問題があります。前にかかるとすれば、1-6に記されていたのは、イエスの育った町ナザレの人々がイエス・キリストを受け入れなかったということで、その場合、6節の後半の意味は、ナザレでキリストが拒否された結果、そこを去ってナザレ近辺の村々で福音を宣教したということになります。

 

7-13節にかかるとすれば、6節後半は、キリストが伝道範囲を拡大し、そのために人手が不足するようになった原因を記します。こうして、今まで訓練してきた弟子たちを、各地に派遣することになったという意味で取ることができます。

 

どちらが相応しいか。新共同訳は明らかに6節後半は7-13と関係すると解釈していますし、これが穏当だと思います。キリストはガリラヤ地方での伝道の範囲を拡大して行かれます。キリストの教えを受け入れる人が多くなってきます。キリストの伝道は同心円的に拡大していき、ついに地の果てまで拡大していきます。

 

【弟子訓練】

キリストは12人の弟子を選ばれました(マルコ1:13-19)。弟子たちはすぐには各地に派遣されません。その前に訓練する必要がありました。その訓練方法は、実地訓練というべきやり方です。キリストは単にどこかの教室で学ばせるというやり方ではなく、実際に会堂やその他の場所で民衆に教えられますが、弟子たちはそれを聞かされます。譬えで語り、その意味を弟子たちには明らかにされました。

 

また、嵐を静め、悪霊を追い出し、病人を癒されました。弟子たちはそれを目撃しました。キリストは弟子たちをこのようにして訓練されたのです。訓練期間がどれくらいであったか分かりません。そんなに長期ではなかったことだけは確かです。キリストの弟子訓練は何十年もかけて行われず、むしろ短期間であったと思われます。しかし、きわめて効果的な訓練であったことは確かです。

 

弟子訓練は時間の長さではなく、実際にキリストが何を語り、実際に何をしたかにかかっています。キリストがなさったことを体験すること、それが弟子訓練の最も重要な部分でありました。私たちも頭でなく、実際にキリストが語られ、弟子たちはキリストの働きを証言しているところに立たなければなりません。

 

【二人一組で派遣】

キリストは弟子たちを派遣するに当たって、二人を組にして派遣されます。一人ではなく、二人を宣教に遣わされます。

ひとりでは孤立します。孤立はキリスト者にとっては大きな試練となります。一人で知らない土地に派遣され、そこで伝道しろといわれても怖気づくものです。何も知らない町で伝道するとなると、もうひとり同志がいることは大きな励ましになります。励ましあい、支えあうことは伝道に必要です。もっとも、相互監視としても機能することを否定できません。そのように弟子として振舞わなければならないとしたら悲劇です。

 

【二人以上の証言】

しかし、二人組にしての派遣は別の目的があったと考えるべきです。申命記19:15-19では、裁判のとき、二人以上の証言は確固とした証拠能力があると見なされていました。今日では物証のほうが優先されます。現場に残された遺留品は証拠能力があるとされます。

今日では、目撃証言は物証以上に評価されません。しかし、古代世界では、二人以上の証言があれば、その裁判を左右する有力な証拠とされます。これは今日の時代の流れにそぐわないと受けとめられています。キリストが二人を組にして派遣されたのはその語ることが真実であると思わせるためでした。弟子たちはキリストの説教を聞き、奇跡を目撃しました。その目的の真実さを受け入れるようになるために二人組にして派遣されたのです。

 

キリストの弟子たちの語ることは真実です。私たちはここからキリスト教宣教の真実を知らされます。誰かの発明ではなく、何か教えを改変してしまったのではなく、キリストの弟子たちはキリストこそ多いなるみ業を行う神ご自身であることを証言しています。弟子たちは単にキリスト教団を拡大するために派遣されるのではありません。我々は見た、ということを宣言するために派遣されたのです。

 

【権能を移譲】

 キリストは弟子たちを派遣するために権能を委ねられます。権能とは力を伴います。人を派遣するとき、権能を与えなければその働きは効果を発揮できません。タイトルだけ与えて実際の権能を与えなければその人は何もできません。権能が委ねられることもないような派遣はありえません。

 

【悪霊を追い出す権能】

この権能は悪霊を追い出す権能でした。権能はこの世界の権能ではなく、霊的勝利をもたらすための権能でした。弟子たちはこの権能を委ねられ、実際、13節にあるように、その権能の行使を実行しています。

 

 キリストは権能を授けますが、それは派遣するものがキリストの代理者であることを示します。弟子たちがしたことは12-13節に記されますが、彼らは悔い改めを宣教し、悪霊を追放し、病人を癒します。これはキリストがなさったことです。弟子たちのすべきことは、キリストがなさったことと同じです。弟子たちはこの範囲からはみ出すことを許されません。

 

【派遣のための訓示】

キリストは弟子を派遣するために訓示を与えます。先ず、杖を1本持て。マタイ10:10では杖を持たないようにと命じられています。どちらが正しいのか。どちらと決めることは困難です。歩行のために杖があると楽です。急な坂を登ったりくだったりするとき杖を持っていると助かります。弟子たちは険しい道も行かなければなりません。杖は必需品とされます。しかし、杖は武器ともなります。マタイが記すように、キリストは弟子たちに杖の持参も禁じられたとすると、無防備であることを奨励しているということにもなります。古代のユダヤの社会ではそれはとても危険なこととされます。強盗や山賊が跋扈する社会では旅行者は杖を必要としますが、キリストはあえて無防備で伝道しろといわれているかのように受け止める人もいます。そのために勇気が求められます。キリストは単純な無抵抗を奨励しているのではありません。キリストは杖だけを持参することを認められたと理解していいのだと思います。

 

パンは腐りにくく乾燥させます。そのように処理された食料は旅行を実行するために必要です。長い距離を行くとき、途中で宿泊施設を見い出すのは困難でした。そのパンを持つな。その日の食事のことでアクセク考えるなという意味です。パンはどころか何一つ食べる機会を失してしまうことにもなります。

お金は小額の貨幣を指しています。僅かのお金もなく、無一物で旅行をしなさいとは無茶な話です。大金ならいざ知らず、僅かのお金も持たないで伝道する。無茶な話です。

 

履物はサンダルです。当時の人々は、大半は素足で歩きました。しかし、裸足では徒歩で長時間歩くことは不可能です。サンダルだけ認められるのは長距離のせいです。弟子たちはこれから遠くまで派遣されていきます。サンダルを履かないでは長い伝道旅行をすることはできません。伝道旅行は思う以上に過酷なものです。

 

最後に下着を二枚持つなと命じられます。当時の下着は長く体を覆うことが出来るようになっています。夜中野宿をするような場合、夜露を避けることができます。夜中宿を取ることができなければ夜露を避けることができないまま寝るようになってしまいます。

 

以上のようなキリストの訓示は大変過酷な伝道旅行を暗示されているように思われます。実際伝道は困難です。そこには厳しい日常生活があります。一部の信者ならばできるかもしれません。しかし、大半の信徒にはできないような要求となっています。

 

このようなキリストの訓示をどう理解したらいいのでしょうか。キリストの弟子たちは無一物となって、厳しい日々の生活を過ごさなければならないのでしょうか。キリスト教の歴史から知ることは何もかも捨てて献身的に働いた人々のことです。私たちは宣教するときは無一物、つまり一切を投げ捨てなければならないのでしょうか。キリストは伝道に従事するものは禁欲的に生きて行けとはいわれていません。

 

【キリスト者を迎え入れる親切な家】

キリストは10節において、キリスト者を迎え入れる親切な人のことが記されます。神は、無一物の伝道者を路傍に捨てるようなことをされません。必ず、働き人を喜んで迎えて世話をする人が出てくるようにされます。

 

キリスト教会では最初から旅人への親切が奨励されていました。ホスピタリティといわれるものです。神は各地を巡り歩くもののために彼らを援助する信徒を用意されていますから、何も持たないでいいのです。伝道者は飢えなければならないとか、無一物で働けという声を聞きます。それは間違っています。むしろ神は伝道者が飢え乾かないように整えられます。何も持つな、あとはどうなろうと関わらない神ではありません。キリストは伝道者のために配慮をされます。

 

これは伝道者だけの問題ではありません。キリスト者は苦難の道を歩まなければならないことを知っていますが、また、同信の人々の助けも用意されています。孤独で伝道することはできません。多くの陰で支える働き人があってこそ、伝道者はその務めをまっとうできます。

 

しかし、安楽だからといって長居できません。目的が達したらさっさとそこは立ち去らなければなりません。また、必ず受け入れられるとは限りません。そういうところは足のちり、ほこりを払って出て行きなさいといわれます。足のほこりを払うのはユダヤ人のやり方で、ここは異教徒の住居でそういうところとは縁を切るという宣言でもあります。私たちは福音を受け入れず、伝道者をなおざりに扱うものとは関わりないと宣言されます。弟子たちはこのような福音との無関係さをも人々に宣告する役割も果します。(おわり)

2015年03月15日 | カテゴリー: マルコによる福音書

2015年3月8日説教「キリストの従順」坂部勇神学生(神戸改革派神学校)

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「キリストの従順」

新約聖書

ピリピ人への手紙2章1~11

1 そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、 2 どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。4 おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。 5キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。



【自己紹介】

みなさん、はじめまして、神戸改革派神学校から来ました、坂部勇と申します。私は20124月から1年間は全科聴講生として神学校で学びました。翌年の2月の編入試験を受け編入学が許可され、その年の4月から本科生1年第3学期に編入しました。その後、引き続き神学校で学んできました。今は3年生となり、今年の6月に卒業予定です。年齢は46です。私の両親はクリスチャンで、私が小学校一年生の時にホーリネス系の単立教会から改革派教会へと転会しました。それと同時に、小学校の1年生の時に、私は幼児洗礼を受けました。1983520日のことだったと記憶しています。今から32年前です。

これまで様々な紆余曲折がありましたが、一方的な神さまの恵みにより召命感が与えられ、牧師への道を選びました。これまでの私の歩みを支え、導いてくださった主に感謝しています。西谷伝道所に神学校から派遣され、礼拝で奉仕させていただく恵みに与っています。

 

【教会の集まりとは】

さて、教会とは実に興味深い集まりです。様々に人たちが集まっています、年齢、性別、職業、生い立ちの違う人々が集まっています。ここに集まってくる人たちの共通点はこの世的な考えからははかり知ることができません。なぜ教会にはこのように多種多様な人々が集まってくるのでしょうか。

共観福音書にはイエスのガリラヤ伝道が書かれた箇所がありますが、そこには、主イエスの行くところ行くところ様々な人々が集まっていることを記している所が多くあります。 

 主イエス自身の魅力によって人々は主イエスのもとに集まってきていたのです。また、マタイによる福音書1820節から「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」という御言葉があります。主イエスによって、主イエスに導かれて、イエスに合うためにいろいろな人たちが教会に集まっているのだなあと思います。教会を作るのは主イエスであり、そして教会は主イエスにより一つとなっているのだということをその箇所を読むたびごとにしみじみと感じています。

 

【フィリピの教会:教会の一致した実り】

本日はフィリピの信徒の手紙2111節から、教会の一致とは何か、教会の一致の模範について、そして教会が一致した実りについてご一緒に学んでいきたいと思います。

この手紙の書き手である使徒パウロは牢獄に監禁されながらこの手紙を書きました。宛先はパウロ自身が建てたフィリピの教会です。そのフィリピの教会には不一致がありました。内部の論争によって分裂していました。さらに偽教師たちによって間違った教えが入り込んでいました。信徒としてへりくだり隣人のために奉仕することは忘れられてしまいました。自己中心的な利己主義と倣慢の醜い状態がフィリピの教会にはありました。

 

【キリストのへりくだり】

パウロにはこの状態を診断し、治療する必要があったのです。そのため、パウロは「キリストのうちにある」信徒の生活に焦点を当て、信徒たちが見習うべきキリストのへりくだりを描いていたのです。内と外からの攻撃に対抗するためには教会がキリストにあって一つとなることが絶対に必要であったのです。教会が一つとなるためにはへりくだって互いに使えあうことが必要であったのです。

 

【「そこで」】

「そこで」という語は127節からの段落の内容の橋渡しの役割を果たしています。つまり、127-30節まででパウロは、脅威に直面している教会は一致して反対者たちと戦う必要があるという勧告をします。その勧告を受けて、さらに一致して反対者たちと戦うにはどうすべきかを21節から語ります。それは、教会が一致し、調和のとれた共同体の関係を作るようにという呼びかけです。そのために教会内のすべての分派と敵意は解決されるべきであるのです。教会の一致には四つ土台があることをパウロはここで示します。

【一致のための4つの土台】

その4つの土台とはキリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、慈しみや憐みの心です。これら4つの土台の下にキリストにある教会は一致して建て上げられるのです。これら4つの全ては主イエスにはじまりがあります。イエス・キリストがまず弟子たちに見本としてお示しになりました。そして、パウロがフィリピの教会に教会員一人一人に与えたものなのです。主イエスはパウロを通して教会に一つになりなさいというのです。

 

この箇所は、パウロの熱心な訴えの中にあるフィリピの教会を思う真剣さに心を打たれずにはおれません。それは、仲良くしなさいというような表面的な勧告ではありません。パウロはこの1節のことばで、キリストが父なる神と一つであるように、教会はキリストにあって一つであることを述べます。信徒同志は、神さまと一つされているのならお互いを愛し、お互いを励まし、お互いに仕えあうことができるはずなのです。主にある交わりからはほど遠い分裂した教会へ、また分派分裂のある全ての時代の全ての教会に、これらの深い真理は語られているのです。

【パウロの願い】

パウロの願いは、2節にある教会は「同じ思いとなり」、「同じ愛をいただき」、「心を合わせ」、「思いを一つにして」することです。本質的には、これらも源泉はキリストひとつです。キリストにより一つとなることなのです。一致するのには一致を拒むものが取り除かれなければなりません。

それは反対者たちのような考え方です。もう既に天国は始まっているのだという考えです。その考えから生じてくる何をしても許される、それだから自分勝手に自分のしたいこと好きなことをすればよいのだ。他人のことなど考えなくてもよいのだという考え方です。また、そのような自己中心な思いからは決してパウロの言う同じ思い、同じ愛、心を合わせる、思いを1つにすることは生まれては来ないのです。

教会の一致と健全さ阻むもの、好ましくないものは取り除かれ、一致と愛にある兄弟姉妹の交わりが回復されるべきでした。そのためにパウロはこの4つの「同一」を訴えているのです。パウロはコリントの信徒への手紙1110節において「さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を1つにして思いを1つにして、固く結びあいなさい。」と言っています。もしこのように神様の家族としての一致が教会の中で実現されるなら、パウロの喜びは全きものとなるのです。

 

【自己中心的な利己主義】

フィリピの教会には反対者たちにより自己中心的な利己主義が広まっていました。3節から4節でパウロは教会の一致を回復するためにどうしたら良いのかを実践的に教えています。それは、3節では「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」とあります。フィリピの教会は自分の利益ばかりを追い求め他人のことを他の人の益を考えない人々がいたのです。また、自らを他の人々よりも優れたものだと考え、それを誇る人たちがいたのです。それは神様の栄光から見れば取るに足らない栄光です。みんな罪人です。罪人同志が、どちらが優れていると比較し合っても、それはドングリの背比べです。主の栄光から見れば空しいことです。これらの利己心や虚栄心から解放されるためにはどうしたら良いのかでしょうか。

 

【へりくだって、互いに相手を・・】

パウロは続けます。「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え」といいます。「へりくだる」、すなわち謙遜は、その謙遜とは神様の前にへりくだる、謙遜になることです。私たち自身はその存在の全てを神様に頼っています。私たちは神様には謙遜になれるはずです。神様の前での謙遜が、私たちを他の人々との関係の中での謙遜へと導きます。神の力強い御手の下にへりくだるように「互いに謙遜を」身に着けることが大切なのです。神様に対して、また人に対して、へりくだって接することから、自分の弱さや失敗に気づくことを可能にします。そして、これが後に続く、「互いに相手を自分よりも優れたものと考え」の理由です。4節では「めいめい自分のことだけでなく、他人のことも注意を払いなさい。」とパウロは勧告します。自分の中には無い他の人たちが持っている良い点、賜物に目をとめること、他の人々を評価すること、これはなかなか難しいことです。人間は、どうしても他人よりも自分の方が優れていると思いたいですよね。他人を認めることができないことが多いですね。しかし、もし、素直に他の人の優れたところを認めることができるなら、そして、その人の優れた点から学ぶことが出来るなら、さらに、それが教会の中で用いられるのなら、教会の祝福となります。

しかし、「利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」とは難しいことですね。人間の本性は全くこれらの逆ですからね。(間をあける。)

 

【神学校での私の体験】

神学校では、毎朝630分から朝祷会があり、神学生が日替わりで司会とリジョイスで示されるその日の聖書箇所から奨励をします。私はこれをなかなか御言葉として聞くことができなのですね。それは、自分が担当した時の奨励と比較してしますからです。他の神学生のメッセージから自分にない者や足りない部分を吸収しようという思いをもてばよいのですが、なかなか難しいですね。無意識のうちに自分のメッセージを中心にして聞いてしまっています。自分が同じ個所からメッセージをするのならばこんなことは言わない、ここは解釈が違うのではないか、自分ならもっと良いメッセージをするなどという思いを持ちながら聞くのです。他の神学生を自分よりも低くしています。パウロの言うへりくだりとは全く正反対のことをしています。そんな思い・雑念をもって朝の奨励を聞いていますので、一日のはじめに御言葉に聞く大切な時間なのに、一日をはじめるエネルギーを頂くときにもかかわらず、そうならずに、モヤモヤばかりが残ります。その日の司会者に素直に感謝することができない自分がいます。そんな自分自身に嫌悪感を抱きます。私自身がまず今日の御言葉に聞かなくてはなりません。

 

【パウロの模範】

なぜパウロはフィリピの教会の一致のためにこんな困難な勧告をしたのでしょうね。パウロの中には飛び切り良い、他とは比べ物にならないモデルあったのです。それは、他でもない主イエスでした。

主イエスは神の御子でした。その神の御子としての身分を捨て、人間と同じ姿をとりこの世に下ってこられました。地上での生涯を歩まれました。僕として、それは父なる神様の僕として地上生涯を歩まれたのです。それは、救い主としての使命でありました。父なる神様からの御命令でした。主イエスは決して神としてのご人格を捨ててしまわれてわけではありません。主イエスは地上の生涯を歩まれた間も神の御子であられました。神の御子であり、そして人間であられたのです。神のご人格に、完全なる神の性質と完全な人間の性質とを持っていたのです。

しかし、主イエスは神の御子としての栄光を捨てられました。私たちにはその奥義を理解することは難しいですが、御言葉の通りに受け入れたいと思います。そして、8「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

大工の息子として馬小屋でお生まれになりました。当時、社会的に軽んじられていた人々である取税人や罪人と食事を共にしました。汚れているとされている病人に手を伸ばし、その体に触れられて癒されました。ご自分の弟子たちの足を洗われました。

そして、謙遜の極みである十字架での死の時までも従順になり、服従されたのです。それは、他でもないフィリピの教会のため、全ての教会、信徒のためでした。そして、神さまはこの徹底的に従順であったキリストを高く上げられたのです。ここにへりくだりの、謙遜の模範を見ます。

パウロはこのキリストを思い起こしてみなさいと、フィリピの教会に訴えるのです。さらに、このキリストの父なる神様に対する従順によってあなたがたは救われたのですと言っているのです。そのキリストの絶大なる従順によって救われた者同士の集まりである教会には不一致はあるはずはないのです。

確かに、教会にはいろいろな人が集まっています。自分と生い立ちや経歴や考え方が似ている人とはうまくやっていきやすいかもしれません。しかし、教会に集まってくる人はそんな自分と似た人ばかりではありません。自分とは生い立ちも考え方も全く違う人もいます。時には教会員同士で衝突することもあるかもしれません。しかし、みんな許し合いお互いを受け入れ合えるはずです。

私にも理解することが難しい神学生がいます。しかし、その人も私も同じキリストの従順によって罪が許され、救われたのです。私自身にもその神学生を理解し、受け入れるというチャレンジがあります。いつかきっとそうできると思います。それは、みんなキリストにあって一つだからです。同じキリストにより、その従順により救われた者同士は、キリストに結びついている者たちには人間の考え、思い、欲望を越えたところでの高くて深くて広い一致があるのです。

主イエスは神様によって天上にあげられ、神様によってあらゆる名にまさる名をあたえられました。主イエスはそうなることを願って、地上の僕としての生涯を歩まれたわけでは決してありません。主イエスが僕として神様に従順に従ったからこそ神様は主イエスをあげられたのです。

だから、同じ心となり、一つ思いとなり「イエス・キリストは主である。」とのべて、父である神様をほめたたえることができるのです。

このパウロの勧告はフィリピの教会だけに言われているのではありません。全てのクリスチャンにすべての教会が学ぶべきこととして述べられています。キリストの従順は私たちに兄弟姉妹へのへりくだりと謙遜を教えています。そして、教会の一致を教えています。11節に、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、とある通り、教会全体でイエス・キリストは私たちの主であると心から伝えていきたいと思います。神様の栄光は主イエスによって私たちに現されています。そして、主イエスを公に伝えることが、私たちが神様の栄光をあらわすことになるのです。キリストの従順、それは私たちに救いと一致とを与えるものです。そして、みんなが同じ主を見上げることから心合わせた讃美が生まれてきます。祈ります。(おわり)

2015年03月08日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙

2015年3月1日説教「イエスにつまずかないこと」金田幸男牧師

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説教「イエスに躓くこと」金田幸男牧師

聖書 マルコ福音者6章1-6a

1 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。2 そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。3 この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。4 イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。5 そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。6 aそして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。

 

要旨

【イエス、故郷ナザレに帰る】

 イエス・キリストは、敵対する諸勢力に勝利を示されます。キリストを飲み込もうとする嵐、汚れた霊、そして、病気と死を圧倒されました。会堂長ヤイロに対して、ただ信じなさいと語られました。12年間出血を患っている女性には、信仰があなたを救ったと断言されています。

 

 それとは対照的に、イエスの故郷では不信仰が明らかになります。

 イエス・キリストは故郷のナザレに行かれます。それは単なる帰郷ではありません。まして故郷に錦を飾るためではありません。弟子を同行しています。それは弟子を訓練するためでありました。

 

イエス・キリストがどのようにして聖書の学びをしたか、実地に示すこともあったでしょうけれども、ナザレの人々の、キリストに対する態度、姿勢を通して、逆説的に、つまり反面教師的に、イエスとは何者かを示そうとされたとも考えられます。そして、信仰とは何かを教えられます。

 

【イエスの説教】

安息日になったので、キリストはユダヤ人の会堂に入られます。その町の会堂長は、朗読された聖書の箇所について、列席している律法の教師に講解を求めました。それが習慣でありました。キリストがどのような聖書の解説をしたかは記録されていませんが、いつものように朗読された聖書がいまや成就しているという主題であったか、あるいは、神の国の完成、到来が近いこと、神の福音の恵みを語られたことは間違いありません。それは心打つ話であったと思われます。多くのナザレの人々はそれを聞いて驚いたと記されています。キリストの説教は今まで聞いたことのないような、感動的なものであったということでしょう。しかし、それで、キリストを信じるとか、受け入れるとかの行動に出たのではありませんでした。むしろその逆です。

 

【イエスは誰の子か】

 イエスの知識はどこで学んだのか。その手のわざはどこで仕入れたのか。つまり、イエスという人間がそんなことができるわけがない、胡散臭いというキリストに対する疑いがそこにあると考えてよいのでしょう。それは、イエスのことを我々はよく知っていると言う先入観に基づきます。

さらに、イエスに対するもっと低い評価の原因もあったと想像されます。それは、イエスを「マリヤの息子」という表現から推量できるかもしれません。母親の名前を出してその息子という言い方は普通ではなかったとされます。その父親が死んでいても、その父親の名前が出されるはずだったのです。ヨセフの子、イエス、これが正式の呼称です。ところが、マリヤの子という言い方には侮蔑、過小評価、悪意の含みも考えられるのです。つまり、父親が誰か分からないような子どもだというのです。ナザレで、ある人たちは、このようにイエスを見ていたと考えられます。これはひどい言い方です。イエスに対するこのような侮り、侮蔑が、ナザレの人々の中にあったとすれば、それはキリストに対して全く低い評価を与えて当然です。

 

【乙女マリヤより生まれ】

 しかし、私たちは別のことを語ることができます。イエス・キリストは処女マリヤから生まれたということです。世間ではイエス・キリストに対してひどい評判が立っていました。しかし、それはまたキリストが処女マリヤの胎に宿り生まれたがゆえにこのようなうわさ、あるいは風評が立っていたともいえるのではないか。そのように推測できます。キリストの処女降誕の教義はキリスト教信仰にとって重要であるということができます。それなしにキリスト教の最も重要な教説、キリストは罪なくして生まれ、アダムにおける原罪を引き受けることがなかったという教理は確立できません。キリストはアダムの罪を引き受けることはない。キリストはその意味でも無罪であった。だから、私たちに代わって神の前で贖いをまっとうできたのです。

 

 しかし、ナザレの人々にとっては、イエスは評価などできない人物でした。マリヤのうわさのことを別にしても、イエスは小さいときから知られている同郷人です。彼のことはよく知っている。ナザレの人々はそう思ったことでしょう。だから、今はどんなに偉くなっていても子どものころを思い出せばとても尊敬などできない、そういう思いが人々を捉えたことは容易に想像できます。

 

そんなイエスの言うことなど信じがたい。イエスは何者か、我々はよく知っているという偏見でキリストを見ているのです。このようなキリストに対する偏見がキリストの教えを受け入れさせないのです。ナザレの人々は会堂でイエスの教えを聞きました。しるしも目撃しました。キリストの教えがそれまで聞いていた教師たち以上に深く、感動的であることも知ったはずです。しかし、キリストに対する偏見が彼らの目を遮ってしまっています。だから、キリストを受け入れることが出来ませんでした。私たちも同じです。キリストの言葉が卓越しているということは認めます。しかし、そのキリストは単なる人間に過ぎないという前提で見ますと、キリストの教えは、そしてキリスト教信仰は拒否することになってしまいます。

 

【預言者は故郷では受け入れられない】

 イエス・キリストは、このようなナザレの人々の態度を見て、預言者が故郷の人々に受け入れられない、という格言めいた言葉を語っておられます。この種の格言はユダヤ人の間でもギリシヤ人の間でもあったそうです。その場合、預言者ではなくて、政治家、あるいは哲学者などに向けられた言葉であったと思われます。出世をし、あるいは成果を挙げた人物も故郷では鼻垂れ小僧扱いされます。故郷では正当な評価を受けることなく侮られる。

 

 そして、キリストはナザレではあまり多くの奇跡を行われませんでした。福音書は、少数の人々を癒しただけで、その他の奇跡は行うことができなかった、と記します。この言葉は奇異に感じさせられます。キリストにもできないことがある。その行動の制約がある、という表現になっているからです。キリストの働きを制御するようなことがあってよいのだろうかと私たちは考えます。そんなはずはないと思うものです。しかし、ここでははっきりキリストが奇跡を行うことができなかったとあります。そのような事態を招いたのはナザレの人々の不信仰でした。

 不信仰があるところで、キリストの事業が阻止される。これは受け入れがたいのですが、真実です。私たちの不信仰がキリストの大きな働きを邪魔するのです。

 

 不信仰というのはそのように深刻な事態でもあります。不信仰など所詮人間のひとつの態度表明に過ぎないと思っているのです。いえ、不信仰というのは人間らしい決断であると思っているのです。キリストはむろん何でも思うところを行う力を持っておられます。そのキリストは、私たちに信仰を求められます。会堂長ヤイロには、ただ信じなさいと命じられます。ヤイロが信じようが信じまいが関係ないと言っても言い過ぎにはならないでしょう。少女の問題だ、その少女は死んでいる。だから、人間の信仰の有無によらずキリストは果断に行動すればよいではないか。それが私たちの思うところでしょう。キリストは、人間の不信仰ではなく、信仰を要求されます。あたかも信仰がないところでは行動が妨げられるといわれているかのようです。

 私たちはもちろん信仰がないところでキリストが働かれないという事実を受け入れざるを得ませんし、それは常識問題かもしれません。

 私たちは信仰が弱いものです。信仰が弱いところで果たして神は働かれるだろうかと考えますと、それは否定できるところではありません。受け入れざるを得ません。祈りは信じて祈るべきです。  

 

ところが私たちは信じきれないままに祈ります。そうすると祈りが実現しないのは当たり前だと思い、実現しなくても仕方がないと諦めます。これが私たちの一般的な心情といってもいいかもしれません。祈りがかなえられないのは、信仰が薄いからだ。そう思うのです。

 キリスト教会が弱いのはキリスト者の信仰が弱いからだ。だから、キリスト者よ、もっと信仰を燃やせ。こういうアピールもしたくなってきます。

 

 私たちの信仰の度合いにしたがってキリストは行動されざるを得ない。こういう考え方は正しいでしょうか。確かに私たちに不信仰は反省しなければなりません。信仰の熱心を燃やさなければなりません。信仰がないところではキリストは行動されないという思いがそうさせます。

 

【不信仰にかかわらずキリストは奇跡をなされた】

 不信仰が奨励されてはなりません。しかし、ここではもうひとつの側面が記されています。ナザレの人々の不信仰のただなかで、キリストは奇跡を行っておられます(2節と5節)。ナザレで全く何もされなかったのではありません。わずかであろうと奇跡は行われたのです。ナザレの人々の中の数少ない信仰を持っている人にだけ奇跡が行われたのだと見る見方もあるでしょうけれども、今までのキリストの働きから言って、そうとは限りません。つまり、不信仰のただなかでも奇跡は行われたと見てもよいのではないかと。不信仰が蔓延しています。不信仰に取り囲まれています。その中にはキリストに対する許しがたい侮辱も含まれています。にもかかわらずキリストは奇跡を行われていることも確かです。不信仰はキリストの働きを妨害します。不信仰は譴責されるべきです。不信仰は神の御業をないがしろにします。不信心は奨励などされてはなりません。同時に、キリストは僅かではあっても不信仰を前にしてその大きな御業を行われます。驚くほど少なくても奇跡は起こります。

 

 私たちの信仰は弱い、それは褒められたものではありません。しかし、信仰が弱い、まるでないかのようだと思われてもキリストは必要ならばそこで奇跡を行われます。繰り返します。不信仰は督励されてはなりません。しかし、私たちの信仰が文字通り完璧でなければキリストは何にもされないなどと考えることは不要であるとも断言してもよいのではないでしょうか。(おわり)

2015年03月01日 | カテゴリー: マルコによる福音書