2013年12月1日、説教「私の福音」崔 宰鉉牧師(WEC派遣宣教師、神戸改革派神学校特別研究生)
2013年12月1日、説教「私の福音」崔 宰鉉牧師(WEC派遣宣教師、神戸改革派神学校特別研究生)
新約聖書:ローマの信徒への手紙16章25 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
26 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
27 この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
【教会の財産は福音】
皆さん。教会の財産の中で何が1番大切ですか。建物ですか。設備でしょうか。それとも会員数や出席者の人数でしょうか。教会の建物や設備がいくら素晴らしくても、人数が多くても、教会に福音がなければその教会は教会とは思いません。イエス・キリストの教会は福音というものの上に築かれています。
それが教会を教会らしくする1番大切なものだと思います。今福音を大切にしている人々が集まっている場所が教会だと思います。
私は10年前,短期奉仕者として日本に来たことがあります。
その時一つびっくりさせられたことがあります。ある日本の牧師先生から紹介されてある教会に行ったことがあります。
素晴らしい教会だと思いました。このような素晴らしい教会が日本にもあると私は本当に驚きました。それもホテルに教会があるということは。ホテルの牧師先生に紹介されその先生から言われた事は私には考えられないことでした。その牧師先生はただ結婚式のための牧師でした。教会もまた結婚式だけのための教会だったからです。その教会は私には教会ではありません。その牧師も牧師と言えませんでした。なぜなら福音を述べ伝える場所ではなく、福音を述べ伝える牧師でないからです。
【福音の栄光】
それでは福音とはいったいどういうものでしょうか。
福音とは何かを、パウロはローマの信徒の手紙全体を通して、教会を教会らしくする福音がどういうものかを説明しています。
パウロは1章から11章にかけて福音の真理と栄光について語っています。そして12章からは福音のためにクリスチャンはどう生きるべきかを話しています。今日私たちが読んだ16章25節から27節でパウロは福音の栄光が何であるかをもう一度語っています。
パウロは25節で私の福音と言っています。今日私はパウロが語っている「私の福音」とは一体どういうことであるか皆さんと一緒に考えたいと思います。
パウロが語っている「私の福音」すなわちパウロの福音はどういうものだったでしょうか。
【パウロの福音はイエス・キリスト】
1つ目、パウロの福音はイエス・キリストです。25節から26節を一緒に読みたいと思います。
ローマの信徒への手紙16章25 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
26 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
パウロは「私の福音」すなわちイエス・キリストと25節で話していますが、パウロにとって、福音はイエス・キリストでした。パウロはイエス・キリストが救い主である事は福音だと語っています。
パウロはローマの信徒への手紙1章から救い主であるイエス・キリストがどういうお方であるかを詳しく語っています。
皆さんと一緒にパウロが語っている福音、イエス・キリストはどういうお方であるかをみましょう。ローマの信徒への手紙1章1節を共に読みましょう。
ローマの信徒への手紙1章1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
ここでパウロが話していることはなんでしょうか。神の福音のために選び出されたという言い方で自分がどうして使徒になったかを語っています。
続いて2節3節前半を共に読みたいと思います。
ローマの信徒への手紙1章2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3 御子に関するものです。
ここでパウロが語っている福音とはなんでしょうか。パウロの福音は預言者たちが述べ伝えた神の御子イエス・キリストに関することだと言っています。
【イエス・キリストは真の人間であり真の神である】
即ちパウロの福音はイエス・キリストだと言うことです。イエス・キリストは長い間、預言者たちを通して神様から約束された人だと言う事をここで語っています。
続いて3節後半と4節を読んでみましょう。
御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
パウロはここでイエス・キリストは肉によればダビデの子孫から生まれたと言い、イエス・キリストは真実の人間としてこの世に来られたことを語っています。また続いて聖なる霊によれば死者の中から復活された、力ある神の子としてと定められたと言い、イエス・キリストは真実の神様としてこの世に来られたことを語っています。
つまりイエス・キリストは真の人間としてまた真の神様として、この世に来られたと真の救い主だということを語っています。
真実の人間としてまた真実の神様としてこの世に来られたイエス・キリストこそが、真実の福音だと説明しています。
【わたしは福音を恥としない】
イエス・キリストすなわち福音に関してパウロは1章16節において次のように告白しています。
ローマの信徒への手紙1章16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
福音はパウロにとってどういうものだったでしょうか。パウロは「私は福音、イエス・キリストを恥とはしない」と言います。
パウロがそのように話すことができた理由はなんだったと思いますか。
それは福音とは信じるものすべてに救いをもたらす神の力だからです。
皆さん、私たちはクリスチャンだと言われ呼ばれています。パウロのようにイエス・キリストが私たちの福音だと言うことができるでしょうか。
真の人間として、真の神様としてこの世に来られたイエス・キリストが私たちの救い主だと言うことができるでしょうか。パウロのように私は福音を恥としない、思わないということができるでしょうか。
【ローマ帝国とその文化】
パウロはこの手紙をローマにいるクリスチャンたちに読ませるために書きました。
この時、皆さん、ローマはどういう国だったでしょうか。ローマ帝国は非常に強い軍事力を持っていました。その力で多くの国を征服して、その国から多くの宝石や宝ものを強奪して豊かになった国です。またローマは世界最高の哲学体系を発展させた国でもありました。
しかし皆さん次のようなことを知っているでしょうか。
ローマの哲学によって救われた人は1人もいません。多くの宝石や宝物や軍事力はただ独りの人の人生を変えたことはありませんでした。
パウロは福音を持ってローマの人びとに次のように言います。「私は福音を恥としない。福音はユダヤ人にもギリシャ人にも信じるものすべてに救いをもたらす神の力である」。
パウロの福音はイエス・キリストでした。
パウロは一生をとうしてイエス・キリストは救い主である事を述べ伝えました。パウロはこのイエス・キリストを恥とは思いませんでした。皆さんが知っている福音はどういうものでしょうか。それはイエス・キリストではないでしょうか。
使徒言行録4章12を一緒に読みましょう。
「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
またヨハネによる福音書14章6を一緒に読みましょう。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
福音の核心、福音の唯一の焦点はイエス・キリストです。イエス・キリストのみがすべての人間を救ってくださることのお出来になる真の人間です。
皆さん、パウロのように私たちもイエス・キリストを永遠の救い主として持ってみませんか。また福音を恥と思わないで大胆に隣の人々に述べ伝えてみませんか。
【天地創造の前に建てられたご計画】
二つ目、パウロの福音は神様が天地創造の前に建てられたご計画です。
福音はある日、突然に空から降ってきたものではありません。
神様は天地創造の前に福音を準備しておかれました。
神様は人間をお創りになったとき人間が自分の自由意志を乱用して神様に背を向けて神様から離れることを知っておられました。この人間の罪を許してくださるために、神様はどう言うご計画をお立てになったでしょうか。それはイエス・キリストをこの世に遣わして十字架の死を通して私たちに新しい命を与えてくださるというご計画です。これが神様が天地創造の前に人間をお造りになる前に与えられたご計画です。
【世々にわたって隠されていた福音】
パウロは今日読んだ箇所で世々にわたって隠されていたと言ってます。天地が創造される前、万物が創造されるまえ、長いあいだ福音は隠されて来ました。長いあいだ隠されてきた神様のご計画、即ち福音は今どうなっているでしょうか。
26節を一緒に読みましょう。
16章26 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
福音は世々にわたって隠されていた秘められたご計画でした。しかしその福音は今や顕されたとパウロは語っています。即ち奥義が啓示されたのです。
もっと簡単に言うと救われる道が私たちに明らかに啓示されたということです。皆さん。福音は難しいことではありません。この世には難しい哲学があり、むずかしい本もたくさんありますが福音はむずかしいものではありません。
福音は抽象的なものでなく具体的なものです。どのような人も分かることができるのが福音です。福音は誰もやさしくわかることができるように私たちに提示されています。
今私たちは神の福音に触れられるようになり、このことによって私たちは福音を読めるようになり聴けるようになりました。この福音によって私たちは救われて新しい命を受けるようになりました。
皆さん。神様は天地創造の前に私たちを救うご計画を建てられました。これがパウロが今言っている「私の福音」と言う意味です。なんと偉大な福音でしょうか。この偉大な福音は今私たちのものです。神様は私たちがこの福音を持って生きることを望んでおられます。
そしてこの福音を隣の人に伝えることを望んでおられます。
【福音は全ての人への祝福】
三つ目、パウロの福音は祝福です。
パウロは福音はクリスチャンに限らず、クリスチャンでない人にも祝福になるものだと言っています。
皆さん、どうしてクリスチャンではない人にも、クリスチャンにも福音が祝福になることが分りますか。その答えは26節にあります。
16章26 その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
【信仰による従順】
26節でパウロは信仰による従順に導くためと言っています。パウロが言ったこの言葉を通してクリスチャンになった人々になぜ福音が祝福になるのかが分かるようになります。
神様がこの世にイエス・キリストを遣わしてくださった理由は何だと思いますか。それはただ私たちを救う事のためだけだと思いますか。
真の福音は私たちを救ってくださることだけでは終わりません。神様の救いのご計画はイエス・キリストを通して私たちが救われることと、神様の御前で私たちが従順になるように導くことです。ですから真の福音とは私たちの罪を許してくださるだけでなく、同時に私たちが神様のみ言葉に従順になるように助けてくださるものです。福音がなければ私たちは神様に従順になることができません。
福音があるから救われた私たちが神様に従順に従うことができるのです。
ですから私はパウロの福音はクリスチャンに祝福になることができると言いたいのです。
【神様を知らない異邦人が救われること】
ではなぜクリスチャンでない人々に福音は祝福になるでしょうか。パウロは26節でこのように言っています。すべての異邦人に知られるようになりました。つまり神様を知らない異邦人たちが福音によって救われるようになったということです。
神様を知らない異邦人がイエス・キリストによって救われていることこそが、真の恵みでは無いでしょうか。ですから私はクリスチャンでない人にも福音は祝福になると言いたいのです。
【幸せな人生とは】
皆さん。幸せな人生とはどういうものでしょうか。
パウロの表現で言うと神様に従順に従うことです。逆に幸せでない人生とは神様に従順に従わないことでは無いでしょうか。
多くの人が神様のみ言葉を聞かずに自分の好きなように生きること、そのことが幸せな人生だと思っているのです。
このような人生の最後における結末は何だと思いますか。
無駄な人生、迷った人生、無意味な人生ではないでしょうか。それは空を飛ぶ鳥は空の中にいることだけで自由になることができます。空の気流に従って羽ばたくとき、鳥は本当の自由と幸せを感じます。
海の魚は海の中にいるとき、波に従って泳ぐとき魚は本当の幸せを感じると思います。
皆さん。人間にとって本当の幸せなんでしょうか。神様に従って生きることでは無いでしょうか。
【ある神学者の回想】
アメリカの有名な神学者ボルドウィンが福音について次のように話しました。
私は20代の時、様々な宗教や哲学を勉強しました。それらの宗教や哲学に比べてキリスト教の福音は単純すぎることに気がつきました。
福音は人生をかけて信じるほどのものではないと思いました。しかし30代に、私が志した宗教や哲学は私の人生の悩み苦しみを解決する答えを与えてくれませんでした。
私が迷っているうちに福音は私に近づきました。40代に私は福音を信じて人生の様々な問題と戦っている内に、私に福音の力がつきました。その時、私にとって福音は偉大なことになりました。
50代の時、私はこれまで築き上げたものが崩れてしまったので、人生の真の意味はなんだったのかと悩みました。その時福音は私に残っていたもので一番大切なものになりました。
60代に私の友人たちが1人ずつ、天に召されると、私の手にあるものが1つづつ無くなっていく中で、私が頼ることができるのは福音しかありませんでした。
福音はもはや単純なものではありませんでした。福音は奥深いものでもなく大切なものでもありませんでした。福音は私に残った唯一のもの、私の人生の全てになりました。
皆さん。このようなことが福音の祝福ではないでしょうか。
福音はクリスチャンでない人々に救いを与えてくださる唯一のものであり、クリスチャンになった人々が神様に従順になることができるように助けてくださるものです。
更にクリスチャンには信仰が固くなるように導いてくださるものです。
この世で誰がこのような祝福を与えてくれることができるでしょうか。ただ天地万物を創造された神様を通して与えてくださることができます。
【私の証】
私の証を少ししたいと思います。
私は特に貧しくもなく裕福でもない平凡な家庭に生まれました。私が子供の頃、未来に二つの夢がありました。
一つはお金持ちになる事でした。お金が沢山あれば何でもできると思っていました。特に友達が持っているものが欲しかったので、それを手に入れたかったのです。
その時親に言って返って来ることは叱られることだけでした。
二つ目の夢は世界で有名人になることでした。有名人になればお金持ちになるのは当然だと思ったのです。
しかしある日、私に福音が聞こえてきました。私が福音を聞いてイエス・キリストを救い主として受け入れた時に不思議なことが起こりました。私の二つの夢が消えてしまったのです。私はイエス・キリストに出会って以来いちどもお金持ちになりたいと思ったことはありませんでした。イエス・キリストが無駄な夢を取り除いてくださったからです。
私は福音のために熱心に働いているうちに神様が私に必要なことを満たしてくださいました。
ある時は溢れるほど豊かに与えてくださいました。私は福音によってもうお金には興味がないと告白するようになりました。神様は私が有名人になる夢を取り除いてくださいました。
私は福音を受け入れて以来、一度も地位や名誉を求めたことがありません。
勿論、今からもそのような道を歩み続けたいと思います。
しかし私には一つのの夢があります。それは福音です。福音は、私の人生を通して、私が奉仕している教会を通して、大勢の人々に福音を伝えることが私の夢です。
旧約聖書ハバクク書2:14には「 水が海を覆うように/大地は主の栄光の知識で満たされる」
私を通して、水が海を覆うように主の栄光が日本全土に満たされるようになることが私の夢です。
全ての日本の方が口を合わせて天地を創造された神様に栄光と讃美を捧げることを見ることが私の夢です。私はこの願いやビジョンを持って教会を築きあげたいと思っています。
福音を恥としない。福音を恥としないと言う人々が集まって希望がない人々に福音は述べ伝える教会を築き上げることが私のビジョンです。
1年間私は神戸改革派神学校で色々な事を勉強しました。
もう一年が過ぎました。来年3月になると滋賀県に戻らねばなりません。今からそろそろ戻る準備をしなければなりません。私は滋賀県で何をしたいか。それは一つのことだけです。私の生き方を通して福音が伝えられることです。神様にたくさん用いられて福音を知らない人に神の福音を述べ伝えることができるように、祈って頂ければ幸いです。
【お祈り】
愛する天のお父様。今日御言葉を通してパウロが告白している福音はどういうものであるかを考えてきました。
福音はイエス・キリストです。イエス・キリストは私たちを救ってくださるためにあなたが遣わしてくださったお方であることを私たちは信じます。
このイエス・キリストを私たちの一生を通して隣の人々と分かち合うことができるように私たちを強めてください。
12月に入って忙しくなると思います。 12月には全国でも色々なクリスマス集会が持たれます。あなたの願いは集会を通してイエス・キリストの救いが述べ伝えられることと信じます。様々なすクリスマス行事を通してあなたの救いと愛を分かち合うことができるように私たちを強めてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
2013年12月01日 | カテゴリー: ローマの信徒への手紙 , 新約聖書
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