2013年11月17日説教「神様の愛」姜 世媛先生(WEC宣教師/神戸改革派神学校聴講生)
M131117001.wav2013年11月17日説教「神様の愛」姜 世媛先生(WEC宣教師/神戸改革派神学校聴講生)聖書:Ⅰヨハネの手紙4章7~21節。
7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。
15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
(説教要約 文責近藤)
おはようございます。一昨日から風邪のような症状がありましたが、今朝は神様に助けられて元気にここに来ることが出来感謝しています。
準備も十分でなく今日どうなるか心配でしたが、今朝の礼拝前のお祈り会とかここに座ってオルガンの奏楽を聞いていましたら神様は平安な気持ちを与えてくださいました。
【冬のソナタ】
わたしは韓国から日本にきて4年7ヶ月になります。この間たくさんの方にお会いしました。韓国から来たと言うと沢山の人が「私は韓国ドラマが好きだ」とか「韓国の料理が好きだ」と仰って嬉しいです。私より韓国ドラマに詳しくわたしも勉強させてもらいました。
韓国ドラマで日本最初のドラマは「冬のソナタ」です。実は私は日本に来るまで全部を見ていなかったのでもう一度見直しました。皆さん、「冬のソナタ」を見た人は手を挙げて下さい。ご覧になった方の中で、なぜこのドラマが好きになったのでしょうか。色々理由があると思いますが、その理由の一つ、それは変わらない初恋の美しさであると私は思います。時間が過ぎても全然変わらない初恋の愛です。いつでも自分を愛してくれる人がいるといいなと誰でも思うでしょう。愛というものはただ「冬のソナタ」のような愛だけでなく、人間の歴史の一番古くて普遍的テーマです。愛は文学、芸術、詩などで一番多く発見できるテーマです。
あるいはこの愛で笑ってあり、自分の命を捨てたりします。この愛というものは人間になくてはならないものです。私たちのキリスト教は愛の宗教と言われています。また神様の言葉である聖書は神からの愛の手紙、ラブレターだと言われています。
【神様の愛】
この世の中でもとても貴重である愛というものについて聖書のみ言葉を通して考えてみましょう。
今日は,ヨハネの手紙4章の7節から「神様の愛」というテーマで3つの事について考えてみましょう。
【神様は愛である】
1番目は「神様は愛である」ということです。今日の箇所の8節と16節を読みましょう。
ヨハネの手紙一4章8節「 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」。
16節「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」。
8節と16節、ここに「神は愛」と書かれています。神は愛だということはどういう意味でしょうか。神様は愛と同じもので、神様には愛だけしかないと言うことです。
私たちの信じている神様は私たちの間違いを罰するお方ではありません。それで神様の愛を受けるために何か特別なことをしなければならないわけではありません。神様は私たちが存在するだけで喜んでおられます。
創世記1章31節に「神はお作りになったすべてのものをご覧になった。それを見てそれはよく、極めて良かった」と仰いました。
神様の本質は人間に向かった愛で、神は愛の原点です。その愛が神様から流れ出て神様を知る人に届く。またその人から他の人々に流れ出すべきです。
ヨハネによる福音書1章の1節から5節は、神様は光で、この光なる神様には暗闇が全然なく、この光はすべての人を照らすと書かれてあります。
もし私たちが光である神様を私たちのうちに受け入れることができたら、わたしたちも光のように輝くでしょう。神様は私たちの中にあるすべての闇は追い出されます。それと同じ同じように、私たちが愛である神様を私たちの心の中に受け入れることができたら私たちは愛の人になれるはずです。
どんなに憎しみで悩んでいる人でも愛に変われるはずです。なぜなら神様は愛であるからです。神は愛ですから神様がおられるところでは驚くべきことが起こります。いちども味わうことのできなかった無条件の愛を経験できます。
【自身のエピソード】
私にも神様の愛に関するエピソードがあります。私は神様の愛の故にクリスチャンになりました。この時から私はいつも皆を愛することができるように祈りました。
また周りの人をいつも愛するように努力しました。その結果、私は学校でも教会でも、
また友達の中でも優しい人だなぁと言われるようになりました。それで私は自分のことを愛で溢れてれているように思っていました。
しかし大学4年の時の一つ出来事によって私の考えが間違っていることがわかりました。
ある日、私が一緒に活動していた宣教団体の先輩のリーダーが私を呼び入れました。
何か話したいことがあるそうです。
わたしもその先輩と一緒にその宣教団体の活動していました。
わたしは多分褒めてくれることを期待していました。
でも実際に言われたのは、わたしは彼の働きに役に立てないということでした。
彼とは30分から1時間も話しました。彼は4つ上の先輩で私が高校に行く時からずっと知り合って私のことをかわいがってくれました。多くのことを褒めてくれましたが、このリーダーである先輩が私をリーダーの一人に推薦してくれると思っていましたが、彼は1時間話したなかで良いことも多く話しましたが、しかし私の心に残った事は、
あなたは私の働きに役に立てないという一言でした。
わたしは宣教団体の中で一生懸命頑張っていました。私は自分のことを自分なりに犠牲にして、この団体のために、兄弟姉妹のために頑張っていたと思っていたが、その一言
「役に立たない」という一言が、私にとって非常にショックでした。それでその時から私は彼のことが嫌いになりました。
学校で彼が前から来ると挨拶を交わしてもあとは彼から遠ざかり、最後の6ヶ月ぐらいはその宣教団体から離れるようになりました。
私はそのすべてのことを彼のせいにしていました。今考えてみたら余り大事なことではなかったのです。
私がもっと大人でしたら、「そうですか、それは済みません。これからもっと頑張ります」と言えば何でもないことでした。
その時私は未熟だったし自分のことを率直に話すことが苦手でした。まだまだ未熟な女の子でした。今考えれば本当に何でもない事でしたが私の心の中の憎しみは2年ぐらい続きました。彼に会うたびに「きらい、きらい。嫌、嫌」と思いながら彼の顔を見ることも本当に嫌でした。私が思っていたのは感情というものは、複雑なもので頭の中で何ともないと思っていても心の中で思ってる、その憎しみが完全に回復するまでは2年ぐらいかかりました。その時、私は神様に私の弱さを告白しました。そうだ、私は他の人を自分の力で愛することができないということを、私の心の中には愛がないということを、実感しました。そう思ったあと、漸く神様の真実の、無条件の愛が深く感じられました。神様の愛はこの世のすべての愛に勝る絶対的な愛です
【神様はイエス・キリストを通して愛を示された】
2番目は神様はイエス・キリストを通して愛を示されたということです。今日の箇所の9節と10節を一緒に読みましょう。
ヨハネの手紙一4章「9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」。
この節には神様がイエス・キリストを通して愛を示されたことが書かれています。これをもっと理解するためにはヨハネの福音書3章16節も読みましょう。
「16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
神様は「この世を、私たちを、御子イエス・キリストをお与えになったほどに愛された」と書かれていました。
また「御子を信じるものが一人も滅びないで永遠の命を得るためである」と書かれています。
【罪の結果】
もともと神様と人間との関係は親しい関係でした。いつも神様の愛の中で御心の通りに従順に従いました。しかし人間の罪によって神様から人間は離れてしまいました。
その結果人間は必ず死ななければならないという運命になりました。それを哀れんで下さった神様はその独り子イエス・キリストを宥めの供え物としてこの世にお遣わしになりました。
またそのイエス様は私たちの罪のために十字架に架けられました。ローマの信徒への5章8節には、こう書かれています。
ローマの信徒への手紙5章「8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」
神様は私たちを愛してくださいました。それは私たちがその愛を受ける価値があったからではありません。永遠からの神様の愛は私たちがその愛を受ける価値があったからではありません。永遠からの神様の愛は、ありのままの私たち一人ひとりに関心があります。聖書には私たちがまだ罪人であった時、神様が私たちを愛してくださった、と書かれています。
皆さんはこの世の誰かから命懸けの愛を与えられたことがありますか。
たとえその愛が人間の限りある愛としても愛されるという事は本当に素晴らしいことです。ましてそれが永遠に変わることのない神様の限りない真実の愛であるなら本当に幸せなことでは無いでしょうか。神様は私たちをその愛で愛してくださいます。
私たちが神様の愛を持って人を真実に愛するためには、もっと積極的な行動が必要です。今日の箇所の15節を一緒に読みましょう。
ヨハネの手紙一4章15 「イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。」
イエス様を神の御子と告白するのは、私たちの唯一の救い主として告白することです。このイエス・キリストが主である事を信じたら、私たちは裁きの日にも大胆さを持つことができます。
続いて17節を一緒に読みましょう。
ヨハネの手紙一4章「17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。」
【永遠の命】
もし私たちが主であるイエス・キリストを真実に告白したら私たちは死の後のことを恐れる事はありません。なぜなら十字架のイエス・キリストの愛は私たちに永遠の命を保証してくださるからです。
【互いに愛し合うこと】
最後の3番目は神様は私たちが愛し合うことを願っておられるという事です。
よくキリスト教は愛の宗教だと言われています。その愛とはどんな愛でしょうか。
マタイによる福音書22章36以下で、キリスト教の愛は、神様の愛と隣人の愛、この2つからなっていると書かれています。いっしょに読みましょう
マタイによる福音書22章「36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』38 これが最も重要な第一の掟である。
39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
聖書の中に書かれてあるこの2つの愛、神様への愛と隣人への愛、この二つの愛の中でどちらの方が易しいと思いますか。私は隣人を愛するのはあまり易しいことではないと思います。私も皆さんに証ししたように個人的に人を憎しみ、2年間悩みました。
神様への愛、教会にきて礼拝して神様と関係を持つのは一見難しく見えるけれども、実際私にとってもっと易しいことと感じられました。今日の箇所の11節を読みましょう。
ヨハネの手紙一4章「11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。愛する子達、神がこのように私たちを愛されたのですから私たちにも互いに愛し合うべきです。」
「このように」私たちを愛されたと書かれてあります。「このように」とはどんな意味でしょうか。
それは9節、10節に書かれてあります。ヨハネの第一の手紙4章
「9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」
ヨハネの第一の手紙4章「11 愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである」。
神様の独り子を私たちのためにこの世に遣わしてくださった。それで私たちも互いに愛しあうべきです。私たちを自分の都合や気持ちによって愛したい人を愛しているだけではいけません。私たちの愛でなく神様の愛でお互いに愛さなくてはなりません。
ヨハネの第一の手紙3章16節と18節を共に読みましょう。
16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
【命を捨てる】
16節はどんなに驚かされる御言葉でしょう。時々映画などで恋人の為に自分の命を捨てる人がいます。また自分の子供の為に命を捨てる父親とか母親がいます。いま周りの方々をご覧になってください。皆さんの側に座ってる方をご覧になってください。聖書は私たちが愛すべき兄弟姉妹だと書かれていますね。皆さんは皆さんの側に座っておられる方々のために皆さんの命を捨てることができますか。正直言って私は自分の夫のために、命を捨てるべきと書かれているが、それは迷いますね。命を捨てる程でなくても、皆さんが少しでも犠牲を払うことはなかなか難しいことです。
愛する兄弟姉妹だと言っても何か一言言われたら顔を見たくもなくなります。それが人間である私たちの弱さです。
18節には「言葉や口先だけではなく行いをもって誠実に愛し合おう」と書かれています。このように愛するのは神様の御心です。
【愛の原子爆弾:ソン・ヤンウォン先生】
韓国に孫良源(ソン・ヤンウォン)と言う牧師先生がおられました。この方は「愛の原子爆弾」というニックネームがあります。1902年生まれで、1939年からハンセン病患者の治療機関である愛養園で患者たち(約1, 000人)を家族のようにケアしました。1948年ある事件で、自分の愛する2人の息子が殺されました。しかしその時、自分の2人の息子を殺した犯人を許すだけではなく自分の養子にしました。1950年、韓国戦争の時に参戦し孫良源先生犠牲になられました。夫と私は何年か前、韓国全羅南道のほうにある「愛養園」に行ったことがあります。
皆さん、ソン先生の愛こそはイエス様が見せてくださった愛ではないでしょうか。
イエス・キリストはこの世の誰より大きい愛を見せてくださいました。その愛を学ぶべきではないでしょうか。自分の親しい人を受け入れて愛することができないのが私たちです。
ヨハネの福音書13章の34節から35節にこう書かれています。
「34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
また今日の箇所の19節、20節にこう書かれています、
ヨハネの手紙一4章「19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。」
もし私たちが本当に神さまを本当に愛するというなら私たちはお互いに愛し合うべきです。
今日のメッセージを通して3つのことを考えました。
1番目は神様は愛であるということ。
2番目は神様はイエスキリストを通して愛を示してくださいました。
3番目は神様は私たちが愛し合うということを願っておられることです。
これらをいつも忘れないで実践することができるように主が助けてくださいますように祈りましょう。(おわり)
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