2014年2月23日説教「福音の真理と自由」金田幸男牧師

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2014年2月23日説教「福音の真理と自由」金田幸男牧師

 聖書:新約聖書ガラテヤ人への手紙2章1~5

1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。

2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

3 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。

4 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。

5 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。

 

(説教要旨)

【その後十四年たって】

「その後十四年たって」とありますが、1章18の「三年後」から数えてさらに14年経ったと考えていいのではないかと思われます。つまり、パウロがイエス・キリストの顕現を経験し、回心し、宣教者に召されてから17年過ぎたと見るわけです。この17年は、いわゆる満何年というのではなく、足掛け3年と14年と受け止めることもできます。

 

【パウロの回心とダマスコ宣教】

この間の出来事は、使徒言行録9章以下の記事と対照する必要があります。使徒言行録9章1-19にはパウロの回心の記事が記され、19節以下で、ダマスコでキリストを宣教し始めたことが記されます。パウロはユダヤ人の憎しみを受け、彼に対する暗殺計画が立てられます。2コリント11章32によれば、それはダマスコを一時支配したアレタ王の反ユダヤ的な政策と関わりがあったと推測されます。

 

【パウロのエルサレム行き】

使徒言行録9章26以下で、パウロはダマスコを脱出したあと、エルサレムに行きます。それはエルサレム教会に加わるためでしたが、かつてのキリスト教迫害者パウロは容易に受け入れられませんでした。数週間だけエルサレムに滞在し、ペトロとヤコブとは話をすることができました。

 

おそらくは地上の歩みをされていたイエス・キリストの言行を学んだのでしょう。ペトロとヤコブほど人間として歩まれたキリストの言動を伝えるのに相応しい人物はいません。

 

【タルソス宣教】

エルサレムでも生命の危険を感じて、パウロはその後、タルソスに向かいます(使徒9章30)。タルソスがパウロの出身地でした(使徒9章11)。パウロはふるさと伝道を試みたのですが、そこでの動向は使徒言行録から知ることができません。伝道は不成功であったのではないかと推測されていますが確かなことは分かりません。

 

【シリア・アンティオキア伝道】

その間にシリア・アンティオキアでは、伝道が進展します。特にここではギリシア語を語る人々(ユダヤ人)への働きかけが推し進められました。おそらく異邦人への働きかけも彼らを通して行われたのではないかと思われます。

 

このとき、エルサレム教会からアンティオキア教会に派遣されたバルナバはパウロのことを思い出し、わざわざタルソスまで出かけて行き、そこでパウロを見つけ出し、アンティオキアに連れてきて彼の同労者にします。この間1年間とあります(使徒言行録13章19-26)。サウロはここで頭角を発揮し出したのでしょう。

 

【エルサレム教会の飢饉を助けるバルナバとパウロ】

まもなく、エルサレム教会が飢饉に直面し、困難を味わっているとき、救援の品を携えて行ったアンティオキア教会の代表者はバルナバとパウロでした(使徒9章27-30)。

 

【パウロの第1回伝道旅行と第1回エルサレム会議】

その後、使徒言行録13-14章に記されている通り、2人はアンティオキア教会から派遣されて、キプロスと現在トルコがある、小アジア半島の伝道に従事します(第1回伝道旅行)。この伝道では多くの異邦人がキリスト者になります。ここで問題が生じました。使徒言行録15章に記されるのですが、ユダヤからアンティオキアに下ってきた人の中に、キリスト者になった異邦人信者にも、「割礼を受けなければ救われない」と教えるものがいました。そのために、教会内で大きな論争が巻き起こります。こうして、教会はエルサレムに代表者を送り、そこで、この問題を協議することになったのです。

 以上のように、使徒言行録の記事をガラテヤの信徒への手紙を比べれば、ガラテヤ2章1-10は、使徒言行録15章に記される、いわゆるエルサレム使徒会議と合致します。そこでは異邦人キリスト者の割礼問題が取り上げられています。

 

【エルサレムに再び上り】

そうするとひとつ問題が生じます。パウロは2章1で「エルサレムに再び上りました」と記します。この言葉は「二度目」を表しています。使徒言行録では、少なくともパウロは3度エルサレムに赴いています。すると、エルサレムが飢饉に見舞われ、そのためにアンティオキア教会からパウロが派遣されたエルサレム訪問を書いていないことになります。この省略を取り上げて、聖書の記述は不正確だと批判する人がいます。聖書は誤りなき神の言葉と言われているが、このように間違いがある、したがって聖書を「誤りなき神の言葉」というのは言い過ぎだというわけです。このような間違いと見える個所を探し出しては、躓きを感じるのです。しかし聖書の読み方としては正しくありません。聖書の一字一句が矛盾しないのでなければ聖書は信用に値しないのでしょうか。そうではありません。聖書はそのような潔癖さを求めていません。あるいは求めても仕方がありません。

 

パウロが二度目のエルサレム訪問を省略したところで聖書が信のおけないことを記していると即断してはなりません。パウロにとって問題はエルサレム教会の困難の援助ではなく、エルサレム教会の信仰理解の一致にあります。福音理解が一致しているかどうか、これがパウロの関心事です。

 

【福音理解の一致こそ本質】

ガラテヤの信徒への手紙の主題は、教会間の助け合いではなく、福音理解の一致にありました。本質的問題はここにあります。この本質に触れ、強調するために、パウロはエルサレム訪問を二度であるかのように記しているだけのことです。細かなところで矛盾しているかのように見えても問題の本質から見れば、記述は誤りではなく、まして、パウロを信用の置けない人物と見るべきではなく、聖書を信用できない書物と即断すべきではありません。この聖書の読み方は他の場面でも適用されるべきなのです。

 

 パウロはエルサレムに上り、最初にしたことは個人的にエルサレム教会の「おもだった人たち」とあって話をすることでした。つまり、密かにエルサレム教会の指導者と会ったという意味です。当時、エルサレム教会には12人の使徒だけではなく、組織の拡大に連れて、以前よりも多く教会の指導者たちも立てられていました。

なかには長老と呼ばれていた人もいたと思われます(使徒15章2、4、6)。

 

パウロはなぜこういういわば根回しのようなことをしたのでしょうか。会議での混乱を避けるためであったのかもしれません。いきなり問題の核心部分を持ち出せば議場が大混乱という事態に陥るかもしれません。そういう事態を回避するために予めパウロは工作したのだとするわけです。パウロは会議を重んじる人でした。会議の決定を通して神の意志を知る慎重さも持ち合わせていました(ガラテヤ2章1)。いわゆる天啓も啓示ですが、こうして一連の手続きを経て教会が決したことも啓示の方法と受け止めていたのです。

 

パウロにとって会議が混乱のうちに収拾がつかなくなるような事態を避けるために事前に教会の指導者と話し合ったことも可能です。しかし、それは議論を円滑にするためであって、パウロの福音理解の調整などではありません。エルサレムの教会指導者に合わせて自分の意見を修正するつもりではありません。むしろ、教会の指導者と意見が一致するかどうかを確かめるつもりであったのです。

 

【パウロの慎重さ】

 意見が一致しなければどうなるのでしょうか。教会は分裂です。パウロはむろんそのような分裂を避けるためにエルサレム教会の指導者と事前に意見をすり合わせるつもりなどありませんでした。彼自身の福音理解は決して修正されるべきものではありません。しかし、パウロは慎重でした。何よりも、エルサレム教会の指導者たちと福音理解が一致していることを確認してから、公の使徒会議に出て意見を述べるつもりであったのです。意見を異にすれば初めから会議には出ないつもりであったかもしれません。パウロにとってこの個人的な会見は重大問題でした。でも、パウロの心配は杞憂に終わります。

 

エルサレム教会の指導者たちはパウロが異邦人に宣教している福音信仰を否定することはありませんでした。

その証拠がテトスの存在です。テトスはギリシア人でした(3節)。テモテのように(使徒16章19)母がユダヤ人、父がギリシア人の可能性もありますが、全くの異邦人であった可能性も否定できません。ところが、エルサレム教会のおもだった人たちはテトスに割礼を要求などしなかったのです。

 

このことは、異邦人キリスト者が割礼を受けなければ救われないとか、教会の交わりに参加させないとかと、エルサレム教会が主張していたのではなかったことを示します。そのように主張するものをパウロは偽りの兄弟と呼びます。一見して教会の交わりの中にあるようで、その実、兄弟でもない、そのような危険なものたちをパウロは評価しています。彼らは、イエス・キリストが勝ち取られた罪からの自由を損なうものでしかありません。

 

再び、律法の行いの束縛、つまり、律法の行いがなければ救われないというような、パウロが語り宣べ伝えていた福音破壊を語るものは偽者の兄弟でしかないとパウロは明言します。

 

【教会の多様性と福音信仰の一致】

パウロにとって重大なのは教会の一致です。その根拠は、福音信仰の一致です。救われるのはただ神の恵みのよるのであって、よき業などではありません。生まれ素性、才能能力、品性のよさ、禁欲、善行、難行苦行の類で、私たちの救いが左右されることがありません。救いはイエス・キリストを信じる信仰を通して、ただ神の恵みによるのです。それ以外の何ものでもありません。

 

大切なことは、教会はその出発点からこの一致を保ち、その上に教会が建設されてきた事実です。教会は、その起源から、この信仰において一致してきました。ある人は、教会はユダヤ主義とヘレニスト、あるいは原使徒とパウロ、ユダヤ人教会と異邦人教会と初めから分裂していたのだと主張しますが、そんなことが決してありません。聖書に記されている通り、教会は初めから信仰において一致がありました。福音を信じる信仰において教会はいつも一致していました。キリストの直系の弟子たちも、その後教会に加わった人たちも、みな福音において一致していました。

 確かにいつの時代にも教会には多様性があります。キリスト者も同様です。いろいろな考え方、生活の仕方、ものの感じ方があり、そのような考えの違う人が教会を構成します。多様性があります。しかし、肝心なことは違いにあるのではなく、福音信仰の一致にあります。(おわり)

 

2014年02月23日

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